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江里 佐代子(えり さよこ、1945年7月19日 – 2007年10月3日)は日本の截金師。2002年に諸工芸の截金の分野で3人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。夫は仏師の江里康慧、子は同じく截金師の左座朋子。
京都市に生まれ、大学で日本画や染色などを学ぶ。江里康慧と結婚を契機に截金師北村起祥のもとで截金の技法を習得する。
本来仏像の荘厳技法であった截金を飾筥(かざりばこ)、棗(なつめ)、香盒(こうごう)、結界(けっかい)、屏風(びょうぶ)、衝立(ついたて)、額装、壁面装飾へと応用しその可能性を広める。また日本伝統工芸展において日本工芸会総裁賞、日本経済新聞社賞や高松宮記念賞、京都工芸美術展では市長賞など受賞を重ね、夫の江里康慧との二人展「仏像と截金」なども開催し、截金の認知度を高めた。また京都造形芸術大学と龍谷大学で客員教授を、東京芸術大学大学院で非常勤講師を務めるなど截金の普及にも力を注いだ。
2002年7月8日に全国最年少で重要無形文化財保持者に認定され、翌年には江里康慧とともに京都府文化功労賞を受賞。建築や寺院の壁面、空間装飾の仕事も多く、京都迎賓館では晩餐室「藤の間」の舞台扉「響流光韻(こおるこういん)」に截金を施すなど多彩な活躍が続いていた。
後継者の育成や更なる作品の製作の道半ば、 ロンドンの大英博物館で開催中の作品展「現代日本のわざの美」で実演と講演をした後、調査のため向かったフランスのアミアンで、脳出血のため62歳で死去した。
近藤 悠三(こんどう ゆうぞう、1902年2月8日 – 1985年2月25日)は日本の陶芸家。1977年に人間国宝に認定。本名は近藤雄三。染付の悠三で知られる。
陶芸家・近藤豊(1932年 – 1983年)は長男、陶芸家・近藤濶(ひろし)は次男、陶芸家・美術家の近藤高弘は孫にあたる。俳優の近藤正臣は親戚。幕末の尊攘運動家の近藤正慎は祖父。
京都市清水寺下出身。父・正平、母・千鶴の三男として生まれる。祖父である正慎は清水寺の寺侍であった。
1914年、京都市立陶磁器試験場付属伝習所轆轤科に入所。1917年に卒業後、同試験場で助手として勤務する。当時、河井寛次郎と濱田庄司が東京高等工業を卒業して技手として陶磁を研究しており、悠三は濱田から窯業科学などを学んだ。
1921年に陶磁器試験場を辞め、イギリスから帰国して大和に窯を構えた富本憲吉の助手として師事。素地や釉薬などの技法だけでなく、制作に対する心構えについても指導を受けている。
1924年京都に戻った後、関西美術院洋画研究所でデッサンや洋画の研究をする傍ら、清水新道石段下に窯を構え制作を始める。この頃は染付の他に、釉裏紅や象嵌等の技法も用いた作品を発表していた。
1926年、24歳で中島光子と結婚。
1928年の第9回帝展で初入選を果たし、以後13回連続で入選する。他、文展などで多くの作品を発表。1950年には第6回日展で審査員を務めた。1955年に日本工芸会に所属。1956年、「山水染付壺」が第3回日本伝統工芸展で日本伝統工芸会賞を受賞。
1956年には岐阜県多治見市にて志野焼の研究をしている。以降は染付の制作に専念した。つけたてとぼかしを基調とした筆遣いによって濃淡を表し、ザクロや梅などをモチーフとして絵画的な表現をなした。さらに1960年以降、呉須染付に併用して赤絵や金彩の技法を用いるようになり、さらに独特の作風を確立した。
日本工芸会常任理事、陶芸部会長を歴任。1953年、京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)陶磁器科助教授、1956年、同大学教授。1965年10月には学長に就任した。
1970年に紫綬褒章、1973年には勲三等瑞宝章、京都市文化功労者章を受章。1977年4月25日、重要無形文化財「染付」の保持者(人間国宝)に認定された。1980年、紺綬褒章受章。
1985年逝去。「自分は、し残したことがあるので、生まれ変わっても、陶芸家として生まれてくる」と生前語っていた。
齋田梅亭(さいた ばいてい 1900年4月6日 – 1981年6月1日)は日本の截金師。1981年に諸工芸の截金の分野で初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
京都・西本願寺御用の截金師の家に生まれ、京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)図案科を卒業し、百貨店や呉服専門店で意匠の仕事に従事した後、25歳頃より家業である截金を継いだ。
截金を工芸作品として屏風(びょうぶ)、額(がく)、衝立(ついたて)、茶入れや飾箱に応用し、東京・赤坂の迎賓館へ四曲一双屏風「霞文(かすみもん)」を納入するなど工芸分野としての基盤を築いた。特に屏風や額などの平面な作品に截金を施す際、海の中に生息する魚や海草、薄の穂、牡丹・紫陽花・菊・椿の華を写実的に表現したという点において彼の作風が際立っている。
京焼(きょうやき)は日本の陶磁器の一種。粟田口焼、御室焼など京都で作られる作品の総称となっている。一度焼成した後に上絵付けを施す上絵付けの技法を用いた陶器が多く、作家ごとの個性が強いのが特徴。 また、乾山写し・仁清写しなど、他窯のデザインを本歌取りした写しものを得意とする。
京焼の始まり
近年の研究では、慶長年間初頭の1590年代末には京焼の生産が始まっていたと考えられている。この頃の作品については不明な点が多いが、低温で焼成し、鉛を含む釉薬が使用されていて、技法やデザインが多様なことが特徴である。
この時期以前の京都は、三条粟田口界隈に陶磁器の窯元が集中し、粟田焼が生産されていた。ただし、天正年間以前の16世紀中頃には三彩や交趾焼などの技術を持った中国人陶工およびその後継者達が製陶を開始していた。緑、紫、紺、黄など寒色系の釉薬が特徴で、押小路焼のルーツとなったと考えられている。
色絵陶器の成立
17世紀に入ると、茶道の興隆に伴って茶碗、茶入など茶陶の製造が盛んになった。具体的には、瀬戸焼、美濃焼や唐津焼の職人とその技法をベースとして高麗茶碗の写しなどが作られている。また、この頃に黒谷土と呼ばれる製陶に適した原料土が地元の山城国で発見されたことも陶磁器の生産の助けとなった。
京焼の中で最古の部類に入る粟田口焼(粟田焼)は、寛永年間には粟田口で生産を行なっていた。ここでは中国の茶器の写しや天目茶碗が作られた。同時期では、八坂焼は1640年、清水焼は1643年までには存在が確認されている。これに続いて御室焼、御菩薩池焼(みぞろがいけやき)、修学院焼なども作られた。
このような中、慶安3年(1650年)5月25日に金森重近(宗和)が参加した茶会に関する記述の中で、絵付を施した御室焼の登場が確認されている。さらに翌年か翌々年には赤色系の上絵付を施した御室焼が野々村仁清によって初めて作られた。調合・焼成の困難な赤色系の絵付を17世紀に成功させたのは、磁器を国内で初めて製作した伊万里焼(有田焼)以外ではこれが唯一の例であり、かつ陶器では国内初であった。
18世紀以降
野々村仁清の死後、跡を継いだ息子は技量が及ばず製陶から手を引いた。しかし仁清から直接技法を学んだ尾形乾山は優れた作品を多く残した。また、永樂了全より後の永樂家は保全、和全など優れた陶工を輩出し、千家に作品を納めて今日に至る。
技術的にも重要な存在としては奥田頴川が挙げられる。頴川は京焼として初めて磁器を製作し、この後を受けて青木木米や仁阿弥道八らも磁器の作品を多く残した。
明治維新後は体制や文化の変化に伴って茶陶の需要が激減し、廃業した者も多い。また、陶工の一部は日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)のような企業組織に入っていき、その技術を支えた。
清水焼(きよみずやき)は京都府で焼かれる陶磁器。清水寺への参道である五条坂界隈(大和大路以東の五条通沿い)に清水六兵衛・高橋道八を初めとする多くの窯元があったのが由来とされる。京都を代表する焼物である。
五条通の大和大路通から東大路通(東山通)に至る区間の北側に所在する若宮八幡宮社の境内には「清水焼発祥の地」との石碑が建っており、毎年8月8日から10日の「陶器祭」では清水焼で装飾された神輿が出る。
伝統的工芸品産業の振興に関する法律にもとづいて指定された「経済産業大臣指定伝統的工芸品」および、京都府伝統と文化のものづくり産業振興条例にもとづいて認証された「京都府知事指定伝統的工芸品」(京もの指定工芸品)における名称は、「京焼・清水焼」となっている。
楽焼(らくやき)は、一般的に電動轆轤や足で蹴って回す蹴轆轤(けろくろ)を使用せず手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形した後、750℃ – 1,100℃で焼成した軟質施釉陶器である。また、楽茶碗などとも呼ばれる。 狭義には樂家の歴代当主が作製した作品や樂家の手法を得た金沢の大樋焼が含まれる。 広義には同様の手法を用いて作製した陶磁器全体を指す。
千利休らの嗜好を反映した、手捏ねによるわずかな歪みと厚みのある形状が特徴である。茶碗や花入、水指、香炉など茶道具として使用される
天正年間(16世紀後半)、瓦職人だった長次郎が千利休の指導により、聚楽第を建造する際に土中から掘り出された土(聚楽土)を使って焼いた「聚楽焼」(じゅらくやき)が始まりとされる。
二代目・常慶の父、田中宗慶(一説に利休の子という)が豊臣秀吉より聚楽第からとった樂の印章を賜り、これを用いるとともに家号にしたことから楽焼となった、との説が広く知られる。
楽家の楽焼を本窯、傍流の楽焼を脇窯という。
黒楽
初期の製法としては、素焼き後に加茂川黒石からつくられた鉄釉をかけて陰干し、乾いたらまた釉薬をかけるといったことを十数回繰り返してから1000℃程度で焼成する。焼成中に釉薬が溶けたところを見計らって窯から引き出し急冷することで、黒く変色する。これは美濃焼と共通する手法である。
天正9年(1581年) – 同14年(1586年)頃に長次郎によって黒楽茶碗が焼かれたのが始まりである。
赤楽
赤土を素焼きし、透明の釉薬をかけて800℃程度で焼成する。樂家と関わりの深い本阿弥光悦や、樂道入の作品などが有名である。利休のエピソードに秀吉は黒楽を嫌い赤楽を好んだとある(『神屋宗湛日記』)。
朝日焼(あさひやき)は京都府宇治市で焼かれる陶器。宇治茶の栽培が盛んになるにつれ、茶の湯向けの陶器が焼かれるようになった。江戸時代には遠州七窯の一つにも数えられている。
朝日焼という名前の由来については、朝日山という山の麓で窯が開かれていたという説と、朝日焼独特の赤い斑点(御本手)が旭光を思わせるという説がある。
歴史
宇治地方は古くから良質の粘土が採れ、須恵器などを焼いていた窯場跡が見られていた。室町時代、朝日焼が興る前には、経歴も全く不詳な宇治焼という焼き物が焼かれ、今も名器だけが残されている。
今日、最古の朝日焼の刻印があるのは慶長年間のものである。しかし、桃山時代には茶の湯が興隆したため、初代、奥村次郎衛門藤作が太閤豊臣秀吉より絶賛され、陶作と名を改めたというエピソードも残っていることから、当時から朝日焼は高い評判を得ていたことになる。後に二代目陶作の頃、小堀遠江守政一(小堀遠州)が朝日焼を庇護、そして指導したため、名を一躍高めることとなった。同時に遠州は朝日焼の窯場で数多くの名器を生み出している。
三代目陶作の頃になると、茶の湯が一般武士から堂上、公家、町衆に広まっていき、宇治茶栽培もますます盛んになり、宇治茶は高値で取引されるようになった。それに並行して朝日焼も隆盛を極め、宇治茶の志向に合わせて、高級な茶器を中心に焼かれるようになっていった。
朝日焼の特徴
朝日焼は原料の粘土に鉄分を含むため、焼成すると独特の赤い斑点が現れるのが最大の特徴である。そして、それぞれの特徴によって呼び名が決まっている。
燔師(はんし)
分かりやすく解釈すると、師匠が焼いた物という意味である。赤い粗めの斑点がぽつぽつと表面に浮き出たような器をいう。
鹿背(かせ)
燔師とは対照的に、肌理細かな斑点が見られる器をいう。鹿の背中のような模様から名付けられた。
紅鹿背(べにかせ)
鹿背の中でも、特に鉄分が多く、よりくっきりと紅色が見えるものを指す。
上のような人間国宝の作品や地元の焼き物などが家や蔵に眠っていて売却をお考えの時はご連絡ください!!
