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[1900~1968]陶芸家。愛知の生まれ。本名、一(はじめ)。中国・朝鮮の古陶磁器の研究を重ね、色絵磁器・金襴手(きんらんで)などに独創的な作風を示した。
山田常山(3代)(1924~2005)
愛知県出身の日本の陶芸家。本名は山田稔。号は小常山のちに常山。
2代目常山の長男として生まれ、家業を継ぐべく在学中より父や祖父(初代常山)に師事する。

1947年の初代没後は父が常山を襲名、稔は父の号であった小常山を名乗る。
1958年に第5回日本伝統工芸展初入選、同年ブリュッセル万国博覧会にてグランプリ受賞。59年第7回生活工芸展第一席朝日賞などの受賞を経て62年日本工芸会正会員に就任。
また61年より父の死去に伴い3代山田常山を襲名している。
70年代には70年に大阪万博に出品、73年に第3回ビエンナーレ国際陶芸展に出品(名誉最高大賞受賞)など国際的にも評価が高まるきっかけとなった。また伝統の常滑焼を護ろうと地元の陶芸家らと常滑「手造り急須の会」を発足し
会長に就任している。

伝統に甘んじることなく古常滑の穴窯で急須に蓋をしたまま焼成しそのまま自然釉を掛けるといった独自の技法を完成させるなど日々研究続け、94年に愛知県指定無形文化財保持者の認定に続き98年に国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定された。
常滑朱泥急須=山田常山といわれるほど急須(主に煎茶用)制作の技術に優れ古典的なものから現代志向に合わせた斬新な作品まで幅広く制作し原型となるそのデザインは100種類以上あるといわれている。
また、急須作品のほかにも酒器、壺、大鉢など優作を多く残している。

山田常山(3代)年表

1924年 愛知県常滑市に生まれる。
1941年 愛知県立常滑工業学校窯業科卒業。在学中より祖父・初代山田常山に師事。
1946年 父・二大山田常山に師事。
1958年 第5回日本伝統工芸展初入選。ブリュッセル万国博覧会にてグランプリを受賞。
1961年 3代山田常山を襲名。
1963年 財団法人日本工芸会正会員となる。
1970年 日本万国博覧会に出品。
1973年 フランス第3回ビエンナーレ国際陶芸展名誉再興大賞受賞。渡欧する。
1974年 日本陶芸巨匠大展に出品。
1975年 常滑「手作り急須」の会会長。
1990年 「心と技ー伝統工芸名品展」北欧巡回展及び帰国展招待出品。
1993年 平成5年度日本陶磁協会賞受賞。
1994年 愛知県指定無形文化財保持者認定。「陶芸 ロクロによる手造り朱泥急須技法」
1996年 勲五等瑞宝章受章。
1998年 国指定重要無形文化財保持者に認定。「常滑焼(急須)」(通称「人間国宝」)。
日本工芸会参与東海テレビ文化賞受賞。
2004年 旭日小綬章受賞。
2005年 10月19日、死去。

