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≪取扱い商品≫
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新原美術 店主
以下は買取エリアです、、、
角谷莎村
角谷莎村(かくたに しゃそん、1911年(明治44)~1987年(昭和62))
大阪府出身
角谷巳之助の次男、角谷一圭(人間国宝)の弟として生まれる。
兄と共に父について釜制作、鋳造を始め日本伝統工芸店、大坂工芸展などで出品。
伝統の技法と現代茶会との調和を考えて、斬新な造形を展開するが特に老松地紋の名手として知られる。
吉向焼
上のような人間国宝作家の作品や地元の焼き物が家や蔵の中に眠っていて売却をお考えの方は是非ご連絡ください!!
あおげいん
粟生外院
あおしんけ
粟生新家
あおまたに
粟生間谷
あおまたににし
粟生間谷西
あおまたにひがし
粟生間谷東
いしまる
石丸
いな
稲
いまみや
今宮
おのはらにし
小野原西
おのはらひがし
小野原東
おんせんちょう
温泉町
か
かみとどろみ
上止々呂美
かやの
萱野
げいん
外院
さ
さいとあおきた
彩都粟生北
さいとあおみなみ
彩都粟生南
さくら
桜
さくらい
桜井
さくらがおか
桜ケ丘
しもとどろみ
下止々呂美
しんまちきた
森町北
しんまちなか
森町中
しんまちにし
森町西
しんまちみなみ
森町南
せがわ
瀬川
せんばにし
船場西
せんばひがし
船場東
な
にいな
新稲
にししょうじ
西小路
にしじゅく
西宿
にょいだに
如意谷
は
はくしま
白島
はんじょ
半町
ひゃくらくそう
百楽荘
ぼうしま
坊島
ま
まきおち
牧落
みのお
箕面
みのおこうえん
箕面公園
大阪欄間大阪府知事指定伝統工芸品マーク大阪欄間彫刻
大阪欄間の画像【沿革・特徴】
欄間は奈良時代から寺社建築への採光を目的に作られたものと考えられていますが、後に彫刻等の技巧を凝らした華麗なものが貴族階級の住居にも使われるようになり、江戸時代以降、一般住宅にも取り入れられるようになりました。
もともとは京都が主な産地でしたが、欄間の一般への普及や、木材取引が多く行われている大阪に伝播、定着したものと考えられます。
大阪欄間には、屋久杉の木目を生かし、近江八景等を立体的に彫り出した彫刻欄間、桐の肌と透かし模様が調和した透かし彫欄間のほか、筬欄間、組子欄間等の種類があり、換気の機能に加え、日本家屋にふさわしい落ち着いた美しさを見せています。
大阪欄間彫刻は、彫刻欄間の技術技法を使用して、額や短冊掛け、照明器具等の生活用具に活用したもので、技の冴えと手づくりの温もりが好評です。
材料は、欄間と同じく屋久杉などを用いて、木目の美しさを生かしています。
【指定年月日】
昭和50年9月4日(大阪欄間)
昭和60年7月26日(大阪欄間彫刻)
平成18年11月17日(地域団体商標)
大阪唐木指物
大阪唐木指物の画像【沿革・特徴】
唐木とは、紫檀、黒檀、花梨、鉄刀木等、東南アジアを主産地とする木材のことをいいます。
桃山時代のころから原木が盛んに輸入され、その後、茶道、華道、香道の発展とともに、その堅牢さと独特の色調から茶棚、香炉台、座敷机などの様々な道具が作られ、江戸時代に入るとしゃれた調度品や身の回りを飾る細工物として唐木は多くの人々に愛されるようになりました。
大阪では江戸時代に横堀川周辺に唐木を扱う商人や職人が集まり一大産地が形成され、現在につながる手づくりの技法が確立されたと考えられています。