いちさか
市坂
いちさか(いけのうち)
市坂(池ノ内)
いちさか(いごま)
市坂(井後間)
いちさか(いしづか)
市坂(石塚)
いちさか(いっちょうだ)
市坂(壱丁田)
いちさか(うめだに)
市坂(梅谷)
いちさか(かみだいじょう)
市坂(上大条)
いちさか(かもでん)
市坂(加茂田)
いちさか(かんだに)
市坂(寒谷)
いちさか(きたはた)
市坂(北畑)
いちさか(くぼがわ)
市坂(久保川)
いちさか(くまさか)
市坂(熊坂)
いちさか(こうざ)
市坂(高座)
いちさか(こたにぐち)
市坂(小谷口)
いちさか(ごたんだ)
市坂(五反田)
いちさか(しばのはな)
市坂(芝ノ鼻)
いちさか(しみず)
市坂(清水)
いちさか(しもだいじょう)
市坂(下大条)
いちさか(すいぼし)
市坂(水干)
いちさか(どうでん)
市坂(堂田)
いちさか(なかやま)
市坂(中山)
いちさか(ならざか)
市坂(奈良坂)
いちさか(ならみち)
市坂(奈良道)
いちさか(にしやま)
市坂(西山)
いちさか(はいがつぼ)
市坂(灰ヶ坪)
いちさか(ふるかわ)
市坂(古川)
いちさか(へらさか)
市坂(幣羅坂)
いちさか(ぼだい)
市坂(菩提)
いちさか(まつたに)
市坂(松谷)
いちさか(みやのうち)
市坂(宮ノ内)
いちさか(むかいやま)
市坂(向山)
いちさか(ゆみでん)
市坂(弓田)
いちさか(ゆやでん)
市坂(湯屋田)
いちさか(ろっぽんぎ)
市坂(六本木)
うめだに
梅谷
うめだに(いけのたに)
梅谷(池ノ谷)
うめだに(いばらだに)
梅谷(荊谷)
うめだに(いまいだに)
梅谷(今井谷)
うめだに(おくがひら)
梅谷(奥ケ平)
うめだに(かみのひら)
梅谷(上ノ平)
うめだに(きただに)
梅谷(北谷)
うめだに(きたなかのたに)
梅谷(北中ノ谷)
うめだに(こだにぐち)
梅谷(小谷口)
うめだに(じぞうだに)
梅谷(地蔵谷)
うめだに(すなこだに)
梅谷(砂子谷)
うめだに(てらのした)
梅谷(寺ノ下)
うめだに(なかのしま)
梅谷(中ノ島)
うめだに(なかのひら)
梅谷(中ノ平)
うめだに(なかやま)
梅谷(中山)
うめだに(ながしろだに)
梅谷(長城谷)
うめだに(ひげたに)
梅谷(髯谷)
うめだに(ひらの)
梅谷(平野)
うめだに(みなみなかのたに)
梅谷(南中ノ谷)
うめだに(みます)
梅谷(身増)
うめだに(みやのたに)
梅谷(宮ノ谷)
うめみだい
梅美台
か
かせやま
鹿背山
かせやま(あおぶち)
鹿背山(青渕)
かせやま(あかさか)
鹿背山(赤坂)
かせやま(あらほり)
鹿背山(荒堀)
かせやま(おおぎだに)
鹿背山(大木谷)
かせやま(おおくぼ)
鹿背山(大久保)
かせやま(おおさわ)
鹿背山(大沢)
かせやま(かきのうち)
鹿背山(垣ノ内)
かせやま(かじがたに)
鹿背山(梶ヶ谷)
かせやま(かまとぎ)
鹿背山(鎌研)
かせやま(かゆでん)
鹿背山(鹿曲田)
かせやま(かわむかい)
鹿背山(川向)
かせやま(きりどおし)
鹿背山(切通)
かせやま(くまがさき)
鹿背山(熊ヶ崎)
かせやま(くるまだに)
鹿背山(車谷)
かせやま(こざわ)
鹿背山(小沢)
かせやま(しおだ)
鹿背山(塩田)
かせやま(しかぐち)
鹿背山(鹿口)
かせやま(しみずだに)
鹿背山(清水谷)
かせやま(すはら)
鹿背山(須原)
かせやま(たてがじり)
鹿背山(立ヶ尻)
かせやま(たぬきだに)
鹿背山(狸谷)
かせやま(とおだ)
鹿背山(当田)
かせやま(とんとろり)
鹿背山(頓登路里)
かせやま(なかぎり)
鹿背山(中切)
かせやま(にしおおひら)
鹿背山(西大平)
かせやま(にたんだ)
鹿背山(二反田)
かせやま(はばがたに)
鹿背山(巾ヶ谷)
かせやま(ひがしおおいけ)
鹿背山(東大池)
かせやま(ひがしおおひら)
鹿背山(東大平)
かせやま(ふるでら)
鹿背山(古寺)
かせやま(ほそかわ)
鹿背山(細川)
かせやま(ほそたに)
鹿背山(細谷)
かせやま(みなみだに)
鹿背山(南谷)
かせやま(みやのたに)
鹿背山(宮ノ谷)
かせやま(やなぎたに)
鹿背山(柳谷)
かせやま(やぶのうら)
鹿背山(薮ノ浦)
かぶとだい
兜台
かもちょういびらお
加茂町井平尾
かもちょういびらお(あしだ)
加茂町井平尾(足田)
かもちょういびらお(あぶらじょう)
加茂町井平尾(油城)
かもちょういびらお(いでやま)
加茂町井平尾(井手山)
かもちょういびらお(いわのわき)
加茂町井平尾(岩脇)
かもちょういびらお(うえすぎたに)
加茂町井平尾(上杉谷)
かもちょういびらお(うえむくだに)
加茂町井平尾(上椋谷)
かもちょういびらお(かたはらやま)
加茂町井平尾(片原山)
かもちょういびらお(かみひらおか)
加茂町井平尾(上平岡)
かもちょういびらお(きしのかみ)
加茂町井平尾(岸之上)
かもちょういびらお(きしのした)
加茂町井平尾(岸ノ下)
かもちょういびらお(きたおきづつみ)
加茂町井平尾(北置堤)
かもちょういびらお(きたりゅうげ)
加茂町井平尾(北竜下)
かもちょういびらお(きつねけずこ)
加茂町井平尾(狐ケズコ)
かもちょういびらお(きどろだに)
加茂町井平尾(キドロ谷)
かもちょういびらお(くぼ)
加茂町井平尾(久保)
かもちょういびらお(こやま)
加茂町井平尾(小山)
かもちょういびらお(しもひらおか)
加茂町井平尾(下平岡)
かもちょういびらお(しもむくだに)
加茂町井平尾(下椋谷)
かもちょういびらお(じょうがわ)
加茂町井平尾(城川)
かもちょういびらお(ちづこ)
加茂町井平尾(チヅコ)
かもちょういびらお(といだ)
加茂町井平尾(樋田)
かもちょういびらお(なかのまち)
加茂町井平尾(中ノ町)
かもちょういびらお(にしがいと)
加茂町井平尾(西垣内)
かもちょういびらお(はちおうじ)
加茂町井平尾(八王寺)
かもちょういびらお(ひがしがいと)
加茂町井平尾(東垣内)
かもちょういびらお(ひらた)
加茂町井平尾(平田)
かもちょういびらお(ふろむかい)
加茂町井平尾(風呂向)
かもちょういびらお(まつがだに)
加茂町井平尾(松ケ谷)
かもちょういびらお(みなみおきづつみ)
加茂町井平尾(南置堤)
かもちょういびらお(みなみりゅうげ)
加茂町井平尾(南竜下)
かもちょういびらお(よしはら)
加茂町井平尾(吉原)
かもちょういびらお(わんびょうざん)
加茂町井平尾(湾漂山)
かもちょういわふね
加茂町岩船
かもちょういわふね(あやごだに)
加茂町岩船(綾吾谷)
かもちょういわふね(いしどう)
加茂町岩船(石堂)
かもちょういわふね(いちがだに)
加茂町岩船(一谷)
かもちょういわふね(かみしもだい)
加茂町岩船(上下大)
かもちょういわふね(かみのもん)
加茂町岩船(上ノ門)
かもちょういわふね(がんど)
加茂町岩船(ガンド)
かもちょういわふね(きただに)
加茂町岩船(北谷)
かもちょういわふね(きりでん)
加茂町岩船(切田)
かもちょういわふね(ごじゅうがり)
加茂町岩船(五十苅)
かもちょういわふね(さかじり)
加茂町岩船(阪尻)
かもちょういわふね(さんだい)
加茂町岩船(三大)
かもちょういわふね(さんぼんまつ)
加茂町岩船(三本松)
かもちょういわふね(しもだい)
加茂町岩船(下大)
かもちょういわふね(ながたん)
加茂町岩船(長谷)
かもちょういわふね(はたのがいと)
加茂町岩船(畑ノ垣外)
かもちょういわふね(はっちょう)
加茂町岩船(八丁)
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加茂町岩船(阪東)
かもちょううなみ
加茂町兎並
かもちょううなみ(あかはげ)
加茂町兎並(赤兀)
かもちょううなみ(いちのつぼ)
加茂町兎並(一ノ坪)
かもちょううなみ(うずらはら)
加茂町兎並(鶉原)
かもちょううなみ(うちがいと)
加茂町兎並(内垣外)
かもちょううなみ(おなだ)
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加茂町兎並(北兎並)
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加茂町兎並(木良良)
かもちょううなみ(きりはさま)
加茂町兎並(桐ハサマ)
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かもちょううなみ(こぼういん)
加茂町兎並(小防院)
かもちょううなみ(こまつもと)
加茂町兎並(小松本)
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加茂町兎並(勝風谷)
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加茂町兎並(砂垣)
かもちょううなみ(すぎたに)
加茂町兎並(杉谷)
かもちょううなみ(たちおか)
加茂町兎並(立岡)
かもちょううなみ(てらやま)
加茂町兎並(寺山)
かもちょううなみ(とうみょうじ)
加茂町兎並(燈明寺)
かもちょううなみ(にしのぼう)
加茂町兎並(西ノ坊)
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加茂町兎並(西原)
かもちょううなみ(ぬま)
加茂町兎並(沼)
かもちょううなみ(ひがしまえだ)
加茂町兎並(東前田)
かもちょううなみ(ふなや)
加茂町兎並(船屋)
かもちょううなみ(ほうとくじ)
加茂町兎並(法徳寺)
かもちょううなみ(まるやま)
加茂町兎並(丸山)
かもちょううなみ(むろ)
加茂町兎並(室)
かもちょううなみ(りゅうおうだに)
加茂町兎並(竜王谷)
かもちょううなみ(ろくちょうやま)
加茂町兎並(六町山)
かもちょうえきにし
加茂町駅西
かもちょうえきひがし
加茂町駅東
かもちょうおおの
加茂町大野
かもちょうおおの(いけのたに)
加茂町大野(池ノ谷)
かもちょうおおの(いっちょうくぼ)
加茂町大野(一町久保)
かもちょうおおの(いわたに)
加茂町大野(岩谷)
かもちょうおおの(うしたに)
加茂町大野(丑谷)
かもちょうおおの(うちはた)
加茂町大野(内畑)
かもちょうおおの(うづ)
加茂町大野(ウヅ)
かもちょうおおの(おおくぼ)
加茂町大野(大久保)
かもちょうおおの(おおの)
加茂町大野(大野)
かもちょうおおの(おおやぶ)
加茂町大野(御薮)
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加茂町大野(唐岩)
かもちょうおおの(からすだ)
加茂町大野(烏田)
かもちょうおおの(きたではた)
加茂町大野(北出畑)
かもちょうおおの(きたまえだ)
加茂町大野(北前田)
かもちょうおおの(ごのつぼ)
加茂町大野(五ノ坪)
かもちょうおおの(たかのつか)
加茂町大野(高ノ塚)
かもちょうおおの(たなまつ)
加茂町大野(棚松)
かもちょうおおの(なかうね)
加茂町大野(中宇称)
かもちょうおおの(ながお)
加茂町大野(長尾)
かもちょうおおの(にしうしたに)
加茂町大野(西丑谷)
かもちょうおおの(にしたかつか)
加茂町大野(西高塚)
かもちょうおおの(にしはた)
加茂町大野(西畑)
かもちょうおおの(はちのつぼ)
加茂町大野(八ノ坪)
かもちょうおおの(はなみず)
加茂町大野(花水)
かもちょうおおの(ひがしやま)
加茂町大野(東山)
かもちょうおおの(みちばた)
加茂町大野(道端)
かもちょうおおの(みなみたかつか)
加茂町大野(南高塚)
かもちょうおおの(みなみまえだ)
加茂町大野(南前田)
かもちょうおおの(みやのたに)
加茂町大野(宮ノ谷)
かもちょうおおの(やきうら)
加茂町大野(焼浦)
かもちょうおおの(やまぎわ)
加茂町大野(山際)
かもちょうおおはた
加茂町大畑
かもちょうおおはた(あやご)
加茂町大畑(アヤゴ)
かもちょうおおはた(おざき)
加茂町大畑(尾崎)
かもちょうおおはた(かみのうえ)
加茂町大畑(上ノ上)
かもちょうおおはた(ざくろだに)
加茂町大畑(柘榴谷)
かもちょうおおはた(せだに)
加茂町大畑(背谷)
かもちょうおおはた(とおげ)
加茂町大畑(峠)
かもちょうおおはた(とくよう)
加茂町大畑(徳用)
かもちょうおおはた(まるがだに)
加茂町大畑(丸ケ谷)
かもちょうおおはた(やけすぎ)
加茂町大畑(ヤケ杉)
かもちょうおおはた(ゆだに)
加茂町大畑(湯谷)
かもちょうおおはた(わたらい)
加茂町大畑(ワタライ)
かもちょうおかざき
加茂町岡崎
かもちょうおかざき(いでやま)
加茂町岡崎(井手山)
かもちょうおかざき(おちあい)
加茂町岡崎(落合)
かもちょうおかざき(かみはったんだ)
加茂町岡崎(上八反田)
かもちょうおかざき(かみひらおか)
加茂町岡崎(上平岡)
かもちょうおかざき(かんがえ)
加茂町岡崎(考)
かもちょうおかざき(きづがわおもて)
加茂町岡崎(木津川表)
かもちょうおかざき(くぼがいと)
加茂町岡崎(久保垣内)
かもちょうおかざき(こまんぜき)
加茂町岡崎(狛堰)
かもちょうおかざき(さんこうじ)
加茂町岡崎(三光寺)
かもちょうおかざき(しもはったんだ)
加茂町岡崎(下八反田)
かもちょうおかざき(しもひらおか)
加茂町岡崎(下平岡)
かもちょうおかざき(でがいと)
加茂町岡崎(出垣内)
かもちょうおかざき(でば)
加茂町岡崎(出羽)
かもちょうおかざき(なかすじ)
加茂町岡崎(中筋)
かもちょうおかざき(なかなわて)
加茂町岡崎(中縄手)
かもちょうおかざき(ながれおか)
加茂町岡崎(流岡)
かもちょうおかざき(ながれおかきた)
加茂町岡崎(流岡北)
かもちょうおかざき(ながれおかみなみ)
加茂町岡崎(流岡南)
かもちょうおかざき(にしがいと)
加茂町岡崎(西垣内)
かもちょうおかざき(ひがしがいと)
加茂町岡崎(東垣内)
かもちょうおかざき(ひがしなわて)
加茂町岡崎(東縄手)
かもちょうおかざき(まとば)
加茂町岡崎(的場)
かもちょうおかざき(みぞまたぎ)
加茂町岡崎(溝跨)
かもちょうおかざき(やのすけやま)
加茂町岡崎(弥ノ助山)
かもちょうおかざき(やまうしろ)
加茂町岡崎(山後)
かもちょうおくばた
加茂町奥畑
かもちょうおくばた(あたらしやま)
加茂町奥畑(新シ山)
かもちょうおくばた(かしょ)
加茂町奥畑(箇所)
かもちょうおくばた(かみで)
加茂町奥畑(上出)
かもちょうおくばた(きたやま)
加茂町奥畑(北山)
かもちょうおくばた(しおたに)
加茂町奥畑(塩谷)
かもちょうおくばた(しおだ)
加茂町奥畑(塩田)
かもちょうおくばた(しろつち)
加茂町奥畑(城土)
かもちょうおくばた(つちのひら)
加茂町奥畑(土平)
かもちょうおくばた(どだに)
加茂町奥畑(土谷)
かもちょうおくばた(どどひら)
加茂町奥畑(土々平)
かもちょうおくばた(なかたに)
加茂町奥畑(中谷)
かもちょうおくばた(なかやがいと)
加茂町奥畑(中屋垣内)