瀬戸焼(せとやき)は、愛知県瀬戸市とその周辺で生産される陶磁器の総称。日本六古窯の一つ。東日本で広く流通し、瀬戸物は陶磁器を指す一般名詞化した。

平安時代、猿投地区(尾張東部から西三河西部)猿投古窯群と呼ばれる一大窯業生産地があった。そこで生産される灰釉が施された須恵器は灰釉陶器とも呼ばれ、高級食器として流通した。しかし、平安時代末期から製品が粗悪化し、衰退していく。
鎌倉時代、加藤四郎景正が、宋(中国)から施釉陶器の技法を伝えたのが瀬戸焼の創始といわれる。(ただし、景正の実在を疑う説もある。)この頃、日本陶器の起源となる、灰釉・鉄釉などの本格的陶器生産が始まる。器種は中国から輸入される磁器を模倣したものが多く、代用品として生産・流通したと見られる。鎌倉時代の製品には優美な印花文や画花文を施したものが多い。
室町時代末頃までは古瀬戸とよばれる。室町時代に入ると椀、皿や鉢といった日用雑器の生産が多くなる。次第に生産拠点が美濃に移る。
桃山時代から、黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部などの茶器が茶の湯の隆盛に伴って多く焼かれ、日用雑器も作られるようになる。
元和2年(1616年)に徳川家康が死去して駿府城内にあった遺品は将軍家と御三家に分配されるが、そのうち尾張徳川家が受け取った分の目録『駿府御分物之内色々御道具帳』(徳川黎明会蔵)には、すでに「瀬戸」と「古瀬戸」の語の使い分けが見える。こんにちでいう「古瀬戸」とは指し示す範囲が異なるものの小堀政一(遠州)『茶人の次第』(水戸徳川家伝来)にも「古瀬戸」の語がみえ、近世初期には「瀬戸」と「古瀬戸」の使い分けが広がっていることが確認できる。
江戸時代になると肥前の有田を中心にはじまった有田焼と総称される磁器により次第に市場を奪われ、衰退する。
文化年間(1804年 – 1818年)加藤民吉親子が肥前国有田から染付磁器の製法を伝えたことから磁器の製造が始まり、後に磁器が主流となる。以降、「染付焼」(瀬戸染付)は「新製焼」、旧来の陶器は「本業焼」と呼ばれた。

赤津焼(あかづやき)は、瀬戸焼のうち瀬戸市街の東方にある赤津地区で焼かれる焼物。

概要
瀬戸窯とともに発展した窯で平安時代の開窯とされ、当地には室町時代の窯跡である小長曽陶器窯跡が残る。戦国時代、瀬戸では「瀬戸山離散」と呼称される窯屋の急激な減少が発生し、多くの窯が美濃地方に移った。
慶長15年(1610年)になって尾張藩初代藩主・徳川義直が当時の赤津村に陶工を集めて瀬戸窯の復興を図った(窯屋呼び戻し)と言われていたが、近年では現存する資料から徳川家康が名古屋開府に合わせて窯屋を呼び戻したものとされている。
また、元和2年(1616年)には名古屋城に赤津から陶工を呼び、御深井丸に窯を築いた。これは明治4年(1871年)の廃藩置県に伴い廃止されたが「尾州御庭焼」として知られている。この御庭焼への出仕を通じてそれまでの赤津焼には無かった安南風の呉須絵の技術が陳元贇より伝えられ、現在では「御深井釉」と呼ばれている。文化4年(1807年)、加藤民吉によって瀬戸に磁器の製法が導入されたが赤津では定着せず、現在に至るまで陶器を主体としている。
現在
7種類の釉薬(灰釉・鉄釉・古瀬戸釉・黄瀬戸釉・志野釉・織部釉・御深井釉)と12種類の装飾技法が今に伝わり、1977年(昭和52年)には、国の伝統的工芸品にも指定された。2010年2月現在、赤津焼伝統工芸士14名を数える。
赤津焼会館
1980年(昭和55年)、赤津焼の研究資料・民俗資料保存を目的として建設された。
赤津町の高台にあって織部釉の陶板で建物の外壁を被う特徴的な概観をもつ建物で、館内には会合用の研修室などを備えるとともに、茶道具・花器などから普段使いの焼物まで、赤津の窯元の作品を一堂に集めて展示・販売している。