釘やネジを1本も使わずに各種組手で組み立て、表面に漆をふきこんで仕上げた大阪唐木指物は伝統的な家具等の他、文箱や花台等、手軽で新たな新製品を産み、多くの人々に親しまれています。
【指定年月日】
昭和52年10月14日
大阪仏壇・大阪唐木銘木仏壇・大阪塗仏壇
経済産業大臣指定伝統的工芸品マーク大阪仏壇大阪府知事指定伝統工芸品マーク大阪唐木銘木仏壇・大阪塗仏壇
大阪仏壇・大阪唐木銘木仏壇・大阪塗仏壇の画像【沿革・特徴】
593年に聖徳太子によって大阪に四天王寺が建立されたとき、百済から技術者が呼び寄せられ、上町台地に住まわせたと伝えられており、これが起源になって大阪に仏師、仏具師、彫刻師、塗師、木地師、指物師等による産地が形成されたと考えられています。
また、1600年ごろ北御堂、南御堂の落慶により、その界隈に仏壇仏具師が多く住み、繁盛していた様子が「難波雀」などの古文書から伺えます。
大阪仏壇は、漆を盛り上げて錺金具(金色の金属板による飾り)を打ったように見せ、金具の錆による損傷を防ぐ「高蒔絵」という技法を特色としている他、西本願寺派、東本願寺派、八宗のそれぞれに応じた仏壇が作られ、宗派による違いを反映させています。
大阪唐木銘木仏壇は、紫檀、黒檀、花梨などの唐木や、桑、杉、桜などの素材を用いた仏壇のことです。
江戸時代中期に唐木指物の産地が形成され、その一製品として仏壇が作られたことが始まりと言われています。一説には漆塗り仏壇より古いとも言われています。
唐木の堅牢さと銘木の木材の美しさを生かした漆のふき仕上げが特徴です。
大阪塗仏壇は大阪仏壇の特徴である錺金具の高蒔絵仕上げが、他産地と同様の金具を用いたものです。
【指定年月日】
昭和57年11月1日(大阪仏壇)
昭和60年7月26日(大阪唐木銘木仏壇)
平成2年1月19日(大阪塗仏壇)
平成19年7月13日(地域団体商標)
大阪浪華錫器大阪府知事指定伝統工芸品マークなにわ錫器
大阪浪華錫器・なにわ錫器の画像【沿革・特徴】
錫は古くから工芸品の材料として使われてきましたが、日本に伝えられたのは7世紀から9世紀のころ、遣隋使・遣唐使が持ち帰ったと考えられます。
その後日本でも作られるようになりましたが、宮中等ごく一部で用いられるだけの極めて貴重なものでした。
錫の器が広く一般に使用されはじめたのは江戸時代であり、このころ既に大阪で錫器の製造・販売がおこなわれていました。
錫は非常に柔らかい金属で機械加工が難しく、ほとんどの工程を手作業により製作します。
鋳造を行い、それをコケシ削りのようにろくろ挽きにより研磨・成形します。
錫器は、酒をまろやかに美味しくする作用や、防湿性に優れろくろ挽きにより蓋の嵌合性の良さで茶葉を新鮮に保つ作用があるといわれ、酒器や茶器として、またその独自の風合いを生かした銘々皿、朱肉入れ、花瓶等として、大阪の老舗の飲食店でも使われている他、贈答品としても活用されています。
大阪浪華錫器は、錫が97%以上であり酒器や茶器に、なにわ錫器は錫が最も緻密な組織となる91%の錫合金で神仏具用、装飾品などに用いられています。
【指定年月日】
昭和58年4月27日(大阪浪華錫器)
昭和62年2月6日(なにわ錫器)
なにわべっ甲
なにわべっ甲の画像【沿革・特徴】
ベッ甲が日本で作られるようになったのは、江戸初期に中国の技法が長崎出島に伝来し、やがて大阪から江戸にまで伝わったといわれています。
元禄時代の町人文化の開花とともに様々な豪華な髪形が結われるようになり、これに使われる簪、櫛等をはじめ身の回り品にベッ甲細工が盛んに使用され、彫刻、蒔絵、金銀象嵌等の複雑な技法が発達しました。