かもちょうおくばた(にしでがいと)
加茂町奥畑(西出垣内)
かもちょうおくばた(にしのおく)
加茂町奥畑(西ノ奥)
かもちょうおくばた(にしのたに)
加茂町奥畑(西ノ谷)
かもちょうおくばた(にじやま)
加茂町奥畑(虹山)
かもちょうおくばた(はえがおね)
加茂町奥畑(蝿ケ尾根)
かもちょうおくばた(はえがみね)
加茂町奥畑(蝿ケ峰)
かもちょうおくばた(ひがしでがいと)
加茂町奥畑(東出垣内)
かもちょうおくばた(ひがしのたに)
加茂町奥畑(東ノ谷)
かもちょうおくばた(ふろのたに)
加茂町奥畑(風呂ノ谷)
かもちょうおくばた(ほしもち)
加茂町奥畑(干持)
かもちょうおくばた(まえやま)
加茂町奥畑(前山)
かもちょうおくばた(みやのかみ)
加茂町奥畑(宮ノ上)
かもちょうおくばた(みやのたに)
加茂町奥畑(宮ノ谷)
かもちょうおくばた(むくお)
加茂町奥畑(椋尾)
かもちょうおくばた(もりのきわ)
加茂町奥畑(森際)
かもちょうおくばた(ゆみでん)
加茂町奥畑(弓田)
かもちょうかわら
加茂町河原
かもちょうかわら(あおき)
加茂町河原(青木)
かもちょうかわら(いけのたに)
加茂町河原(池ノ谷)
かもちょうかわら(おおにしやま)
加茂町河原(大西山)
かもちょうかわら(かみのうら)
加茂町河原(上ノ浦)
かもちょうかわら(かわばた)
加茂町河原(川端)
かもちょうかわら(きとら)
加茂町河原(帰虎)
かもちょうかわら(しものうら)
加茂町河原(下ノ浦)
かもちょうかわら(しりえ)
加茂町河原(尻江)
かもちょうかわら(すなはし)
加茂町河原(砂橋)
かもちょうかわら(だいもん)
加茂町河原(大門)
かもちょうかわら(ちゃのがわら)
加茂町河原(茶ノ川原)
かもちょうかわら(なかがいと)
加茂町河原(中垣内)
かもちょうかわら(なかぎり)
加茂町河原(中切)
かもちょうかわら(ながおさ)
加茂町河原(長ヲサ)
かもちょうかわら(はしのもと)
加茂町河原(橋ノ本)
かもちょうかわら(ひがしだいもん)
加茂町河原(東大門)
かもちょうかわら(ひよう)
加茂町河原(樋用)
かもちょうかわら(ふきあげ)
加茂町河原(吹上)
かもちょうかわら(むかいやま)
加茂町河原(向山)
かもちょうかんおんじ
加茂町観音寺
かもちょうかんおんじ(いけのかみ)
加茂町観音寺(池ノ上)
かもちょうかんおんじ(いしべ)
加茂町観音寺(石部)
かもちょうかんおんじ(いまつじ)
加茂町観音寺(今辻)
かもちょうかんおんじ(おおくぼ)
加茂町観音寺(大久保)
かもちょうかんおんじ(おおたやま)
加茂町観音寺(大田山)
かもちょうかんおんじ(かいなべ)
加茂町観音寺(貝鍋)
かもちょうかんおんじ(かきぞえ)
加茂町観音寺(垣添)
かもちょうかんおんじ(かしわたに)
加茂町観音寺(柏谷)
かもちょうかんおんじ(かたぎし)
加茂町観音寺(片岸)
かもちょうかんおんじ(きし)
加茂町観音寺(岸)
かもちょうかんおんじ(きたかいと)
加茂町観音寺(北貝戸)
かもちょうかんおんじ(きたがんど)
加茂町観音寺(北雁戸)
かもちょうかんおんじ(こまつもと)
加茂町観音寺(小松本)
かもちょうかんおんじ(さきぼこ)
加茂町観音寺(先鉾)
かもちょうかんおんじ(さんじょうがわ)
加茂町観音寺(三条川)
かもちょうかんおんじ(しのつぼ)
加茂町観音寺(四ノ坪)
かもちょうかんおんじ(しみず)
加茂町観音寺(清水)
かもちょうかんおんじ(しんでん)
加茂町観音寺(新田)
かもちょうかんおんじ(すなだ)
加茂町観音寺(砂田)
かもちょうかんおんじ(せっくでん)
加茂町観音寺(節句田)
かもちょうかんおんじ(とうげ)
加茂町観音寺(峠)
かもちょうかんおんじ(なかがいと)
加茂町観音寺(中貝戸)
かもちょうかんおんじ(なかの)
加茂町観音寺(中野)
かもちょうかんおんじ(なかのひら)
加茂町観音寺(中ノ平)
かもちょうかんおんじ(にしのかみ)
加茂町観音寺(西ノ上)
かもちょうかんおんじ(にしやまだ)
加茂町観音寺(西山田)
かもちょうかんおんじ(はなはら)
加茂町観音寺(花原)
かもちょうかんおんじ(ひらた)
加茂町観音寺(平田)
かもちょうかんおんじ(まとば)
加茂町観音寺(的場)
かもちょうかんおんじ(みなみがいと)
加茂町観音寺(南貝戸)
かもちょうかんおんじ(みなみがんど)
加茂町観音寺(南雁戸)
かもちょうかんおんじ(もりのたに)
加茂町観音寺(森野谷)
かもちょうかんおんじ(やなぎたに)
加茂町観音寺(柳谷)
かもちょうかんおんじ(やまぎわ)
加茂町観音寺(山際)
かもちょうかんおんじ(やまはた)
加茂町観音寺(山畑)
かもちょうかんおんじ(よこまくら)
加茂町観音寺(横枕)
かもちょうきた
加茂町北
かもちょうきた(いけのたに)
加茂町北(池ノ谷)
かもちょうきた(いわお)
加茂町北(岩尾)
かもちょうきた(うまがせ)
加茂町北(馬ケ背)
かもちょうきた(おおさか)
加茂町北(大坂)
かもちょうきた(おおたに)
加茂町北(大谷)
かもちょうきた(おおばやし)
加茂町北(大林)
かもちょうきた(おおやま)
加茂町北(大山)
かもちょうきた(おかだのしょう)
加茂町北(岡田ノ庄)
かもちょうきた(おくまるお)
加茂町北(奥丸尾)
かもちょうきた(かみおおた)
加茂町北(上大田)
かもちょうきた(かもむら)
加茂町北(鴨村)
かもちょうきた(くちまるお)
加茂町北(口丸尾)
かもちょうきた(くまたき)
加茂町北(熊滝)
かもちょうきた(こたきだに)
加茂町北(小滝谷)
かもちょうきた(こだに)
加茂町北(小谷)
かもちょうきた(こぶけ)
加茂町北(コブケ)
かもちょうきた(こまつもと)
加茂町北(小松本)
かもちょうきた(さかぐち)
加茂町北(阪口)
かもちょうきた(しもおおた)
加茂町北(下大田)
かもちょうきた(しらいわ)
加茂町北(白岩)
かもちょうきた(じぞうだに)
加茂町北(地蔵谷)
かもちょうきた(たかがはら)
加茂町北(鷹ケ原)
かもちょうきた(たかやま)
加茂町北(高山)
かもちょうきた(たぬぎたに)
加茂町北(狸谷)
かもちょうきた(だいみょうじん)
加茂町北(大明神)
かもちょうきた(つくだ)
加茂町北(佃)
かもちょうきた(ないば)
加茂町北(内場)
かもちょうきた(なかおね)
加茂町北(中尾根)
かもちょうきた(なるたに)
加茂町北(鳴谷)
かもちょうきた(にしかみだ)
加茂町北(西上田)
かもちょうきた(ひがしかみだ)
加茂町北(東上田)
かもちょうきた(ひがしはら)
加茂町北(東原)
かもちょうきた(ひろ)
加茂町北(広)
かもちょうきた(ふなや)
加茂町北(船屋)
かもちょうきた(むろ)
加茂町北(室)
かもちょうきた(やなだに)
加茂町北(ヤナ谷)
かもちょうきた(やまだ)
加茂町北(山田)
かもちょうきた(やまのうえ)
加茂町北(山ノ上)
かもちょうきたしもで
加茂町北下手
かもちょうきたしもで(きたしもで)
加茂町北下手(北下手)
かもちょうきたしもで(きたしもでだに)
加茂町北下手(北下手谷)
かもちょうきただいもん
加茂町北大門
かもちょうきただいもん(さんごじり)
加茂町北大門(三五尻)
かもちょうきただいもん(ちはらだに)
加茂町北大門(千原谷)
かもちょうきただいもん(ほとけだに)
加茂町北大門(仏谷)
かもちょうさと
加茂町里
かもちょうさと(あかだ)
加茂町里(赤田)
かもちょうさと(いしのと)
加茂町里(石ノ戸)
かもちょうさと(うるし)
加茂町里(宇留志)
かもちょうさと(おおのうえ)
加茂町里(尾ノ上)
かもちょうさと(おおやま)
加茂町里(大山)
かもちょうさと(おおやまじ)
加茂町里(大山路)
かもちょうさと(おくやくい)
加茂町里(奥薬井)
かもちょうさと(おくやま)
加茂町里(奥山)
かもちょうさと(おだ)
加茂町里(小田)
かもちょうさと(かめたに)
加茂町里(亀谷)
かもちょうさと(からすだ)
加茂町里(烏田)
かもちょうさと(きたざと)
加茂町里(北里)
かもちょうさと(きたふるた)
加茂町里(北古田)
かもちょうさと(きたむろ)
加茂町里(北室)
かもちょうさと(くさがやま)
加茂町里(草ケ山)
かもちょうさと(くさばたけ)
加茂町里(草畑)
かもちょうさと(くさやま)
加茂町里(草山)
かもちょうさと(くちやくい)
加茂町里(口薬井)
かもちょうさと(さるわたり)
加茂町里(猿渡)
かもちょうさと(しょうまんざん)
加茂町里(成満山)
かもちょうさと(しんど)
加茂町里(新戸)
かもちょうさと(すはら)
加茂町里(須原)
かもちょうさと(ちゅうもんでん)
加茂町里(中門伝)
かもちょうさと(つくだ)
加茂町里(佃)
かもちょうさと(どがはし)
加茂町里(土ケ橋)
かもちょうさと(どんぶり)
加茂町里(土堀)
かもちょうさと(なかもり)
加茂町里(中森)
かもちょうさと(ながお)
加茂町里(長尾)
かもちょうさと(ながおみね)
加茂町里(長尾峰)
かもちょうさと(にしうえだ)
加茂町里(西上田)
かもちょうさと(にしおおまだ)
加茂町里(西大間田)
かもちょうさと(にしくぬぎ)
加茂町里(西椚)
かもちょうさと(にしとりぐち)
加茂町里(西鳥口)
かもちょうさと(ひがしうえだ)
加茂町里(東上田)
かもちょうさと(ひがしおおまだ)
加茂町里(東大間田)
かもちょうさと(ひがしくぬぎ)
加茂町里(東椚)
かもちょうさと(ひがしさと)
加茂町里(東里)
かもちょうさと(ひがしとりぐち)
加茂町里(東鳥口)
かもちょうさと(まるお)
加茂町里(丸尾)
かもちょうさと(まわりみち)
加茂町里(廻り道)
かもちょうさと(みなみざと)
加茂町里(南里)
かもちょうさと(みなみふるた)
加茂町里(南古田)
かもちょうさと(みなみむろ)
加茂町里(南室)
かもちょうさと(やくいだに)
加茂町里(薬井谷)
かもちょうしょうぶ
加茂町勝風
かもちょうしょうぶ(かきたに)
加茂町勝風(柿谷)
かもちょうしょうぶ(かしお)
加茂町勝風(カシヲ)
かもちょうしょうぶ(しものだ)
加茂町勝風(下野田)
かもちょうしょうぶ(でがき)
加茂町勝風(出垣)
かもちょうしょうぶ(とやの)
加茂町勝風(トヤノ)
かもちょうしょうぶ(のだ)
加茂町勝風(野田)
かもちょうしょうぶ(やなぎだに)
加茂町勝風(柳谷)
かもちょうしょうぶ(わしょ)
加茂町勝風(和所)
かもちょうしょうぶ(わたらへ)
加茂町勝風(ワタラヘ)
かもちょうしりえだ
加茂町尻枝
かもちょうしりえだ(あそう)
加茂町尻枝(浅生)
かもちょうしりえだ(うらんじょ)
加茂町尻枝(浦城)
かもちょうしりえだ(かへびや)
加茂町尻枝(カヘビヤ)
かもちょうしりえだ(かみほどしろ)
加茂町尻枝(上程城)
かもちょうしりえだ(かわむかい)
加茂町尻枝(川向)
かもちょうしりえだ(くさやま)
加茂町尻枝(草山)
かもちょうしりえだ(くぬぎ)
加茂町尻枝(椚)
かもちょうしりえだ(しもほどしろ)
加茂町尻枝(下程城)
かもちょうしりえだ(ななつじ)
加茂町尻枝(七辻)
かもちょうしりえだ(なわて)
加茂町尻枝(縄手)
かもちょうしりえだ(ひろしば)
加茂町尻枝(広芝)
かもちょうしりえだ(まえくぬぎ)
加茂町尻枝(前椚)
かもちょうしりえだ(みどろ)
加茂町尻枝(ミドロ)
かもちょうぜず
加茂町銭司
かもちょうぜず(あかいわ)
加茂町銭司(赤岩)
かもちょうぜず(えんしょういわ)
加茂町銭司(円松岩)
かもちょうぜず(えんべっとう)
加茂町銭司(円別当)
かもちょうぜず(おおくぼ)
加茂町銭司(大久保)
かもちょうぜず(おぐら)
加茂町銭司(小倉)
かもちょうぜず(かざお)
加茂町銭司(風尾)
かもちょうぜず(かどた)
加茂町銭司(門田)
かもちょうぜず(かなたに)
加茂町銭司(金谷)
かもちょうぜず(かみがわら)
加茂町銭司(上川原)
かもちょうぜず(かみのもり)
加茂町銭司(上ノ森)
かもちょうぜず(きたのがいと)
加茂町銭司(北ノ垣内)
かもちょうぜず(きんじゅさん)
加茂町銭司(金鋳山)
かもちょうぜず(くらのがいと)
加茂町銭司(蔵ノ垣内)
かもちょうぜず(さかのがいと)
加茂町銭司(坂ノ垣内)
かもちょうぜず(したがわら)
加茂町銭司(下川原)
かもちょうぜず(したのもり)
加茂町銭司(下ノ森)
かもちょうぜず(しみずがだけ)
加茂町銭司(清水ケ嶽)
かもちょうぜず(しゃくいわ)
加茂町銭司(尺岩)
かもちょうぜず(しらいわ)
加茂町銭司(白石)
かもちょうぜず(じんでん)
加茂町銭司(神田)
かもちょうぜず(すみたに)
加茂町銭司(角谷)
かもちょうぜず(そまのお)
加茂町銭司(杣尾)
かもちょうぜず(たかがり)
加茂町銭司(高苅)
かもちょうぜず(つくだ)
加茂町銭司(佃)
かもちょうぜず(なえば)
加茂町銭司(苗場)
かもちょうぜず(なかつじ)
加茂町銭司(仲辻)
かもちょうぜず(なわて)
加茂町銭司(縄手)
かもちょうぜず(にしはた)
加茂町銭司(西畑)
かもちょうぜず(はちがたけ)
加茂町銭司(鉢ケ嶽)
かもちょうぜず(ひがしきり)
加茂町銭司(東切)
かもちょうぜず(ひがしたに)
加茂町銭司(東谷)
かもちょうぜず(まじ)
加茂町銭司(真路)
かもちょうぜず(みのはた)
加茂町銭司(美ノ畑)
かもちょうぜず(みやこだに)
加茂町銭司(宮小谷)
かもちょうぜず(みやのまえ)
加茂町銭司(宮ノ前)
かもちょうぜず(わどう)
加茂町銭司(和銅)
かもちょうたかさり
加茂町高去
かもちょうたかさり(おいず)
加茂町高去(ヲイズ)
かもちょうたかさり(かいと)
加茂町高去(垣内)
かもちょうたかさり(かみだ)
加茂町高去(上田)
かもちょうたかさり(なわて)
加茂町高去(縄手)
かもちょうたかさり(はなはら)
加茂町高去(花原)
かもちょうたかさり(みねがいと)
加茂町高去(峰垣内)
かもちょうたかさり(やまだ)
加茂町高去(山田)
かもちょうたかた
加茂町高田
かもちょうたかた(あかいやま)
加茂町高田(赤井山)
かもちょうたかた(あげだ)
加茂町高田(阿下田)
かもちょうたかた(あわた)
加茂町高田(粟田)
かもちょうたかた(いとう)
加茂町高田(伊藤)
かもちょうたかた(うずらはら)
加茂町高田(鶉原)
かもちょうたかた(おおぎや)
加茂町高田(大木屋)
かもちょうたかた(おくばた)
加茂町高田(奥畑)
かもちょうたかた(かきのうち)
加茂町高田(柿ノ内)
かもちょうたかた(かきのもと)
加茂町高田(柿ノ本)
かもちょうたかた(かみのがいと)
加茂町高田(上ノ垣内)
かもちょうたかた(かみのひら)
加茂町高田(上ノ平)
かもちょうたかた(きょううち)
加茂町高田(京内)
かもちょうたかた(しものひら)
加茂町高田(下ノ平)
かもちょうたかた(すこだに)
加茂町高田(須子谷)
かもちょうたかた(どうのうえ)
加茂町高田(堂ノ上)
かもちょうたかた(なるたに)
加茂町高田(鳴谷)
かもちょうたかた(にごりいけ)
加茂町高田(濁池)
かもちょうたかた(にしのわき)