常滑焼(とこなめやき)は、愛知県常滑市を中心とし、その周辺を含む知多半島内で焼かれる炻器。日本六古窯の一つ。

歴史
中世の常滑焼
平安時代末期、猿投窯南部の灰釉陶窯の南下に伴い形成された知多半島古窯跡群を母体とするが、灰釉陶器の伝統にはない大型の甕や壺を新たに主要な器種として創造することで瓷器系中世陶器の主要生産地となった。中世の常滑焼の窯跡は1,000基以上で数千基に及ぶとされるが、その実数は不明。過去の学説では最高10,000基というものがあるが、根拠は不明瞭といわねばならない。
平安時代末期の製品は素朴な中にも王朝文化の名残を感じさせる優美さを持ち、経塚などの仏教遺跡で用いられる事例が少なからずあり、さらに奥州平泉の遺跡群で大量につかわれていたことが判明している。
鎌倉時代には素朴で力強い壺、甕などが生産され鎌倉では、おびただしい量の壺・甕・鉢が消費されていることが鎌倉遺跡群の発掘調査で判明している。そして、平安時代末期以来、広く太平洋沿岸を中心として流通していたが、鎌倉時代になると、さらにその流通圏は拡大・充実している。瀬戸内地方の広島県福山市に所在する草戸千軒町遺跡は、備前焼の生産地に近い立地ながら、鎌倉時代の常滑焼が数多く出土しており、そこからも、この時期の常滑焼の流通のあり方が窺われる。
その数数千基とも言われる中世窯は、広く知多半島の丘陵部傾斜面に掘られた地下窖窯(ちかしきあながま)で、その大半は平安時代末期から南北朝期までの期間におさまっている。なお、中世常滑焼を代表する大型貯蔵具の生産は、常滑地域を中心とする半島中部の窯で行われることが多く、半島の北部や南部では、灰釉陶器に由来する山茶碗・小碗・小皿などを中心とした生産が行われている。
室町時代になると半島全域に広く分布していた窯は旧常滑町周辺に集まり、しかも集落に近接した丘陵斜面に築かれるようになる。この段階では碗・皿類の生産は行わず、壺・甕・鉢の生産に特化している。また、室町期のある段階で半地上式の大窯に窯の構造が転換している。そして、その大窯は江戸時代の常滑焼を焼いた窯でもあり、別に鉄砲窯とも呼ばれた。古美術の分野で「古常滑」と呼ばれるものは、多く窖窯で焼かれた製品を指しているが、その区分はかならずしも明確ではなく大窯製品をも古常滑の中に入れる場合も少なくない。
禁窯令と常滑焼
戦国時代、織田信長が瀬戸の陶器生産を保護するために天正2年「禁窯令」を出したことで常滑の陶器生産も一旦終焉を迎えたとする説がある。その初出は昭和10年代に刊行の旧『愛知県史』で、昭和49年刊の『常滑窯業誌』でも採用されている。しかし、この説に対して赤羽一郎は1983年の著書『常滑』で「禁窯令」の根拠とされる朱印状の文面は、焼き物生産すべてを禁止したのではなく瀬戸風の焼き物を他所で焼くことを禁じたと解釈すべきであること。常滑の窯の数の急減と市街地への集約は、天正期よりはるか以前に起こった現象であること、そして、天正期に生産された可能性の高い常滑焼は、中世城館跡などから少なからず出土していること、さらには瀬戸と競合関係にあるのは常滑ではなく、生産内容が類似する美濃焼であるべきで、実際15世紀から16世紀にかけて瀬戸の技術が美濃に流入している現象があるなどの理由をあげて、その「禁窯令」の常滑への影響を否定している。その後の日本各地の発掘調査によっても天正初期の極端な生産減少を認めることはできない。
近世の常滑焼
江戸時代、常滑村・瀬木村・北条村の三か村で焼かれる焼き物を常滑焼と総称した。なかでも北条村に最も窯が多く、元禄七年の窯改めで常滑・瀬木が2基ずつであるのに対し、北条は8基である。その後、北条は享保年間に10基、天明年間に8基、そして、江戸末期の天保年間に11基である。常滑村と瀬木村については、その後の記録がないが江戸末期に1から2基の増加があった程度と推測される程度である。
近世常滑焼では高温で焼き締めた真焼(まやけ)物と素焼き状の赤物(あかもの)と呼ばれる製品群がある。真焼物は甕・壺を中心とするが、江戸後期になると茶器や酒器などの小細工物と呼ばれる陶芸品も登場する。一方、赤物は素焼きの甕や壺のほか蛸壺や火消壺、竈、火鉢などが中心となるが、江戸末期には土樋(どひ)とよばれる土管が赤物として登場してくる。