現在、ベッ甲細工は大阪、東京、長崎が三大産地であり、大阪ではすかし彫り等の優れた彫刻技法により、ブローチ等のアクセサリーを中心に製作しています。
【指定年月日】
昭和61年2月5日
大阪三味線
大阪三味線の画像【沿革・特徴】
三味線は1562年(永碌5年)琉球から堺に渡来し、その頃は胴に蛇皮を張っていたといわれていますが、その後、犬・猫の皮を用い、義太夫や地唄等の日本の芸事と深く結びついた改良が施され、継承されてきました。
もともと大阪は芸事の盛んなところで、芝居や歌舞伎の他、商人の稽古事など身近なところで三味線が用いられることが多かったため、早くから分業体制が取り入れられ、産地が形成されました。
紫檀、花梨、紅木等を使用し、昔ながらの技法で手づくりされています。
【指定年月日】
昭和61年2月5日
大阪銅器
大阪銅器の画像【沿革・特徴】
16世紀のはじめ、銅から銀を絞り出す「南蛮絞り」という精錬技術の発達により、一万人以上の職人が大阪で活躍し、江戸時代には全国から採掘された銅が「大阪銅座」に集められ、銅製品生産の中心地として栄えました。
銅製品は、彫金、鋳金、鍛金の伝統的な技法により、祭祀用具から日常の雑器まで幅広く作られており、その優れた耐久性と落ちつきのある美しい質感には定評があります。
【指定年月日】
平成2年1月19日
太鼓
太鼓の画像【沿革・特徴】
その起源は、奈良時代に雅楽とともに中国から伝わったと言われています。
江戸時代には、全国各地から多くの太鼓職人が大阪に集まり、全国有数の太鼓づくりの産地として栄えました。
近年、大きな太鼓が作れる太い欅が少なくなり、大きな胴を確保することが難しい状況になっています。
製造工程は、原木の切断から、くり抜き、切削、塗り、皮を張るまでの全ての工程を手作業で行い、完成まで数年間をかけて仕上げます。
【産地組合等】
株式会社太鼓正
〒556-0024 大阪市浪速区塩草3-10-17
電話 06-6561-0021
FAX 06-6561-0025
URL http://www.taikomasa.co.jp/
【主な産地】
大阪市
【主な製品】
長胴太鼓、平太鼓、桶胴太鼓、玩具、楽太鼓、締太鼓、大鼓、小鼓、鞨鼓等
作業風景の画像【製造工程】
欅原木
切断
原木を太鼓の大きさにあわせて輪切りにする
くり抜き
太鼓の内側をくり抜き円筒状にする
乾燥
数年間乾燥させる
削り
外部、内部に
丸味をつけるために削り太鼓の形に整える
塗装
外部に漆を塗る
皮張り
ジャッキを使い
皮を均等に引っ張りながら音の調整を行う
鋲打ち
鋲を打ち、皮を固定する
菅細工
菅細工の画像【沿革・特徴】
約2000年前、深江地区(大阪市東成区)に繁茂する良質の菅を求めて大和から移住し、笠などの細工物を作ったのが始まりと言われています。
近世になって、お伊勢参りの道中安全を祈って菅笠を買い求める習慣があり、当時は相当繁栄していました。
現在は、各種の菅細工のほか、伊勢神宮式年遷宮御料の御笠を作っています。
【産地組合等】
深江菅細工保存会
〒537-0002 大阪市東成区深江南3-5-17
電話 06-6971-9964
FAX 06-6971-9964
【主な産地】
大阪市
【主な製品】
菅笠、円座、釜敷、煎茶敷、色紙掛等
曲げ物
曲げ物の画像【沿革・特徴】
曲げ物は、古代・中世を通じて庶民の日常生活用具として広く用いられていました。
芳精堂は、創業天保3年で、5代にわたり曲げ物を製造しており170年の歴史を有していると言われています。
曲げ物は、現在、日本各地で製造されており、大阪の他に、大館、京都、伊勢、博多などで製造されています。