加茂町高田(西ノ脇)
かもちょうたかた(にしはら)
加茂町高田(西原)
かもちょうたかた(ひがしやま)
加茂町高田(東山)
かもちょうたかた(まきたに)
加茂町高田(槙谷)
かもちょうたかた(またに)
加茂町高田(真谷)
かもちょうたかた(やなぎはら)
加茂町高田(柳原)
かもちょうたかた(わきた)
加茂町高田(脇田)
かもちょうつじ
加茂町辻
かもちょうつじ(おおくぼ)
加茂町辻(大久保)
かもちょうつじ(おおたにがわ)
加茂町辻(大谷川)
かもちょうつじ(かみがいと)
加茂町辻(上垣外)
かもちょうつじ(がいと)
加茂町辻(垣内)
かもちょうつじ(しもがいと)
加茂町辻(下垣外)
かもちょうつじ(なかがいと)
加茂町辻(中垣外)
かもちょうつじ(なかやしき)
加茂町辻(中屋敷)
かもちょうつじ(ながれだ)
加茂町辻(流田)
かもちょうつじ(ななつじ)
加茂町辻(七辻)
かもちょうつじ(ひらた)
加茂町辻(平田)
かもちょうつじ(ひろがいと)
加茂町辻(広垣外)
かもちょうつじ(ふじしろ)
加茂町辻(藤城)
かもちょうつじ(まつお)
加茂町辻(松尾)
かもちょうつじ(みた)
加茂町辻(三田)
かもちょうつじ(ろくたんだ)
加茂町辻(六反田)
かもちょうにし
加茂町西
かもちょうにし(いけだ)
加茂町西(池田)
かもちょうにし(いわのもと)
加茂町西(岩ノ本)
かもちょうにし(うえやま)
加茂町西(上山)
かもちょうにし(うちがいと)
加茂町西(内垣外)
かもちょうにし(かわばた)
加茂町西(川端)
かもちょうにし(しろがいと)
加茂町西(城垣外)
かもちょうにし(でぐち)
加茂町西(出口)
かもちょうにし(にしやま)
加茂町西(西山)
かもちょうにし(ばばじり)
加茂町西(馬場尻)
かもちょうにし(ぼた)
加茂町西(保田)
かもちょうにし(みやのうら)
加茂町西(宮ノ浦)
かもちょうにし(みやのひがし)
加茂町西(宮ノ東)
かもちょうにし(やまばた)
加茂町西(山畑)
かもちょうにしお
加茂町西小
かもちょうにしお(いちのきり)
加茂町西小(一ノ切)
かもちょうにしお(いのたに)
加茂町西小(井ノ谷)
かもちょうにしお(おだ)
加茂町西小(尾田)
かもちょうにしお(さかぐち)
加茂町西小(阪口)
かもちょうにしお(すこだに)
加茂町西小(スコ谷)
かもちょうにしお(ながお)
加茂町西小(長尾)
かもちょうにしお(ながおだに)
加茂町西小(長尾谷)
かもちょうにしお(ながだ)
加茂町西小(長田)
かもちょうにしお(なますだに)
加茂町西小(ナマス谷)
かもちょうにしお(ふたば)
加茂町西小(札場)
かもちょうにしお(みなみだに)
加茂町西小(南谷)
かもちょうにしお(みねばた)
加茂町西小(峰畑)
かもちょうにしお(よんたんだ)
加茂町西小(四反田)
かもちょうひがしおかみ
加茂町東小上
かもちょうひがしおかみ(いしはら)
加茂町東小上(石原)
かもちょうひがしおかみ(うちのくら)
加茂町東小上(内ノ倉)
かもちょうひがしおかみ(うちやま)
加茂町東小上(内山)
かもちょうひがしおかみ(おくやま)
加茂町東小上(奥山)
かもちょうひがしおかみ(たかにわ)
加茂町東小上(高庭)
かもちょうひがしおかみ(たにのした)
加茂町東小上(谷ノ下)
かもちょうひがしおかみ(ひがしだに)
加茂町東小上(東谷)
かもちょうひがしおかみ(ふじしろ)
加茂町東小上(藤城)
かもちょうひがしおかみ(みとろ)
加茂町東小上(ミトロ)
かもちょうひがしおした
加茂町東小下
かもちょうひがしおした(いでぐち)
加茂町東小下(井手口)
かもちょうひがしおした(ひがしのさん)
加茂町東小下(東野山)
かもちょうほっけじの
加茂町法花寺野
かもちょうほっけじの(うえだ)
加茂町法花寺野(植田)
かもちょうほっけじの(おくしがへ)
加茂町法花寺野(奥シガヘ)
かもちょうほっけじの(おもてばた)
加茂町法花寺野(表畑)
かもちょうほっけじの(くぼ)
加茂町法花寺野(久保)
かもちょうほっけじの(こうやくたに)
加茂町法花寺野(コウヤク谷)
かもちょうほっけじの(さかのかみ)
加茂町法花寺野(坂ノ上)
かもちょうほっけじの(さと)
加茂町法花寺野(里)
かもちょうほっけじの(しもぎり)
加茂町法花寺野(下切)
かもちょうほっけじの(なかぎり)
加茂町法花寺野(中切)
かもちょうほっけじの(にしのひら)
加茂町法花寺野(西ノ平)
かもちょうほっけじの(にしのまえ)
加茂町法花寺野(西ノ前)
かもちょうほっけじの(ふろた)
加茂町法花寺野(風呂田)
かもちょうほっけじの(みなみだに)
加茂町法花寺野(南谷)
かもちょうほっけじの(みね)
加茂町法花寺野(峰)
かもちょうほっけじの(みやた)
加茂町法花寺野(宮田)
かもちょうほっけじの(もんでん)
加茂町法花寺野(門田)
かもちょうみなみ
加茂町美浪
かもちょうみなみ(あおきやま)
加茂町美浪(青木山)
かもちょうみなみ(おおはら)
加茂町美浪(大原)
かもちょうみなみ(くぬぎ)
加茂町美浪(椚)
かもちょうみなみ(ながお)
加茂町美浪(長尾)
かもちょうみなみ(ばばだに)
加茂町美浪(馬場谷)
かもちょうみなみ(みなみ)
加茂町美浪(南)
かもちょうみなみしもで
加茂町南下手
かもちょうみなみしもで(いまど)
加茂町南下手(今戸)
かもちょうみなみしもで(うらきど)
加茂町南下手(浦木戸)
かもちょうみなみしもで(くらのまち)
加茂町南下手(倉ノ町)
かもちょうみなみしもで(じょうのひら)
加茂町南下手(城ノ平)
かもちょうみなみしもで(なかお)
加茂町南下手(中尾)
かもちょうみなみしもで(ながさか)
加茂町南下手(長坂)
かもちょうみなみしもで(はとか)
加茂町南下手(羽戸下)
かもちょうみなみしもで(やまとがいと)
加茂町南下手(大和垣)
かもちょうみなみしもで(ゆやじり)
加茂町南下手(湯屋尻)
かもちょうみなみしもで(よしみず)
加茂町南下手(吉水)
かもちょうみなみだいもん
加茂町南大門
かもちょうみなみだいもん(いもだん)
加茂町南大門(芋谷)
かもちょうみなみだいもん(どうのはた)
加茂町南大門(堂畑)
かもちょうみなみだいもん(みどろ)
加茂町南大門(ミドロ)
かもちょうもり
加茂町森
かもちょうもり(あいざか)
加茂町森(相坂)
かもちょうもり(うえがいと)
加茂町森(上垣外)
かもちょうもり(かまのまえ)
加茂町森(釜ノ前)
かもちょうもり(したがいと)
加茂町森(下垣外)
かもちょうもり(だらにでん)
加茂町森(ダラニ田)
かもちょうもり(なかがいと)
加茂町森(中垣外)
かもちょうもり(まつばさん)
加茂町森(松葉山)
かもちょうやまだ
加茂町山田
かもちょうやまだ(いわおやま)
加茂町山田(岩尾山)
かもちょうやまだ(おおかみひら)
加茂町山田(狼平)
かもちょうやまだ(おなだ)
加茂町山田(尾名田)
かもちょうやまだ(かきのきひら)
加茂町山田(柿木平)
かもちょうやまだ(かたはら)
加茂町山田(片原)
かもちょうやまだ(かみだ)
加茂町山田(神田)
かもちょうやまだ(きょうがつか)
加茂町山田(経ケ塚)
かもちょうやまだ(くりやけ)
加茂町山田(栗焼)
かもちょうやまだ(けんとくだに)
加茂町山田(賢徳谷)
かもちょうやまだ(たていわ)
加茂町山田(立岩)
かもちょうやまだ(なるたに)
加茂町山田(鳴谷)
かもちょうやまだ(にしやまだ)
加茂町山田(西山田)
かもちょうやまだ(のだ)
加茂町山田(野田)
かもちょうやまだ(ひがしやまだ)
加茂町山田(東山田)
かもちょうやまだ(やつお)
加茂町山田(八ツ尾)
かもちょうやまだ(わかやま)
加茂町山田(若山)
かもちょうれいへい
加茂町例幣
かもちょうれいへい(いけのうち)
加茂町例幣(池ノ内)
かもちょうれいへい(いけのたに)
加茂町例幣(池ノ谷)
かもちょうれいへい(いしがつじ)
加茂町例幣(石ケ辻)
かもちょうれいへい(いたやがいと)
加茂町例幣(板谷垣内)
かもちょうれいへい(いないがいと)
加茂町例幣(稲垣内)
かもちょうれいへい(うえの)
加茂町例幣(上野)
かもちょうれいへい(うえのがいと)
加茂町例幣(上ノ垣内)
かもちょうれいへい(うしろだ)
加茂町例幣(後田)
かもちょうれいへい(うしろばた)
加茂町例幣(後畑)
かもちょうれいへい(うしろやま)
加茂町例幣(後山)
かもちょうれいへい(うちがいと)
加茂町例幣(内垣外)
かもちょうれいへい(おおいだに)
加茂町例幣(大井谷)
かもちょうれいへい(おおかみだに)
加茂町例幣(狼谷)
かもちょうれいへい(おおくぼ)
加茂町例幣(大久保)
かもちょうれいへい(おくだ)
加茂町例幣(奥田)
かもちょうれいへい(おくのひら)
加茂町例幣(奥ノ平)
かもちょうれいへい(おのうえ)
加茂町例幣(尾ノ上)
かもちょうれいへい(かいじゅうさんけいがい)
加茂町例幣(海住山境外)
かもちょうれいへい(かきのうち)
加茂町例幣(柿ノ内)
かもちょうれいへい(かじやがいと)
加茂町例幣(鍛治屋垣内)
かもちょうれいへい(かねがつじ)
加茂町例幣(金ケ辻)
かもちょうれいへい(かぶろ)
加茂町例幣(カブロ)
かもちょうれいへい(かわらがま)
加茂町例幣(瓦釜)
かもちょうれいへい(かんじょ)
加茂町例幣(欠所)
かもちょうれいへい(くちのひら)
加茂町例幣(口ノ平)
かもちょうれいへい(このはやし)
加茂町例幣(小の林)
かもちょうれいへい(こばやし)
加茂町例幣(小林)
かもちょうれいへい(しものがいと)
加茂町例幣(下ノ垣内)
かもちょうれいへい(しょうとうあん)
加茂町例幣(正等庵)
かもちょうれいへい(しょうのひら)
加茂町例幣(正ノ平)
かもちょうれいへい(すがだに)
加茂町例幣(菅谷)
かもちょうれいへい(すぎたに)
加茂町例幣(杉谷)
かもちょうれいへい(すなだ)
加茂町例幣(砂田)
かもちょうれいへい(すなはし)
加茂町例幣(砂橋)
かもちょうれいへい(そのがいと)
加茂町例幣(園垣内)
かもちょうれいへい(たかひ)
加茂町例幣(高樋)
かもちょうれいへい(たからだ)
加茂町例幣(宝田)
かもちょうれいへい(たてかわ)
加茂町例幣(立川)
かもちょうれいへい(との)
加茂町例幣(殿野)
かもちょうれいへい(とびしろ)
加茂町例幣(飛城)
かもちょうれいへい(なかぎり)
加茂町例幣(中切)
かもちょうれいへい(ならがいと)
加茂町例幣(奈良垣内)
かもちょうれいへい(にしのたに)
加茂町例幣(西ノ谷)
かもちょうれいへい(のぼりがいと)
加茂町例幣(登垣内)
かもちょうれいへい(はさま)
加茂町例幣(狭間)
かもちょうれいへい(はたがだに)
加茂町例幣(畑ヶ谷)
かもちょうれいへい(はやしのまえ)
加茂町例幣(林ノ前)
かもちょうれいへい(ひがしやま)
加茂町例幣(東山)
かもちょうれいへい(ひらた)
加茂町例幣(平田)
かもちょうれいへい(ぶっしょうじやま)
加茂町例幣(仏生寺山)
かもちょうれいへい(へやのき)
加茂町例幣(部屋軒)
かもちょうれいへい(ほうしょうじまえ)
加茂町例幣(法性寺前)
かもちょうれいへい(ほうじゅあん)
加茂町例幣(法寿庵)
かもちょうれいへい(ほとけのだに)
加茂町例幣(仏ノ谷)
かもちょうれいへい(ぼうがたにぐち)
加茂町例幣(坊ケ谷口)
かもちょうれいへい(ぼたのくち)
加茂町例幣(保田ノ口)
かもちょうれいへい(まつがつじ)
加茂町例幣(松ケ辻)
かもちょうれいへい(まめろ)
加茂町例幣(マメロ)
かもちょうれいへい(みずさき)
加茂町例幣(水崎)
かもちょうれいへい(みぞがいと)
加茂町例幣(溝垣内)
かもちょうれいへい(もりした)
加茂町例幣(森下)
かもちょうれいへい(やなぎもと)
加茂町例幣(柳元)
かもちょうれいへい(やまぐち)
加茂町例幣(山口)
かもちょうれいへい(やまのうえ)
加茂町例幣(山ノ上)
かもちょうれいへい(わきだ)
加茂町例幣(脇田)
かもちょうれいへい(わさじ)
加茂町例幣(ワサジ)
きづ
木津
きづ(いけだ)
木津(池田)
きづ(いしづか)
木津(石塚)
きづ(いましろ)
木津(今城)
きづ(うちだやま)
木津(内田山)
きづ(うまがせ)
木津(馬ヶ瀬)
きづ(おおたに)
木津(大谷)
きづ(おおつぎ)
木津(大次)
きづ(おがわ)
木津(小川)
きづ(かたやま)
木津(片山)
きづ(かまがたに)
木津(釜ヶ谷)
きづ(かわはらだ)
木津(川原田)
きづ(かわばた)
木津(川端)
きづ(かわらだに)
木津(瓦谷)
きづ(かんでん)
木津(神田)
きづ(くもむら)
木津(雲村)
きづ(こがま)
木津(小釜)
きづ(しみず)
木津(清水)
きづ(しもがわら)
木津(下川原)
きづ(しらくち)
木津(白口)
きづ(じょうご)
木津(上戸)
きづ(たなかまえ)
木津(田中前)
きづ(てんじんやま)
木津(天神山)
きづ(とのしろ)
木津(殿城)
きづ(ならみち)
木津(奈良道)
きづ(にしがいと)
木津(西垣外)
きづ(にしこばやし)
木津(西小林)
きづ(のいろ)
木津(野色)
きづ(はちがつぼ)
木津(八ヶ坪)
きづ(ばばみなみ)
木津(馬場南)
きづ(ひがしこばやし)
木津(東小林)
きづ(みなごせ)
木津(南後背)
きづ(みなみがいと)
木津(南垣外)
きづ(みやのうち)
木津(宮ノ内)
きづ(みやのうら)
木津(宮ノ裏)
きづ(みやのほり)
木津(宮ノ堀)
きづ(もんび)
木津(門樋)
きづ(やいろ)
木津(八色)
きづ(やご)
木津(八後)
きづ(やまだがわ)
木津(山田川)
きづえきまえ
木津駅前
きづがわだい
木津川台
きづまち
木津町
きづまち(うちがいと)
木津町(内垣外)
きづまち(かわらだに)
木津町(瓦谷)
きづまち(かんでん)
木津町(神田)
きづまち(とのしろ)
木津町(殿城)
きづまち(ならみち)
木津町(奈良道)
きづまち(にしがいと)
木津町(西垣外)
きづまち(はちがつぼ)
木津町(八ヶ坪)
きづまち(みなみがいと)
木津町(南垣外)
きづまち(みやのうち)
木津町(宮ノ内)
くにみだい
州見台
さ
さがなか
相楽
さがなか(あさかり)
相楽(朝苅)
さがなか(いっしんどう)
相楽(一新堂)
さがなか(いやでん)
相楽(熊野田)
さがなか(おおざと)
相楽(大里)
さがなか(おおせんどう)
相楽(大仙堂)
さがなか(おけもと)
相楽(桶本)
さがなか(かきがつぼ)
相楽(柿ヶ坪)
さがなか(かただ)
相楽(片田)
さがなか(かわくぼ)
相楽(川久保)
さがなか(かわのしり)
相楽(川ノ尻)
さがなか(きしまどう)
相楽(岸間堂)
さがなか(きたしんでん)
相楽(北新田)
さがなか(こうじんづか)
相楽(荒神塚)
さがなか(さいのかみ)
相楽(才ノ神)
さがなか(しみず)
相楽(清水)
さがなか(しもいで)
相楽(下井手)
さがなか(しょうか)
相楽(庄下)
さがなか(しろした)
相楽(城下)
さがなか(しろにし)
相楽(城西)
さがなか(しろのほり)
相楽(城ノ堀)
さがなか(しんどうまえ)
相楽(新堂前)
さがなか(じごくだ)
相楽(地獄田)
さがなか(じんごはら)
相楽(神後原)
さがなか(たかした)
相楽(高下)
さがなか(たつがつぼ)
相楽(辰ヶ坪)
さがなか(だいとく)
相楽(大徳)
さがなか(だいなごん)
相楽(大納言)
さがなか(だるま)
相楽(達摩)
さがなか(つるのまち)
相楽(鶴ノ町)
さがなか(とりい)
相楽(鳥井)
さがなか(どうのうら)
相楽(堂ノ浦)
さがなか(どしやま)
相楽(土師山)
さがなか(なかみぞ)
相楽(中溝)
さがなか(にしとさき)
相楽(西戸崎)
さがなか(にしのみや)
相楽(西ノ宮)
さがなか(にしむら)
相楽(西村)
さがなか(のいり)
相楽(野入)
さがなか(はちがつぼ)
相楽(八ヶ坪)
さがなか(ばば)
相楽(馬場)
さがなか(ひがしとさき)
相楽(東戸崎)
さがなか(ひめこ)
相楽(姫子)
さがなか(ふくろび)
相楽(袋樋)
さがなか(ふるかわ)
相楽(古川)
さがなか(まとば)
相楽(的場)
さがなか(まるつか)
相楽(丸塚)
さがなか(みょうごまえ)
相楽(明後前)
さがなか(やままつがわ)
相楽(山松川)
さがなかだい
相楽台
しろやまだい
城山台
な
ながもだい
南加茂台
は
はぜ
吐師
はぜ(いおじ)
吐師(医王寺)
はぜ(いけのしり)
吐師(池ノ尻)
はぜ(いずみだに)
吐師(泉谷)
はぜ(いなば)
吐師(稲葉)
はぜ(うえむら)
吐師(上村)
はぜ(うめのき)
吐師(梅ノ木)
はぜ(おくいおじ)
吐師(奥医王寺)
はぜ(かみかしわだに)
吐師(上柏谷)
はぜ(かみがいと)
吐師(上垣外)
はぜ(かみがわら)
吐師(上河原)
はぜ(かわのしり)
吐師(川ノ尻)
はぜ(きたごし)
吐師(北越)
はぜ(きたのちゅうじょう)
吐師(北ノ中条)
はぜ(くぼ)
吐師(久保)
はぜ(くぼした)
吐師(久保下)
はぜ(こばやし)
吐師(小林)
はぜ(ごうわだ)
吐師(郷和田)
はぜ(しもい)
吐師(下井)
はぜ(しもかしわだに)
吐師(下柏谷)
はぜ(しもがわら)
吐師(下河原)
はぜ(しもだ)
吐師(下田)
はぜ(しんでん)
吐師(新田)
はぜ(たかひ)
吐師(高樋)
はぜ(なかがいと)
吐師(中垣内)
はぜ(なかがわら)
吐師(中河原)
はぜ(なかのちゅうじょう)
吐師(中ノ中条)
はぜ(にしがいと)
吐師(西垣内)
はぜ(のま)
吐師(野間)
はぜ(ぼうがだに)
吐師(坊ヶ谷)
はぜ(まえのはし)
吐師(前ノ橋)
はぜ(まつば)
吐師(松葉)
はぜ(みなみのちゅうじょう)
吐師(南ノ中条)
はぜ(みやのまえ)
吐師(宮ノ前)
はぜ(やなぎはら)
吐師(柳原)
はぜ(やました)
吐師(山下)
や
やましろちょうかばた
山城町綺田
やましろちょうかばた(あやすぎ)
山城町綺田(綾杉)
やましろちょうかばた(うちがいと)
山城町綺田(内垣外)
やましろちょうかばた(おなし)
山城町綺田(尾無)
やましろちょうかばた(かしわだに)
山城町綺田(柏谷)
やましろちょうかばた(かみのき)
山城町綺田(神ノ木)
やましろちょうかばた(かわくぼ)
山城町綺田(川久保)
やましろちょうかばた(きたむら)
山城町綺田(北村)
やましろちょうかばた(くるまだに)
山城町綺田(車谷)
やましろちょうかばた(こつぼ)
山城町綺田(小坪)
やましろちょうかばた(しぶかわ)
山城町綺田(渋川)
やましろちょうかばた(しょうでん)
山城町綺田(正天)
やましろちょうかばた(じごくだに)
山城町綺田(地獄谷)
やましろちょうかばた(そとたかしま)
山城町綺田(外高島)
やましろちょうかばた(たかしま)
山城町綺田(高島)
やましろちょうかばた(つぼねづか)
山城町綺田(局塚)
やましろちょうかばた(でがいと)
山城町綺田(出垣外)
やましろちょうかばた(とうこうじだに)
山城町綺田(東光寺谷)
やましろちょうかばた(とだや)
山城町綺田(戸田家)
やましろちょうかばた(とりい)
山城町綺田(鳥居)
やましろちょうかばた(なかはま)
山城町綺田(中浜)
やましろちょうかばた(にしがいと)
山城町綺田(西垣外)
やましろちょうかばた(にしのくち)
山城町綺田(西ノ口)
やましろちょうかばた(にしのじょう)
山城町綺田(西ノ城)
やましろちょうかばた(のだ)
山城町綺田(野田)
やましろちょうかばた(はま)
山城町綺田(浜)
やましろちょうかばた(ひらやま)
山城町綺田(平山)
やましろちょうかばた(へいご)
山城町綺田(平後)
やましろちょうかばた(みなみがわら)
山城町綺田(南河原)
やましろちょうかばた(みのがいと)
山城町綺田(美濃垣外)
やましろちょうかばた(やぶうら)
山城町綺田(藪浦)
やましろちょうかばた(やまぎわ)
山城町綺田(山際)
やましろちょうかばた(やまぐち)
山城町綺田(山口)
やましろちょうかばた(やまのうえ)
山城町綺田(山ノ上)
やましろちょうかばた(よどだに)
山城町綺田(淀谷)
やましろちょうかばた(よどむら)
山城町綺田(淀村)
やましろちょうかばた(わたりど)
山城町綺田(渡り戸)
やましろちょうかみこま
山城町上狛
やましろちょうかみこま(いっぽんぎ)
山城町上狛(一本木)
やましろちょうかみこま(いぬいまち)
山城町上狛(乾町)
やましろちょうかみこま(うえがいと)
山城町上狛(植垣外)
やましろちょうかみこま(うおだに)
山城町上狛(魚谷)
やましろちょうかみこま(うしとらちょう)
山城町上狛(艮町)
やましろちょうかみこま(えのきがいと)
山城町上狛(榎垣外)
やましろちょうかみこま(おいごし)
山城町上狛(追越)
やましろちょうかみこま(おいのがいと)
山城町上狛(老垣外)
やましろちょうかみこま(おおたけ)
山城町上狛(大竹)
やましろちょうかみこま(おおたに)
山城町上狛(大谷)
やましろちょうかみこま(おおめがね)
山城町上狛(大目鑑)
やましろちょうかみこま(おくかつやま)
山城町上狛(奥勝山)
やましろちょうかみこま(おすぎだに)
山城町上狛(小杉谷)
やましろちょうかみこま(おちべ)
山城町上狛(落辺)
やましろちょうかみこま(かぎがいと)
山城町上狛(鍵垣外)
やましろちょうかみこま(かなむら)
山城町上狛(金村)
やましろちょうかみこま(かみかつやま)
山城町上狛(上勝山)
やましろちょうかみこま(かわら)
山城町上狛(川原)
やましろちょうかみこま(がっこう)
山城町上狛(学校)
やましろちょうかみこま(がっこうまえ)
山城町上狛(学校前)
やましろちょうかみこま(きたあらぼり)
山城町上狛(北荒堀)
やましろちょうかみこま(きたくわがいと)
山城町上狛(北桑垣外)
やましろちょうかみこま(きたしのみや)
山城町上狛(北四ノ宮)
やましろちょうかみこま(きたのだしば)
山城町上狛(北野田芝)
やましろちょうかみこま(きたまとば)
山城町上狛(北的場)
やましろちょうかみこま(きよもりやま)
山城町上狛(清盛山)
やましろちょうかみこま(くちかつやま)
山城町上狛(口勝山)
やましろちょうかみこま(くろもと)
山城町上狛(黒本)
やましろちょうかみこま(こうずけ)
山城町上狛(上野)
やましろちょうかみこま(こぐちばた)
山城町上狛(小口畑)
やましろちょうかみこま(こまでら)
山城町上狛(高麗寺)
やましろちょうかみこま(ごこうみち)
山城町上狛(御幸道)
やましろちょうかみこま(さいごろうだに)
山城町上狛(才五郎谷)
やましろちょうかみこま(さいのかみ)
山城町上狛(才ノ神)
やましろちょうかみこま(さるいけ)
山城町上狛(猿池)
やましろちょうかみこま(ざくろがいと)
山城町上狛(柘榴垣外)
やましろちょうかみこま(しちょうまち)
山城町上狛(四丁町)
やましろちょうかみこま(しょじょがいと)
山城町上狛(猩々垣外)
やましろちょうかみこま(すずはた)
山城町上狛(鈴畑)
やましろちょうかみこま(せんりょういわ)
山城町上狛(千両岩)
やましろちょうかみこま(そね)
山城町上狛(曽根)
やましろちょうかみこま(ぞぞがいと)
山城町上狛(造々垣外)
やましろちょうかみこま(たいしょうぐん)
山城町上狛(大将軍)
やましろちょうかみこま(たかがき)
山城町上狛(高垣)
やましろちょうかみこま(たからもと)
山城町上狛(宝本)
やましろちょうかみこま(たつみちょう)
山城町上狛(巽町)
やましろちょうかみこま(ちさえ)
山城町上狛(チサエ)
やましろちょうかみこま(ちょうずがいと)
山城町上狛(手水垣外)
やましろちょうかみこま(つじろ)
山城町上狛(鶴白)
やましろちょうかみこま(てんじくどう)
山城町上狛(天竺堂)
やましろちょうかみこま(とりい)
山城町上狛(鳥井)
やましろちょうかみこま(ないじょ)
山城町上狛(内瀬)
やましろちょうかみこま(なかいど)
山城町上狛(中井戸)
やましろちょうかみこま(なかきしした)
山城町上狛(中岸下)
やましろちょうかみこま(なかくわがいと)
山城町上狛(中桑垣外)
やましろちょうかみこま(なわて)
山城町上狛(縄手)
やましろちょうかみこま(にしいしがいと)
山城町上狛(西石垣外)
やましろちょうかみこま(にしうらだい)
山城町上狛(西浦代)
やましろちょうかみこま(にしきしした)
山城町上狛(西岸下)
やましろちょうかみこま(にしした)
山城町上狛(西下)
やましろちょうかみこま(にしつくりみち)
山城町上狛(西作り道)
やましろちょうかみこま(にしとの)
山城町上狛(西殿)
やましろちょうかみこま(にしのくち)
山城町上狛(西ノ口)
やましろちょうかみこま(にしのばやし)
山城町上狛(西林)
やましろちょうかみこま(にしはたいっちょうめ)
山城町上狛(西畑1丁目)
やましろちょうかみこま(にしはたごちょうめ)
山城町上狛(西畑5丁目)
やましろちょうかみこま(にしはたさんちょうめ)
山城町上狛(西畑3丁目)
やましろちょうかみこま(にしはたにちょうめ)
山城町上狛(西畑2丁目)
やましろちょうかみこま(にしはたよんちょうめ)
山城町上狛(西畑4丁目)
やましろちょうかみこま(にしみょうかん)
山城町上狛(西明官)
やましろちょうかみこま(のびむかい)
山城町上狛(野日向)
やましろちょうかみこま(はすいけ)
山城町上狛(蓮池)
やましろちょうかみこま(ひがしいしがいと)
山城町上狛(東石垣外)
やましろちょうかみこま(ひがしきしした)
山城町上狛(東岸下)
やましろちょうかみこま(ひがしした)
山城町上狛(東下)
やましろちょうかみこま(ひがしつくりみち)
山城町上狛(東作り道)
やましろちょうかみこま(ひがしばやし)
山城町上狛(東林)
やましろちょうかみこま(ひがしみょうかん)
山城町上狛(東明官)
やましろちょうかみこま(ひつじさるちょう)
山城町上狛(坤町)
やましろちょうかみこま(ひづめ)
山城町上狛(日詰)
やましろちょうかみこま(ひのきだに)
山城町上狛(桧谷)
やましろちょうかみこま(ひらのはた)
山城町上狛(平ノ畑)
やましろちょうかみこま(ふくろだに)
山城町上狛(袋谷)
やましろちょうかみこま(ふじわら)
山城町上狛(藤原)
やましろちょうかみこま(ふろだ)
山城町上狛(風呂田)
やましろちょうかみこま(ほらがだに)
山城町上狛(洞ヶ谷)
やましろちょうかみこま(まえはた)
山城町上狛(前畑)
やましろちょうかみこま(まつかさ)
山城町上狛(松笠)
やましろちょうかみこま(まとば)
山城町上狛(的場)
やましろちょうかみこま(みぞぐち)
山城町上狛(溝口)
やましろちょうかみこま(みなみあらぼり)
山城町上狛(南荒堀)
やましろちょうかみこま(みなみくわがいと)
山城町上狛(南桑垣外)
やましろちょうかみこま(みなみしのみや)
山城町上狛(南四ノ宮)
やましろちょうかみこま(みなみのだしば)
山城町上狛(南野田芝)
やましろちょうかみこま(むかいばやし)
山城町上狛(向林)
やましろちょうかみこま(もりのまえ)
山城町上狛(森ノ前)
やましろちょうかみこま(やまがみ)
山城町上狛(山神)
やましろちょうかみこま(やまのなか)
山城町上狛(山ノ中)
やましろちょうかみこま(ろくたん)
山城町上狛(六反)
やましろちょうきたがわら
山城町北河原
やましろちょうきたがわら(いぬいがわら)
山城町北河原(乾川原)
やましろちょうきたがわら(うちはた)
山城町北河原(内畑)
やましろちょうきたがわら(かきのきはら)
山城町北河原(柿ノ木原)
やましろちょうきたがわら(きたやま)
山城町北河原(北山)
やましろちょうきたがわら(すみだ)
山城町北河原(角田)
やましろちょうきたがわら(つるめん)
山城町北河原(鶴面)
やましろちょうきたがわら(どうのうえ)
山城町北河原(堂ノ上)
やましろちょうきたがわら(はたおか)
山城町北河原(畑岡)
やましろちょうきたがわら(ふるやしき)
山城町北河原(古屋敷)
やましろちょうきたがわら(みなみやま)
山城町北河原(南山)
やましろちょうじんどうじ
山城町神童子
やましろちょうじんどうじ(あしはらだに)
山城町神童子(芦原谷)
やましろちょうじんどうじ(きたはら)
山城町神童子(北原)
やましろちょうじんどうじ(さくらとうげ)
山城町神童子(桜峠)
やましろちょうじんどうじ(しょうぶだに)
山城町神童子(菖蒲谷)
やましろちょうじんどうじ(じゅうだに)
山城町神童子(重谷)
やましろちょうじんどうじ(ふせだに)
山城町神童子(不晴谷)
やましろちょうじんどうじ(ゆきとうげ)
山城町神童子(雪峠)
やましろちょうじんどうじ(よこみね)
山城町神童子(横峰)
やましろちょうじんどうじ(よしのだに)
山城町神童子(芳野谷)
やましろちょうつばい
山城町椿井
やましろちょうつばい(あんのひら)
山城町椿井(安ノ平)
やましろちょうつばい(いがおち)
山城町椿井(伊賀落)
やましろちょうつばい(おおたに)
山城町椿井(大谷)
やましろちょうつばい(おおひら)
山城町椿井(大平)
やましろちょうつばい(おちあい)
山城町椿井(落合)
やましろちょうつばい(かいちょうでん)
山城町椿井(開帳電)
やましろちょうつばい(かんこうぼう)
山城町椿井(寒光坊)
やましろちょうつばい(きただい)
山城町椿井(北代)
やましろちょうつばい(きたの)
山城町椿井(北野)
やましろちょうつばい(きりがしき)
山城町椿井(切ヶ敷)
やましろちょうつばい(こうずけ)
山城町椿井(上野)
やましろちょうつばい(ごりょうご)
山城町椿井(御霊後)
やましろちょうつばい(さかのした)
山城町椿井(坂ノ下)
やましろちょうつばい(さんがい)
山城町椿井(三階)
やましろちょうつばい(しろのうち)
山城町椿井(城ノ内)
やましろちょうつばい(たいしょうぐん)
山城町椿井(大将軍)
やましろちょうつばい(てんじきどう)
山城町椿井(天敷堂)
やましろちょうつばい(でんご)
山城町椿井(田護)
やましろちょうつばい(でんごひら)
山城町椿井(田護平)