【産地組合等】
芳精堂
〒537-0023 大阪市東成区玉津2-16-14
電話 06-6971-2761
FAX 06-6971-8353
【主な産地】
大阪市
漆刷毛
漆刷毛の画像【沿革・特徴】
12世紀ごろ、寺院の仏像、仏具等の漆塗りに使われたのが、今日の漆刷毛の始まりと考えられています。
明治18年に京都から三島郡鳥飼村に伝わりました。
刷毛の素材には人毛が用いられており、本体の全てに毛が通されており、毛先を削りながら使用するのが特徴です。
それぞれの刷毛は数十年の期間にわたり使用できます。
【指定年月日】
昭和60年7月26日
漆刷毛
漆刷毛の画像【沿革・特徴】
12世紀ごろ、寺院の仏像、仏具等の漆塗りに使われたのが、今日の漆刷毛の始まりと考えられています。
明治18年に京都から三島郡鳥飼村に伝わりました。
刷毛の素材には人毛が用いられており、本体の全てに毛が通されており、毛先を削りながら使用するのが特徴です。
それぞれの刷毛は数十年の期間にわたり使用できます。
【指定年月日】
昭和60年7月26日
大阪張り子
大阪張り子の画像【沿革・特徴】
張り子人形は、木型に濡らした和紙を貼りつけ、乾燥の後に型を取り出した空洞の紙製人形です。
既に桃山時代以前から子供の玩具として生産されていましたが、江戸時代のはじめ頃、材料となる反故紙が大量に出る京都、大阪の2地域で産地が形成されたほか、紙の生産の増大、流通の発達とともに日本の各地で生産されるようになったといわれています。
江戸期の1822年と1858年の2回、大阪でコレラが大流行したとき、大阪道修町の薬種問屋が、漢方薬の虎頭骨等を配合した「虎頭殺気雄黄円」という薬を作ったところ、大変効き目があり、この後道修町の守護神である少彦名神社の参拝者に、魔除けとして張り子の虎を配ることになりました。
このように張り子人形は虎、だるま、面などの多くの種類が作られ、病除けや置物として、今日でも多くの人に親しまれています。
【指定年月日】
平成6年4月1日
大阪張り子
大阪張り子の画像【沿革・特徴】
張り子人形は、木型に濡らした和紙を貼りつけ、乾燥の後に型を取り出した空洞の紙製人形です。
既に桃山時代以前から子供の玩具として生産されていましたが、江戸時代のはじめ頃、材料となる反故紙が大量に出る京都、大阪の2地域で産地が形成されたほか、紙の生産の増大、流通の発達とともに日本の各地で生産されるようになったといわれています。
江戸期の1822年と1858年の2回、大阪でコレラが大流行したとき、大阪道修町の薬種問屋が、漢方薬の虎頭骨等を配合した「虎頭殺気雄黄円」という薬を作ったところ、大変効き目があり、この後道修町の守護神である少彦名神社の参拝者に、魔除けとして張り子の虎を配ることになりました。
このように張り子人形は虎、だるま、面などの多くの種類が作られ、病除けや置物として、今日でも多くの人に親しまれています。
【指定年月日】
平成6年4月1日
阿波安染
阿波安染の画像【沿革・特徴】
江戸末期に徳島県鴨島の藍農家の次男に生まれた安兵衛が、中河内郡天王寺村で実家から取り寄せた良質の藍を使って紺屋を始めたのが最初です。
阿波安染の特徴は、表裏両面に糊を置き、両面から刷毛で引き染めを行います。両面から染め付けるため、深い色合いが出て、もちも良いといわれています。
堺打刃物
堺打刃物の画像【沿革・特徴】
堺打刃物の発展のルーツは、タバコの葉を切り刻むタバコ包丁が16世紀の天正年間に堺で作られるようになり、戦国時代の鉄砲鍛治の技術もあって、これがそれまで使われていた輸入品よりも品質が良かったため、江戸幕府から専売品として「堺極」の刻印を打たれ、全国各地に販売されました。