やましろちょうつばい(とりい)
山城町椿井(鳥井)
やましろちょうつばい(どうがいと)
山城町椿井(堂垣内)
やましろちょうつばい(どどみ)
山城町椿井(度々見)
やましろちょうつばい(なかがいと)
山城町椿井(中垣内)
やましろちょうつばい(なわて)
山城町椿井(縄手)
やましろちょうつばい(にしがいと)
山城町椿井(西垣内)
やましろちょうつばい(にしがみね)
山城町椿井(西ヶ峯)
やましろちょうつばい(のだお)
山城町椿井(野田尾)
やましろちょうつばい(はたおか)
山城町椿井(畑岡)
やましろちょうつばい(ひがしやま)
山城町椿井(東山)
やましろちょうつばい(ふじわら)
山城町椿井(藤原)
やましろちょうつばい(ふなと)
山城町椿井(舟戸)
やましろちょうつばい(ふるかわ)
山城町椿井(古川)
やましろちょうつばい(まだに)
山城町椿井(間谷)
やましろちょうつばい(まつお)
山城町椿井(松尾)
やましろちょうつばい(まつおざき)
山城町椿井(松尾崎)
やましろちょうつばい(みずがいと)
山城町椿井(水垣内)
やましろちょうつばい(みやしろだに)
山城町椿井(宮城谷)
やましろちょうつばい(やなぎだ)
山城町椿井(柳田)
やましろちょうつばい(ろくたんやぶ)
山城町椿井(六反薮)
やましろちょうひらお
山城町平尾
やましろちょうひらお(あやすぎがわら)
山城町平尾(綾杉河原)
やましろちょうひらお(いけづら)
山城町平尾(池顔)
やましろちょうひらお(いちひめ)
山城町平尾(市姫)
やましろちょうひらお(うえがわら)
山城町平尾(上河原)
やましろちょうひらお(えっちゅうだに)
山城町平尾(越中谷)
やましろちょうひらお(おおたに)
山城町平尾(大谷)
やましろちょうひらお(かきのき)
山城町平尾(柿ノ木)
やましろちょうひらお(かみがいと)
山城町平尾(上垣内)
やましろちょうひらお(かみそとのはま)
山城町平尾(上外ノ浜)
やましろちょうひらお(きしのうら)
山城町平尾(岸ノ浦)
やましろちょうひらお(きたがいと)
山城町平尾(北垣内)
やましろちょうひらお(きたはぎのたに)
山城町平尾(北萩ノ谷)
やましろちょうひらお(きたはらど)
山城町平尾(北払戸)
やましろちょうひらお(こしごえ)
山城町平尾(腰越)
やましろちょうひらお(こじま)
山城町平尾(小島)
やましろちょうひらお(こめだし)
山城町平尾(米出)
やましろちょうひらお(こもいけ)
山城町平尾(菰池)
やましろちょうひらお(さがりまつ)
山城町平尾(下り松)
やましろちょうひらお(さとやしき)
山城町平尾(里屋敷)
やましろちょうひらお(さんしょづか)
山城町平尾(三所塚)
やましろちょうひらお(じょうがいと)
山城町平尾(城垣内)
やましろちょうひらお(じょうやま)
山城町平尾(城山)
やましろちょうひらお(そとのはま)
山城町平尾(外ノ浜)
やましろちょうひらお(たかしま)
山城町平尾(高島)
やましろちょうひらお(たんだ)
山城町平尾(丹タ)
やましろちょうひらお(ちゃやまえ)
山城町平尾(茶屋前)
やましろちょうひらお(なかがいと)
山城町平尾(中垣内)
やましろちょうひらお(なかがわら)
山城町平尾(中川原)
やましろちょうひらお(なかふるかわ)
山城町平尾(中古川)
やましろちょうひらお(なかみぞ)
山城町平尾(中溝)
やましろちょうひらお(ながれづつみ)
山城町平尾(流堤)
やましろちょうひらお(にしがわら)
山城町平尾(西河原)
やましろちょうひらお(にしくろべ)
山城町平尾(西黒部)
やましろちょうひらお(にしぐち)
山城町平尾(西口)
やましろちょうひらお(にしのつじ)
山城町平尾(西ノ辻)
やましろちょうひらお(にしふるかわ)
山城町平尾(西古川)
やましろちょうひらお(にしほうぎ)
山城町平尾(西方儀)
やましろちょうひらお(ねんぶつと)
山城町平尾(念仏戸)
やましろちょうひらお(はかのたに)
山城町平尾(墓ノ谷)
やましろちょうひらお(はぎのたに)
山城町平尾(萩ノ谷)
やましろちょうひらお(はた)
山城町平尾(畑)
やましろちょうひらお(はまやしき)
山城町平尾(浜屋敷)
やましろちょうひらお(ひがしくろべ)
山城町平尾(東黒部)
やましろちょうひらお(ひがしふるかわ)
山城町平尾(東古川)
やましろちょうひらお(ひがしほうぎ)
山城町平尾(東方儀)
やましろちょうひらお(ひらき)
山城町平尾(開キ)
やましろちょうひらお(ふえふき)
山城町平尾(笛吹)
やましろちょうひらお(ふちた)
山城町平尾(不知田)
やましろちょうひらお(ぼうのやま)
山城町平尾(坊ノ山)
やましろちょうひらお(まえだ)
山城町平尾(前田)
やましろちょうひらお(みなみはぎのたに)
山城町平尾(南萩ノ谷)
やましろちょうひらお(みなみはらいど)
山城町平尾(南払戸)
やましろちょうひらお(みねやま)
山城町平尾(峰山)
やましろちょうひらお(やまもり)
山城町平尾(山森)
やましろちょうひらお(よこて)
山城町平尾(横手)
西陣織 [京都府の伝統的工芸品等]
西陣織は京都がはぐくんできた高級絹織物で、多品種少量生産方式を基盤とした、先染の紋織物です。織り上がるまでには、企画・図案から意匠紋紙、糸染、整経(セイケイ)、綜絖(ソウコウ)、金銀糸、絣加工等多くの工程があり、これらの一つひとつの工程で熟練した技術者が丹念に作業をしていきます。一口に西陣織と言っても、手の爪をノコギリの歯のようにギザギザに削って図柄を見ながら織り上げる爪掻本綴織(ツメカキホンツヅレオリ)をはじめ、経錦(タテニシキ)、緯錦(ヨコニシキ)、緞子(ドンス)、朱珍(シュチン)、紹巴(ショウハ)、風通(フウツウ)、もじり織、本しぼ織、ビロード、絣織、紬などがあり、国に指定されているだけでも12種類の品種があります。織機には、綴機、手機、力織機の3種類があります。
京都はもともと、平安時代以前にもたらされた帰化人の豪族、秦氏の織技術によって、平安時代から絹織物業が盛んであり、宮廷文化を中心に発展してきました。京都で応仁の乱(1467年~1477年)が起こり、西軍の大将、山名宗全が西に陣をはったことが、今の西陣の地名と西陣織の名称の由来となりました。明治時代に、京都府からの派遣により佐倉常七ら3名が欧州に留学し、フランスからジャカードなどの洋式技術を取り入れ、大幅な技術改良を重ねた西陣は、日本の絹織物業の近代化の魁として新しい発展を遂げることとなりました。日本の近代化とともに歩みを進めた西陣織は、能衣装、打掛、几帳、帯、きもの、金襴など伝統的で高級精緻、絢爛豪華な手織技術と意匠を極めた製品に結晶するとともに、ネクタイ、インテリア、緞帳、ショール、バッグなど新しい分野にも幅広い製品を生み出しています
京鹿の子絞 [京都府の伝統的工芸品等]
絞り染めの技術は、世界各地でみられ、その発祥は、インドとされています。7世紀頃には、絞り染めの技術が日本に伝わっており、日本書紀の記載が絞り染めの最古の記録です。万葉集にも絞り染めの衣装を詠んだ歌があります。10世紀には宮廷衣装にも用いられました。室町・桃山期から江戸前期にかけて一世を風靡した「辻が花染」は絞り染めを駆使した作品の代表的なものです。さらに江戸時代には、「かのこ」「鹿の子絞」「京鹿の子」として広がり、総絞り、刺繍入りの絞り、友禅加工した絞友禅などが生産され、17世紀末の元禄期には、全盛を迎えました。その後も括りという染まらない部分で模様を表す独特の技術は、着実に受け継がれています。
鹿の子と言われる疋田(ひった)絞りや一目(ひとめ)絞りなどその括り粒の精緻さと、あざやかな多色を出すための染め分け技法から生まれる立体感のある美しさとともに、このほかのそれぞれの括り技法の組み合わせで模様が表現されています。手仕事ならではの潤いと暖かさが京鹿の子絞りの特徴です。
その工程は、布地に図案(下絵)を描き入れ、1人1種類の括り技法を持つ技術者が、一粒ずつしけ糸(生糸)で括って、絞っていきますが、その作業はすべて手で行います。絞り染めは、糸をもって布地を強く括ることによって、染色されない部分をつくり出す、また強く括ることによって布地の絞り独特の「粒」や「しわ」をつくり立体感がつくられるもので、染色方法は浸染によります。絞り染めは、最初につくられたデザインが絞り括りをはじめとする防染技術の積み重ねによって、正確に表現されることが生命です。
京友禅・京小紋 [京都府の伝統的工芸品等]
京友禅は、多彩で絵画調の模様をきものにあらわす染めの技術です。この技術は、江戸時代までに編み出されていた染色法をもとにしたもので、元禄年間、京都・祇園あたりに住む扇絵師、宮崎友禅斎が美しく華麗な絵を描くことを加え、手描友禅として確立したと伝えられています。友禅という名称は、この友禅斎から名付けられたということです。
明治には、あざやかで色数の多い化学染料が輸入され、手描友禅の名匠であった広瀬治助によって「写し友禅」として型友禅が発明されました。手描友禅に対して、模様を切り抜いた型紙を使って大量に染めることができる型友禅の出現により、友禅が多くの人に広がっていきました。
京小紋は、武士の裃に端を発し、17世紀頃までにほぼ完成された染めの技法です。江戸時代に、小紋を染めた麻裃が武士の正装となったため、やがて町人文化の自由で粋な感覚を受け、庶民の間にもしゃれた衣装として流行しました。最初、単色が主体でしたが、その後、彩色へと変化し、友禅と影響しあいながら、京都では、京小紋として独自に発展してきました。京小紋の起源としては、基本となる型紙が作られた1200年前と伝えられています。
京小紋には、はんなりとした雅やかな雰囲気があります。色使いや柄ゆきにも優しさや気品に溢れているのがその特徴ですが、最近ではモダンな図案も出てきています。
京繍 [京都府の伝統的工芸品等]
日本での刺繍の歴史は、飛鳥時代からと推定され、この時代の特徴は、仏画を刺繍で表現した掛け物である繍仏です。これが平安建都に伴い、繍技の職人をかかえる縫部司が京都に置かれ、衣服の装飾に用いられ始めたのが、京繍の起こりです。以降、京繍は、十二単(平安時代)、武将の胴服(鎌倉時代)、能衣装(室町時代)と用いられ、華麗な文化が咲き誇った安土・桃山時代には小袖に多用され、さらに発達しました。この動きは江戸時代まで続きます。明治時代以降は、ふくさ、壁掛け、「刺繍絵画」などの作品が現われ、新しい需要が開拓されました。今では、和装品から祭礼品、額に至るまで幅広い製品をつくり出しています。
刺繍とは、一本の針と多色の糸を使って布地などに模様を縫い表す装飾技法で、染、織とともに日本の染織史上重要な位置を占めています。染めたきものや織物に刺繍が加わって、一層華やかさが増すのです。絹織物、麻織物に絹糸、金銀糸を用いて、磨き抜かれた意匠と高度な技術によって製作される京繍は、全体の構図、繍糸の配色、繍技・繍法、これらが一体となって刺繍独自の表現が可能になり、情趣あふれた作品となります。
京繍の技法は、現在、約30種類があり、伝統的工芸品として指定されているのは、繍切り、駒使い繍、まつい繍など15種類あります。
京くみひも [京都府の伝統的工芸品等]
京くみひもは、平安時代より神具・仏具、武士の鎧兜(よろいかぶと)、刀の下げ緒など装身具や調度品に広く使われてきました。現代では、主に帯締、羽織紐など和装用として用いられるほか、アクセサリーなどの新しいものもあります。
古代の縄文時代には、日常生活に簡単なくみひもが使われ、飛鳥・奈良時代に中国や朝鮮から技術がもたらされ、高度で複雑な工芸くみひもが生まれ、当時の遺品は、法隆寺や正倉院に収蔵されています。平安・鎌倉時代になると、唐風から和風へ移り変わり、意匠は優美なものになり、服飾を飾る平緒や袖括(そでくくり)の緒、冠の緒、巻物、箱類、楽器、調度などにもちいられる様々な紐がつくられ、用途範囲が極めて広くなりました。
室町時代になると、茶道の隆盛により、仕覆(しふく)の緒や掛軸の啄木など、わび・さびの思想から意匠も比較的渋くなり、桃山・江戸時代には、庶民にも広がりました。江戸時代には、組み方も多様になり、羽織紐、組帯などさまざまな技巧をこらすようになり、明治、大正、昭和と帯締、和装小物の世界に類のない美しい製品がつくられてきました。
道具は、丸台、角台、綾竹台、高台などがあり、基本的な組み方だけでも、40種類以上あるといわれ、一本一本の糸が綾をなす芸術品です。
京黒紋付染 [京都府の伝統的工芸品等]
京黒紋付染は、婚礼のときに着る黒留袖や、葬儀のときに着る喪服などを黒色に染める伝統技術をいいます。黒染技法には、引染・浸染の2種類があり、黒留袖など模様のある場合は引染で染色し、喪服など無地の場合は浸染で染めます。
黒の技法でもっとも古いと考えられる方法は、墨を生地に付着させる墨染技法で、平安時代ごろから広く行われていた染法とされています。また、大変な労力と手間がかかっていたタンニン質と鉄の媒染による染法は、室町時代から明治時代になり合成染料が一般的に普及するまで黒染の技法として続きました。
明治維新より、国民の礼服が黒紋付羽織袴となってからは、黒紋服は冠婚葬祭の祝儀・不祝儀の儀式用として、また黒地の模様染は婚礼衣装等需要が高まりました。
京仏壇・京仏具 [京都府の伝統的工芸品等]
京都は仏教文化の都でもあり、市内の至る所に大小さまざまな各宗派の寺院が存在しています。こうした多数の寺院と各家庭の需要に応えながら京仏壇・京仏具は発展してきました。
仏具の歴史は、6世紀の仏教伝来とともに始まります。以後、仏教の普及とともに、各宗派それぞれに異なった様式で仏具も分化していき、家の中に一寺院そのまま組み込む形式をとるようになったのが、各家庭における仏壇です。
京都における仏具は、8世紀ごろその製作が始められたと推定され、11世紀初頭に仏師定朝が七条に「仏所」を設け、仏工を集めたのが本格的な仏具の歴史の始まりと考えられます。江戸時代の初めになると、宗門改め制度に伴い、各家庭に仏壇を安置するようになりましたが、これにより各家庭における仏壇の需要が増加し、生産も本格化していきました。
現在に至るまで、京都は仏壇・仏具の一大産地でありましたが、それは単に生産量の面だけではなく、優れた技術及び品質が備わっているということが大きな特徴です。宗派によって仏具の様式もさまざまなことから、大量生産が困難で、また、木工・金工・漆工などあらゆる技術を駆使した総合工芸品であることからも、その生産は、細かい分業にもとづく四十余職種もの専門的な手仕事が中心となっています。これらの条件が重なり、より品質の高いものへと発展していきました。
ところで仏具は、仏教に用いるあらゆるものを意味し、主なものをあげても、仏像、宮殿、厨子、香炉、梵鐘、燭台と何百にも及び、これらの寺院用仏具も、仏壇とともに伝統的な手づくりによって作られています。現在、京都において約70%が寺院用、約30%が家庭用として製作され、また全国の寺院用仏具の多くが京都で作られています。
京漆器 [京都府の伝統的工芸品等]
もともと中国で始まったと伝えられる漆器は、日本でも縄文時代にはすでに使われていたようで、その種類も生活用具だけでなく、仏具、武器、文房具など多岐に及んでいました。
漆地に金粉を散りばめたように見える末金楼(まっきんろ)(蒔絵)が生まれたのは奈良時代のことで、この技法は平安時代へと受け継がれ、発展して、やがて研出蒔絵(とぎだしまきえ)や平蒔絵(ひらまきえ)が完成されたのです。
さらに、鎌倉時代から室町時代になると、高蒔絵、肉合蒔絵(ししあいまきえ)が行われますが、この頃には寺院や貴族などが、特定の蒔絵師をかかえるようになります。この時代に作られた「東山時代物」と呼ばれる数々の作品は、当時の京漆器の精彩ぶりを端的に示していますが、それは「わび」「さび」の境地に徹したまことに味わい深いもので、まさに日本の漆工を代表するものといえます。
安土桃山時代の京漆器は、新しく台頭してきた武士階級の趣味や好みを色濃く反映したものとなり、その様子は大変華麗なものでした。しかし、江戸時代に入ると、こうした豪華さ華麗さの中にも繊細で緻密な趣を持つものが目立つようになります。嵯峨蒔絵や光悦などの作品からもそれがうかがい知れます。
以上のように、室町時代以降、京都は全国漆器産業の中心となり栄えますが、その原動力となったのは、数多くの名工の存在であり、さらには彼らの手と技による品質とデザインの優秀性であることはいうまでもありません。
京指物(京の木工芸) [京都府の伝統的工芸品等]
京の木工芸は、様々な特殊性のある技法や道具を用いてつくる、指物、彫物、挽物(轆轤(ろくろ)細工)、曲物、箍物(たがもの)、刳物(くりもの)を包括しています。それぞれ独自の技法を駆使し、総合的に組み合わせて、調度や茶道具、香道具類ができあがります。
古代、日本は豊かな森林資源に恵まれ、縄文・弥生時代の遺跡からは、加工された木製品が多く出土しています。また、中国や朝鮮から、石や金属の文化とともに渡来した御物や仏像の多くを、木を素材として模倣し、独自の木工芸として昇華させてきました。奈良時代には、その技術は、工芸品の粋といえる正倉院の御物に集約され、都が京に移った平安時代は、公家(作物所)や寺社に守り育てられ、技法、意匠が花開いていきます。そして、鎌倉・室町時代には武家文化、江戸時代には豊かな町人文化や簡素な美を求めた茶道文化が、京の木工芸を育てるに十分な時と場所を与えてきました。
現在でも京都では脈々と受け継がれている文化・歴史的風土、文物の蓄積を糧として、多様な技法を使って表情豊かな作品が制作されています。
京焼・清水焼 [京都府の伝統的工芸品等]
京都におけるやきものの歴史は千二百有余年前に遡ります。奈良時代に、僧行基が清閑寺(東山区清閑寺)に窯を築いて土器を製造しており、その遺跡が茶碗坂といわれています。
京焼・清水焼の歴史に欠かせぬ人物に、野々村仁清(にんせい)がいます。丹波の陶工でしたが、入洛後、茶器を作り、錦手の秘法を会得します。それは華麗で優雅な色絵陶器であり、京焼・清水焼のひとつの頂点ともいえるものでした。また、仁清から直接手ほどきを受けた尾形乾山は、装飾性に富んだ絵模様で、独自の意匠性を加えました。
江戸の末期になると、大雅(たいが)、玉堂(ぎょくどう)など、中国の文人画の流れをくむ南画家が数多く出たことが影響し、京焼・清水焼は色絵陶器と奥田頴川(えいせん)によって開発された磁器に中国風土を加味した二つの世界が生まれます。その後、青木木米(もくべい)や仁阿弥道八(どうはち)、永楽保全(えいらくほぜん)などの名工が続き、伝統的な京焼・清水焼の全盛をもたらし、そのまま今日の薫り高い作品に受け継がれています。
成形については手工法、ロクロ法、石膏型による型押し法、流し込み法など、製品によってそれぞれの技法があります。焼成は、従来、京式登り窯によっていましたが、最近では電気釜やガス釜に移行しています。現在、東山地区のみならず山科や宇治市の炭山地区にもその技術が広がり、新しい京焼・清水焼の創造に意欲を燃やしています。
京扇子・京うちわ [京都府の伝統的工芸品等]
扇子は、平安時代の初めに木簡から派生、京都において創作されたものと考えられます。平安中期には、冬扇、夏扇(桧扇(ひおうぎ)・蝙蝠(かわほり))があり、さらに藤原時代には蘇芳染(すおうぞめ)(天皇・皇太子の桧扇)、杉横目(宿徳以上の老人の桧扇)、そして女子の桧扇(泥絵の扇)も記録に残っています。
室町時代に入ると、唐扇の影響で扇骨が地紙の表と裏の間に入る紙扇が作られるようになります。また、室町時代以降、香道、茶道、舞踊などの発展に伴い、それぞれに用いられる扇子も作られるようになりました。
政治、文化の中心地であった京都では、産業として隆盛を見、江戸をはじめとする諸国へ卸されるようになる一方、海外への輸出も大変古くから行われました。
また、京うちわですが、日本のうちわには中国月扇、朝鮮団扇、南方系葉扇の3系統がある中で、京うちわは、地紙の内部に多数の竹骨を持つ朝鮮団扇の流れをくんでいると考えられます。京うちわの基本的な特徴は挿柄ですが、この挿柄のうちわは、江戸時代の宮廷御用の土佐派、狩野派の絵師による描画の施された御所うちわが始まりで、以後、一般にまで広がっていったものと考えられます。
京石工芸品 [京都府の伝統的工芸品等]
平安建都の際、大内裏の造営のため石の造作が大きく求められました。このことは軟石を主としたこの時代に、礎石などの一部に花崗石が使用され、造作されたあとがその遺構に見られることからも明らかです。
その後、仏教興隆に伴って、古代から宗教的なイメージを持つ石という素材が重用されたこと、工具の進歩、ことに工具の製作や手入れなどの鍛造技術を得たことによって石工技術が発達し、石仏、石塔、石燈籠など、京石工の手による優れた石工芸品が製作されました。
鎌倉時代、政治の中心は鎌倉に移りましたが、文化の中心はやはり京都にありました。当時の石造遺品からは、京都の高い文化と京石工の卓越した技術、技法、「美」に対する鋭い感覚を知ることができます。
また、京都石工技術の向上に大きな影響を与えたものに茶道文化があります。茶人は古くから遺る石工芸品に「わび」「静寂」をくみとり、優れた遺品を珍重しましたが、遺品は数が限られているため、本歌を写した模作を茶庭に設置しました。特に、石燈籠、水鉢、層塔などは茶道との深いつながりの中で、厳しい「美」への要求に応えるとともに技法の特殊な発達を見たのです。
そして近世、ますます増大する寺社の造営と庶民文化の台頭によって需要が増加し、京石工が確固たる地位を築いていったことが在銘遺品の数々からうかがえます。
京人形 [京都府の伝統的工芸品等]
日本は人形の宝庫といわれていますが、それはまた京都を中心として展開してきたともいえます。
平安時代、貴族の子らの間で、「ひいな人形」を使ってのままごと遊びのようなものが流行しました。これが京人形の始まりともいえるでしょう。
江戸時代になると、すべてが江戸中心、将軍中心に変わっていきますが、人形については、変わらず京都を中心に展開して、江戸時代初期には人形職人も数多く輩出され、節句前になると、これらの人形師たちの店先には、さまざまな人形が並べられました。
江戸時代末期になると、御所人形が生まれますが、これは当時の宮廷から諸大名への贈答用としても重宝されました。
京人形は、頭、髪付、手足、小道具、着付など、その製作工程が細かく分業化されており、それぞれが熟練した職人たちの手仕事によって行われています。この高度に専門化した製作システムにより、京人形ならではの特色と個性が育まれています。そして、年月を経てた京人形が独特の趣を醸し出すことができるのは、この専門家の技術の錬磨と妥協を許さない厳しい製作姿勢によるところが大きいといえます。
現在、京人形と呼ばれるものには、雛人形をはじめ、五月人形、浮世人形、風俗人形、御所人形、市松人形などがあります。
京表具 [京都府の伝統的工芸品等]
表装とも呼ばれる表具は、古くから芸術や宗教が盛んであった京都を中心として発達してきました。表装は、裂地や和紙を材料として、加湿と乾燥の繰り返しのうちに、複雑な何段階もの工程を経て完成されます。
表装の歴史は古く、仏教の伝来とともに中国より伝わり、経巻に施されたのがその始まりでした。掛軸などは、仏教の広まりとともに仏画像の礼拝用として始められたものが原型とされています。
今日、表装と呼ばれるものには、襖、壁装など日常生活に密着した実用的な分野と、掛軸、額装、屏風、画帖、巻物など美術工芸的なもの、さらには高度な技術と豊かな経験が要求される古美術の修復まで含まれます。
表装は、それ自体が独立したものではなく、常に書画を鑑賞するうえでの手だてとして成り立つもので、さらには書画を保存するという役割をも担っています。目立たず、控え目でありながら、書画と一体の品格のある調和を作り出し、なおかつ表装そのものの品位も損なわないよう工夫することが要求されるのです。
千年の都、京都の美的環境と、京都人の洗練された美意識に支えられ、また湿度の高い盆地の風土に適して発展してきた表装は、床の間の発生や、室町末期から桃山、江戸時代にかけての茶道の興隆などと深く関わりあいながら発展し、磨かれていったのです。
京房ひも・撚ひも [京都府の伝統的工芸品等]
京房ひも・撚ひもは、平安時代に貴族たちが室内調度品や身の回りの小物などに華麗な房飾りを施し、雅やかな装身具として、鎌倉時代には、武士たちの武具甲冑(ぶぐかっちゅう)や刀の下げ緒に用いられました。また、茶道具の飾りとして茶道にも取り入れられるようになりました。江戸時代には、各宗本山が集まる京都で、仏具のくみひもや飾り房の専門店が数多く誕生しました。
こうしてその技術とデザインが発展し、やがて町人文化の隆盛とともに、一般庶民たちの日用品としても愛用されるようになって、現在に至ります。現代でも神具、仏具、茶道、伝統芸能をはじめ日常生活における服飾や装飾などの際に、より華やかに、また潤いあるものにするために幅広く利用され親しまれています。
丹後藤布 [京都府の伝統的工芸品等]
藤布とは、山に自生する藤蔓の皮をはいで糸を作り織り上げた布の事を指します。藤布の歴史は長く、万葉集の中にも「大君の塩焼く海人の藤衣」と藤布が使われたことが詠まれています。また、元弘2年(1332年)幕府によって隠岐の島に流された後醍醐天皇が藤の苗木を隠岐に持参されたという逸話もあり、藤を愛された天皇が藤布を身にまとい都に思いをはせられたとも語られています。日本古代の織物である藤布は日本三景の一つとして知られる天橋立を擁する丹後でその技術を伝えています。
京陶人形 [京都府の伝統的工芸品等]
京陶人形は京都で作られている素焼人形です。素焼人形は、粘土で形をこしらえ、乾燥させ、摂氏850度くらいの低火度で焼成し、顔料で彩色して仕上げたもので、全体が土という素材でありながら、やわらかなぬくもりを感じさせる深い味わいがあります。
太古の昔から、人は木や石や土など身近な材料で自分たちの似姿を作ってきました。古墳時代には土で見事な土偶や埴輪などを生み出しています。
やがて、型を使って多量に作られる時代になると、安価で気どりのない庶民の愛玩用の人形として人々に親しまれてきました。京陶人形はこのような伝統と技術を受け継ぎながら、その時々の時代の流れ、風俗や好みを反映した形を追求して今日に至ったものです。
かつては他の素材の人形とともに、京人形という総称の中に含まれていましたが、昭和32年に「京陶人形」と命名され、以後、独自の道を歩んでいます。
多品種、少量生産が主体なので、子供たちのすこやかな成長を願う雛人形や五月の節句もの、歴史をたどる時代風俗、特に王朝文化を題材にした優雅な時代もの、御所人形をはじめ幼児の愛らしさで表現する童子もの、歳守の干支などの動物もの、素材そのものを活かした素朴なもの、抽象的でモダンなものなど、作られている形は多様です。また独自の技法で作られている土鈴は、音色・形・彩色ともに豊かで人気を集めています。
京都の金属工芸品 [京都府の伝統的工芸品等]
金属製品は、弥生時代前期にはすでに使われていました。奈良時代には、仏教の隆盛とともに寺院や仏像が相次いで造られますが、それに伴って金工技術も著しく発達、さらに平安時代になると、金工師たちも奈良から京都に移り住み、数多くの金属製品がここで作られるようになりました。次いで室町時代になると、それまでの鋳銅とは異質の色合いをもつ花瓶、香炉や燭台などが中国から伝わり、わが国の金工に影響を及ぼすこととなりました。桃山時代、京都の釜座には鋳物師数十家が軒を連ね、宮中の用度品をはじめ鍋や釜など日常用品も作っていました。また、この時代には武器や甲冑、刀剣などの装飾がめざましく発達し、その技術は江戸時代へと伝承されていきました。
ところで、金属工芸といってもその範囲はずいぶん広く種類も多いのですが、技法的には、大きく鋳金、鍛金(たんきん)、彫金(ちょうきん)、錺金、布目象嵌(ぬのめぞうがん)、七宝(しっぽう)に分けられます。
鋳金はいものともよばれ、溶解した金属を鋳型に流し込んで造形する技法で、主として仏像や梵鐘、茶道具、美術工芸品などに用いられます。うちものとも呼ばれる鍛金は、金属を自在に延ばし、しぼり、立体的に造形します。鋳金に比べて軽く仕上がり、主として器などを製作します。彫金は別名ほりものといわれ、金属板に模様を彫ったり、浮彫りしたりする技法です。布目象嵌は、鉄等の堅い金属に金や銀、赤銅などを打ち込んで模様を表現する技法です。さらに七宝は、金属の素地にガラス質の釉薬を焼きつけて装飾する技法で、釉薬の種類によりさまざまな発色をするのが特徴です。
このような金属工芸の用途は、花器、食器、装身具、家具、装飾品、建築金具、茶道具、文房具などと幅広く、また素材も、金、銀、銅、鉄、赤銅、錫などと多岐にわたっています。
京象嵌 [京都府の伝統的工芸品等]
金属の生地に色の異なった金属をはめ込み、それぞれの色彩や隆起などで模様を表現するのが象嵌です。
象嵌は世界のあちこちで古くから行われ、主として武器や宗教的なものに用いられていました。わが国には奈良時代に大陸から伝わり、正倉院にも刀身に金で象嵌したものが遺され、同じく奈良の薬師寺本尊の掌や仏足にも輪宝文などが象嵌されています。鎌倉時代には、刀の鍔(つば)などに象嵌が施されるようになりました。
江戸時代の初めには、西陣に住む埋忠(うめただ)と正阿弥(しょうあみ)の二家の仕事ぶりが目立ち、両家の弟子たちが各地の大名に仕えるようになり、それにつれて京都の技術は全国に広まっていくようになりました。
このように武士階級や貴族など、一部の階層を中心として行われてきた象嵌は、やがて江戸時代末期までには、火鉢やキセルなど一般にも広く用いられるようになりますが、明治の廃刀令で一時途絶えかけました。しかし、その発展を海外に求めた四方安之助や並河靖之らの努力が実を結び、欧米で日本の象嵌技術が高く評価され、以後輸出品として脚光を浴びるようになりました。