その後、17世紀末の元禄年間に出刃包丁が堺で作られはじめました。これが堺の包丁の始まりと言われています。
堺打刃物は、伝統的な火造り、刃付け、研ぎの手法を完全な分業体制によって作られており、そのすばらしい切れ味からも多くのプロの料理人の間で絶大な信頼と支持を得ています。
【指定年月日】
昭和57年3月5日
平成19年10月5日(地域団体商標)
堺打刃物
堺打刃物の画像【沿革・特徴】
堺打刃物の発展のルーツは、タバコの葉を切り刻むタバコ包丁が16世紀の天正年間に堺で作られるようになり、戦国時代の鉄砲鍛治の技術もあって、これがそれまで使われていた輸入品よりも品質が良かったため、江戸幕府から専売品として「堺極」の刻印を打たれ、全国各地に販売されました。
その後、17世紀末の元禄年間に出刃包丁が堺で作られはじめました。これが堺の包丁の始まりと言われています。
堺打刃物は、伝統的な火造り、刃付け、研ぎの手法を完全な分業体制によって作られており、そのすばらしい切れ味からも多くのプロの料理人の間で絶大な信頼と支持を得ています。
【指定年月日】
昭和57年3月5日
平成19年10月5日(地域団体商標)
堺線香
堺線香の画像【沿革・特徴】
16世紀の終わり頃に線香の製法が伝わり、わが国初めての線香が堺で作られ、江戸時代には既に産地として名をなしていました。
線香の生命である香料の調合は、室町時代に発達した香道、茶道の影響を受け、大いに進展しました。
クスノキの一種であるタブノキの粉(タブ粉)に香料を加え熱湯で練り合わせ、盆切り、整形、乾燥などの伝統技法で生産されていますが、香料の調合には現在でも研究、改善が続けられ、現代生活にマッチした新たな香りが生まれています。
【指定年月日】
昭和61年2月5日
堺手織段通
堺手織段通の画像【沿革・特徴】
原産地は中国であり、九州の鍋島藩を通じて江戸時代後期に堺に伝わり、その後堺の商人により改良され、堺手織緞通が創案されました。
一時は堺、泉州一帯の地場産業として栄え、明治中期には数多く輸出されました。
羊毛を素材とし、その手織りの技法は単純ながら技術を要し、その製品は耐久性が強く、重厚さがあります。
【指定年月日】
昭和61年2月5日
堺五月鯉幟
堺五月鯉幟の画像【沿革・特徴】
五月五日を端午の節句とし、家の前に幟を立てて男の子の立身出世を願う風習は江戸時代中期頃までにさかのぼります。
堺で、玩具・文具商をしていた高田儀三郎が、明治初期に名古屋の紙鯉をヒントに紙鯉を製造・販売したのが堺五月鯉幟のルーツであり、明治中期には現在の素材、技法が確立されました。
金太郎がまたがったデザインが特徴の堺五月鯉幟は、錦布に一筆一筆手描きされており、ぼかしや色の濃淡、毛先の繊細さ、勢いの良さで人気があります。
【指定年月日】
昭和61年2月5日
大阪金剛簾
大阪金剛簾の画像【沿革・特徴】
万葉集巻四の次に「君待つと我が恋ひ居れば我が宿のすだれ動かし秋風の吹く」という額田王の歌があり、7世紀頃から貴族の生活に簾らしきものが使われていたことが分かります。
平安時代の神殿造り、鎌倉時代の書院造り等とともに簾も多用されるようになりました。
平安時代の宮中等の間仕切りや装飾に使用された御翠簾が、現在のお座敷簾の原型と言われています。
金剛山の麓の良質の竹に恵まれた明暦年間に富田林で竹簾づくりが始まったと言われています。
天然の素材を生かした優雅で格調高い簾は、日本的な風流さを備えています。
【指定年月日】
平成8年4月8日
なにわ竹工芸品
なにわ竹工芸品の画像【沿革・特徴】
大阪では奈良時代にすでに付近に産出する良質の真竹を用いて、農作業用の篭が作られていました。
茶道、華道が盛んになるに伴い花篭、炭篭等も作りはじめられ、江戸時代中頃には産地が形成されました。
現在は、花篭、料理盛篭をはじめ様々な日用品が作られており、薄染め仕上げを特徴としています。
【指定年月日】
昭和60年7月26日
蜻蛉玉
蜻蛉玉の画像【沿革・特徴】
色模様のついたガラス玉で紐を通す穴を持つものを蜻蛉玉と呼び、紀元前18世紀頃のメソポタミアで既に作られていたという記録があります。
その後シルクロードを通じて奈良時代に日本に伝わりました。
正倉院に多数保存されており、この頃には国産化されていたという記録もあります。
その後、平安時代に断絶しましたが、江戸時代に長崎経由でオランダから再び技術が伝わり、大阪で盛んに製作され、「玉造」という地名が現在も残っています。
最近では藤村トンボ玉工房の先代・藤村英雄氏が、江戸時代からの技術を継承し、再現不可能と言われた中国戦国時代の七つの星模様や乾隆時代の小桜玉の復元に成功する等活発な活動を展開し、現在は子息の藤村真澄氏に引き継がれ、ネックレスやループタイ等が人気を呼んでいます。
【指定年月日】
昭和62年2月6日
大阪泉州桐箪笥
大阪泉州桐箪笥の画像【沿革・特徴】
桐は湿気の多いときには水分を吸い、乾燥時には水分を出す性質があり、火災の際には水を吸って燃えにくく、「身を焼いて中身を救う」という衣服の保存に最適な性質を持っています。また、伸縮や狂いが少なく、長年使用しても再生により新品同様になるなど、昔から「桐箪笥は一生もの」と言われています。
江戸時代中期には大阪で桐箪笥の製造技術が確立され、その後、堺を経て和泉に広がり、泉州地域に産地が形成されました。
木釘と組手による組み立てからみがき着色に至るまで、入念な技巧により仕上げられた高級品を中心に生産を行っています。
【指定年月日】
平成元年4月11日(大阪泉州桐箪笥)
平成19年7月13日(地域団体商標)
大阪泉州桐箪笥
大阪泉州桐箪笥の画像【沿革・特徴】
桐は湿気の多いときには水分を吸い、乾燥時には水分を出す性質があり、火災の際には水を吸って燃えにくく、「身を焼いて中身を救う」という衣服の保存に最適な性質を持っています。また、伸縮や狂いが少なく、長年使用しても再生により新品同様になるなど、昔から「桐箪笥は一生もの」と言われています。
江戸時代中期には大阪で桐箪笥の製造技術が確立され、その後、堺を経て和泉に広がり、泉州地域に産地が形成されました。
木釘と組手による組み立てからみがき着色に至るまで、入念な技巧により仕上げられた高級品を中心に生産を行っています。
【指定年月日】
平成元年4月11日(大阪泉州桐箪笥)
平成19年7月13日(地域団体商標)
和泉蜻蛉玉
和泉蜻蛉玉の画像【沿革・特徴】
「日本ガラス工業史」などの文献によると、和泉国、現在の堺市付近では、昔から硝子玉が作られ、泉州玉・さかとんぼと呼ばれ有名であった。
その由来をたずねると、奈良時代にさかのぼる。
明治初期には、和泉国(現在の和泉市)においてガラス玉の製造技術が確立していたとの記述があります。
その技術が神山喜代松らによって村民に公開され、ガラス玉の製造地として発展し、今日に至っています。
和泉市においては、山月工房の先代である小溝時春氏がその技術・技法を継承し、和泉蜻蛉玉の製造を行っていました。
現在は、長女の松田有利子氏が後継者となり和泉蜻蛉玉を製造しています。
【指定年月日】
平成14年1月8日