現在、京都で製作される象嵌製品には、ペンダント、ネクタイピンなどの装身具、額などを中心とする室内装飾品があります。
京刃物 [京都府の伝統的工芸品等]
日本に刃物らしきものが伝わったのは4世紀といわれていますが、それは刃物というよりも刀剣といった方が適しているでしょう。
やがて平安時代になると、刃物の世界においても三条宗近を筆頭に、吉家、五条兼永、国永、そして鎌倉時代には千代鶴国安など、優れた刀工が出て、その技術を全国に伝えました。
時代の推移とともに、人々の日常生活に欠くことのできない刃物類も数多く造られるようになり、やがて、刀鍛冶、農鍛冶、刃物鍛冶と大きく三分され、さらに需要に応じて細かく専門化されていきます。
京都はもともと都であったという地の利と、出雲地方の砂鉄や玉鋼、伏見稲荷周辺の土、鳴滝の砥石、丹波地方の松炭、さらには良質の水などが容易に入手できるという刃物造りに適した条件を備えていました。それゆえに、室町時代中期頃より鍛冶の町として栄え、以後明治の初め頃まで、刃物の一大産地として全国に知られました。
今日、全国の刃物産地の技術は、その大半が京都より伝わったといわれています。また、京都の伝統産業である西陣織、扇子、竹工芸、木工芸、造園、建築、料理、畳、瓦そして華道などあらゆる分野において、刃物はかげの力としてその発展を支え、今日に至っています。
現在京刃物は、包丁、鋏、鋸、ナタ、鎌、竹ノ子堀り、彫刻刀など、日常で使われるものから専門職の道具まで、多種多様に製作されており、その質の高さと使い易さには定評があります。
京の神祇装束調度品 [京都府の伝統的工芸品等]
古来より、神具は祭具や祭器具とも呼ばれ、神殿や三方などの木具類、鏡類、御簾、几帳、旗、幕、雅楽器などがあり、装束として、衣冠、狩衣、あるいは、その付属品として、冠、烏帽子などがあります。また、祭祀や祭礼に用いる祭具には、多くの種類があり、何れもが少量生産、大部分が手作りです。伊勢大神宮の御遷宮調度師として名高い坂本家が世に出るのは江戸中期のことですが、もちろんそれ以前から、京都の神具は全国に先んじて発達していました。現代においても、式年遷宮の神宝装束の多くは京都の業界で製作されています。
京都は明治維新まで皇室の所在地であり、各種の式典、行事も多く、古くから神社の神事も盛んであったために、それらの調度や衣装(装束)などを作る専門家を多数必要としました。
装束については、神職(神主)は狩衣、浄衣を通常着用しますが、祭祀や祭礼では束帯、衣冠を着けるのがならわしです。これらは、室町時代以前より西陣で織り続けられてきましたが、このうち、山科家は宮中の装束を、そして高倉家は将軍家や諸大名の装束を、それぞれ西陣の御寮織物司に命じて作らせていました。
また、これは神具においても同様で、祭礼に用いる神輿、鉾、錦旗などの飾り物は、そのほとんどが西陣の錦綾や金襴などが使われています。
京銘竹 [京都府の伝統的工芸品等]
竹は原始時代にはすでに用いられていましたが、滑沢(かったく)で強く、その上弾力性にもすぐれて、また乾湿にも歪みがこない特徴を思えば当然のことではあります。
正倉院には、竹を用いた楽器をはじめ、箱や華龍その他多数の遺品が保存されていますが、平安時代になると、建材としても随所に使われるようになります。また同時に、矢や鞭などの武器、農耕・漁猟の道具など、日常生活の細かな部分まで広がりました。
鎌倉時代の終わり頃から室町時代にかけて、茶道具を製作するために欠かせぬ素材として、竹はますます重宝されるようになりました。
江戸時代初期には、竹細工、柄杓師が活躍し、将軍家の御用をつとめるほどになっています。中期になると、大竹を輪切りにした花器や柄杓などの道具を作る職人が京極の二条や四条周辺に多く住みました。
京都は竹の生産地としての風土条件に大変恵まれています。山に囲まれた盆地は寒暖の差が激しく、土壌も肥沃です。このような風土と文化都市としての恵まれた環境のもと、京都はまた竹の都としても知られてきました。
京都の竹工芸品の特色は、竹そのものの持ち味をそのまま生かしているところにあります。これは、それだけ京都の竹が素材としてすぐれているということでしょう。中でも、嵯峨野の竹は殊に名高いものです。
京の色紙短冊和本帖 [京都府の伝統的工芸品等]
色紙とは、もともと染紙のことを指します。この名は、屏風や障子などに詩歌その他を書き入れる場所(余地)を取ることを色紙型と呼んだことに由来します。 平安時代、歌集や詩書の中には染紙を用いて装飾性をもたせたものが数多くありました。このなかには、金銀の泥絵(かきえ)や切箔(きりはく)さらには野毛(のげ)などを蒔(ま)いた華麗なものも多くありましたが、これが現在のような色紙や短冊として完成するのは鎌倉時代からであると考えられています。それまでは懐紙が用いられていたようで、平安中期の作として有名な藤原佐理の「詩懐紙(しかいし)」はその好例です。
短冊は、短籍、短策、短尺とも書き表され、懐紙や色紙よりは小さく、略式化されたものが短冊とされていました。この短冊の寸法は頓阿や二条為世が定めたとされています。短冊の遺品が多くみられるようになるのは南北朝の頃からですが、室町時代の初期にはかなり盛んになっていたようで、それは後小松天皇御製料紙や豊公醍醐の花見の短冊などでもわかるとおり、狩野派や土佐派の流れを汲むすばらしい金銀泥絵でした。
色紙および短冊は、一般に経師により作られていましたが、それには朝廷用の一切の紙に関する仕事に携わっていたもの、もっぱら寺院を得意先にしたものなどがあり、さらには絵草紙屋でも一般向けに色紙や短冊類を販売していました。
元来、宮廷や寺院などで多用された色紙・短冊ですので、京都にその発展の中心があったのは当然といえますが、なかでも金泥(きんでい)や金銀箔により加工する職人は、ほとんどが京都から世に出ました。
和本帖は俳句や和歌、語録や大切な記録、または絵画や旅日記等を留めるために生まれたもので、その形状は糸綴り本、平紐綴り本、芳名録、折りたたみ式画帖や集印帖、折手本、巻物等に分かれています。
北山丸太[京都府の伝統的工芸品等]
一般に北山丸太といわれるものには、北山タルキ、北山磨丸太、面皮丸太、人造絞丸太、天然出絞丸太などがあり、その特色は数多く、とりわけ材質が緻密で木肌が滑らかで光沢があります。
また、木肌の色が美しく、変色もなく、亀裂が入らないとされています。
この白い木肌を作るには、伐採した後すぐに皮をはぎ、真夏の太陽に一週間ほど晒し、その後水につけ、砂で丁寧に磨きます。
また、北山丸太の高度な「枝うち」という技法により均一な太さに仕上げられています。
これは、植林後10年を経過した北山杉の枝を3~4年に一度、下の枝から順次切り落とすことにより、幹の成長を止め、切り口と末口の太さの差を少なくする技術で、一本一本心を込めて生産される北山丸太の特徴となっています。
このような優れた特色は、床柱やタルキなど、それぞれの用途に応じてさし木苗の養成時から、15~40年後の伐採に至るまで、一貫した育林技術が確立されていることによるところが大きいのです。
今日の北山林業の繁栄は、こうした先覚者のたゆまぬ情熱や品種改良への努力、また、耕地が少ないという立地条件から生まれた生活の知恵の結実です。
京版画 [京都府の伝統的工芸品等]
木版印刷は、飛鳥時代に百済(朝鮮)から仏教が伝えられた時(6世紀半ば)、一緒に伝来した経文印刷用の文字木版に端を発します。その時、添えられていた仏像の簡単な輪郭摺り用の版木がヒントになって、基礎となる木版画が生まれました。京版画は、その時代より受け継がれた、京都での木版画です。木版画には宗教・実用・美術等、様々な種類があり、多くの場所に使用されてきました。そして、後世欧米人を仰天させ、「世界芸術の殿堂」入りを果たした浮世絵木版画へと発展していきました。
出版物の中では、高名な本阿弥光悦の「嵯峨本」等が有り、デザイン本としても京版画は素晴らしい作品を残してきました。京版画の得意とする胡粉摺・雲母摺等の技術は、京版画以外の伝統工芸・芸術とともに、京都の風土に合わせ発展してきた技術です。その技術を持って最近では、岩絵具を使った木版画も作成されています。
伝統木版画では、絵師・彫師・摺師の共同作業によって制作されています。一つの道を一人が極め、三つの道が結ばれる事によって、素晴らしい作品が出来上がります。
丹後ちりめん [京都府の伝統的工芸品等]
日本三景のひとつとして知られる「天橋立」を擁する京都府の丹後半島一帯は、丹後ちりめんを中心に先染織物や丹後藤布など様々な織物の一大産地です。
丹後地方は大和文化と出雲文化の交流地点で早くから独自の文化が開けていました。約1200年前の天平年間には聖武天皇へ「あしぎぬ」という絹織物が献上され、現在も奈良正倉院に保存されています。
以来、その気候や風土が生産に適していたために、絹織物は長い歴史の中でこの地方の特産品として培われ、江戸時代中期以降の「丹後ちりめん」の開発へとつながっていくのです。
丹後ちりめんが今のように独特のシボをもち、絹の風合いと感触を最高に発揮する織物になったのは280年ほど前の享保5年(1720年)のことです。丹後峰山町に住む絹屋佐平治(後に森田治郎兵衛と改名)が京都西陣の機屋に奉公人として入り、織物技法・糸口の仕掛け・シボの出し方などを研究し、この秘法を丹後に持ち帰り、ちりめんの製織を始め、今日の丹後ちりめんのいしずえを築きました。
絹織物の産地であった丹後だけに、ちりめん技法の普及は早く、峰山藩の積極的な保護政策などもあって、多様なちりめんが丹後地方一帯で生産され、一大産地を形成し今日に至っています。
近年では、絹の風合いを損ねることなく水に濡れても縮みにくく、しかも摩擦に強い「ハイパーシルク」加工技術が開発され、洋装服地など新しい商品づくりも進められています。
また、今までは着物の素材として白生地のまま売られることの多かった丹後ちりめんですが、最近では染めたうえで、小物や、インテリア用品を作るなど、デザイン力の高まりと共に色々な完成品が作られるようになりました。
黒谷和紙 [京都府の伝統的工芸品等]
紙は仏教とともに日本に伝わり、その技術は全国に広まりました。都が奈良から京都へ移るとともに、京都には官制の紙漉き場が設けられました。
黒谷は、現在京都に残る数少ない紙郷ですが、平家の落武者が子孫へ残す仕事として細々と始めたものと伝えられています。それが江戸時代には数々の奨励策もとられて大きく発展していきました。京都の中心地が近いということもあって、京呉服に関連した値札、渋紙、襖紙などで知られるようになり、他にも傘紙や障子紙なども数多く生産していました。その後、土佐の紙漉きの技術も加え、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)などの大判紙や厚紙などもこなせるようになり多様化しました。
明治以後、とりわけ第二次大戦後、洋紙の影響により和紙の需要は少なくなり、さらには技術者不足もあって、各産地では手漉きから機械漉きへの転換が進みましたが、黒谷では伝統的な手漉きの技法を守り続け、今では全国でも数少ない純粋手漉き和紙産地のひとつとして、貴重な存在となっています。その用途も、産地と研究者の努力により、一段とバラエティー豊かなものとなり、さらには紙衣や紙布の伝統を生かして座布団や絨毯まで製作されています。
丹波・丹後地方は、古くから良質の楮を産することで知られましたが、それは黒谷川の清流とも相まって、紙作りには大変適していました。自然を生かし、自然のままに作られ始めた黒谷の和紙は、機械化が進む世の中で、変わらず昔の姿を残しています。
京たたみ[京都府の伝統工芸品等]
畳の歴史は古く、奈良時代の古事記にしばしば登場しており、1300年の歴史を有しています。中国から伝来した技術が多い中、畳の製造は日本固有の伝統文化であるといえます。
平安時代には貴族等が権力を象徴するものとして使用し、京都御所内の紫宸殿や清涼殿、御常御殿ではその面影が今に伝えられています。
やがて茶道の発展に伴い、幾多の変遷を経て、今日の「京たたみ」が作られ、一般の民衆にも広まっていきました。
特に政治・文化の中心地であった京都には、数多くの神社仏閣が存在していたことから、畳製作の技術・技能は古くから全国有数の技術をもっています。
現在製造されている畳は、家庭用と茶室用の「一般畳」と神社仏閣で使用される「有職畳」の2種類に大別され、高度な技術を必要とする「厚畳」、「拝敷」といった有職畳のほとんどは京都で生産されています。
全国的に機械による製造が進む中で、京都では、今も伝統的な技術が受け継がれ、手縫いによる高級畳の生産が多く行われています。
こうして、職人の手縫いにより、わらの1本1本に真心をこめて形作られた藁床は、常々十分な手入れをすれば、100年以上は持つともいわれています。
京印章[京都府の伝統的工芸品等]
中国で発達した印章がわが国に入ってきたのは聖徳太子の時代といわれています。国の制度となったのは大宝元年(701)の大宝律令制定からで、平安京が開かれて都となった京都では天皇御璽(ぎょじ)や当時の役所の官印などが作られていました。また現在も保存されている社寺印のなかにも、当時作られたものがみられます。
やがて江戸時代になると庶民にまで印章が普及し、需要が急増して印判師が誕生しました。そして、わが国最初の印判師ともいえる人物が三条室町あたりに住んでいたことから、京都は印章の中心地として発展してきました。
京都の印章の特色は、中国の漢時代の印章最盛期の漢印といわれる銅印の作風を受け継いでおり、いわゆる漢印篆(かんいんてん)を主体とした重厚で雅味豊かな印章が多く作られています。現在、宮内庁侍従職に保管され、国家の文書に使用されている天皇御璽と大日本御璽は、明治7年に京都中京区の住人、安部井櫟堂(あべいれきどう)が印司に任ぜられて、1年がかりで制作したものです。漢印篆の堂々とした文字が彫刻され、純金製で重量は4.5キログラムにも及びます。また、御璽、国璽の前の制作者も京都の中村水竹です。
印章の彫刻は現在、厚生労働省の技能検定に合格した技能士がこれにたずさわり、京都においては60余名の技能士が活躍しています。そして柘植(つげ)、水牛、象牙などを素材に伝統的な京印章を制作していますが、一方ではさらに自由な発想にたち、しかも文字の持つ意味をこわさない現代感覚の印章も数多く生み出されています。
京七宝 京七宝協同組合
京竹工芸 京都竹工芸品協同組合
丹後ちりめん工芸品[京都府の伝統的工芸品等]
京もの技術活用品である「丹後ちりめん工芸品」とは、京もの指定工芸品である「丹後ちりめん」を素材として、染色・縫製等の加工を行い、新たに生み出された製品のことです。
「丹後ちりめん工芸品」は和装用小物、洋装用小物、衣料品、寝装品、インテリア用品、生活用雑貨と多数の用途のものが制作されています。主なものとして、風呂敷、帯揚げ、スカーフなどがあります。