尾張藩侯の七・八代のころに北条村の渡辺弥平は、その命を受けて茶器・酒缶・花瓶などを作って上納したところ、いずれも賞玩され、それらが無名であることから元功斎の名を賜り、以後、作品に元功斎と記入することになったとされる。その後、常滑でも伊奈長三郎、上村白鴎、赤井陶然などの名工が出て茶器や酒器などに技を振るった。また、文政年間に稲葉高道(庄左衛門)は遠州秋葉山に参り、そこで伝来の「足利家同朋巽阿弥秘蔵 茶器三百五拾一品之内 茶瓶四拾三品」とある古写本を譲り受けて帰り、常滑で初めて急須を作ったとされる。また、杉江寿門堂(安平)は、安政元年に常滑の医者で急須の収集家でもあった平野忠司の指導を受けつつ、中国の茶壺の素材に近い朱泥を創出することに成功した。
常滑に連房式登窯が導入されるのは天保年間のこととされる。同じ天保年間に二代伊奈長三は板山土と呼ばれる白泥焼の原料を見出し、この土に乾燥させた海草を巻いて焼くことで生まれる火色焼(藻掛け技法)を生み出した。連房式登窯は真焼窯とも呼ばれ窯詰めされたものが、すべて真焼けになるのに対し、従来の大窯では燃焼室寄りに置かれたものは真焼けになるが、奥の煙道よりのものは温度が上がらず赤物になっていた。江戸末期に登り窯が導入された背景には、常滑においても各種の小細工物が量産される状況に至ったことをうかがわせる。この登り窯導入を行ったのは瀬木村の鯉江小三郎(方救)で、その息子の伊三郎(方寿)も協力したといわれる。しかし、年齢を考えると天保年間に方寿が大きく貢献したとはみなしがたい。また、鯉江家は尾張藩の御用を勤めていたとされるが天保11年には尾張藩の御小納戸御用、御焼物師の役を伊三郎(方寿)が勤めている。そして、その「御焼物師 鯉江伊三郎」と銘を入れた壺が煙硝壺として伝存している。同形のもので、梅干壺とされるものもあり、その仕様を書いた安政七年の御掃除方役所が出した古文書もあるが、梅干壺は鯉江の窯で焼いた形跡がない。そして、梅干窯を焼いた窯として松本久右衛門の松本窯が知られている。この窯は流通業で富を得た松本家が陶器生産に参入した結果生まれたものながら、その操業にあたって従来の窯業者との間に大きな摩擦が発生したという記録がある。
近代の常滑焼
明治時代になって株仲間のような規制がなくなると新規に陶器生産に参入する家が増えていく。そして、明治の常滑では近代土管という新たな主力製品があり、その生産は従来の窯屋だけでは供給しきれないほど大量の需要があった。土管は英語のEARTHENWARE PIPEの訳語とされる。常滑では江戸末期の赤物に土樋があり、文久年間に鯉江方寿は美濃高須侯の江戸屋敷で上水道用として用いる真焼土樋を作って納めたという記録がある。しかし、近代土管の生産は土樋とは異なる規格化された製品で明治5年、横浜の新埋立地の下水工事に伴う注文が鯉江方寿のもとにもたらされたことに始まる。その設計はお雇い外国人のリチャード・ブラントンであった。はじめ瓦の材質で作られた土管は強度に難があるということで、常滑の真焼甕のように作ることを求められた。この注文は従来の常滑焼の技術だけでは充分に対応できず、鯉江家に出入りしていた大工が発案した木型を用いて作る方法でブラントンの求めた規格通りの製品を納めることができたとされる。その後、鉄道網が整備されると灌漑用水路が線路で分断されるため暗渠の水路を強固な素材で通す必要があり、分厚くて硬く焼き締まった特厚の土管が大量に求められた。また、都市での疫病が大きな問題となるに従い上下水道の分離が求められ、土管の需要湯は増大する一方であった。こうした状況に鯉江家だけでは生産が追いつかず、鯉江家はその技術を解放して常滑をあげて土管生産に対応するようになっていく。
タイルを中心とする建築陶器の生産は明治末年ころから開始されるが、大正期、フランク・ロイド・ライトの設計になる帝国ホテルに採用されたスクラッチタイルやテラコッタなどを常滑で生産して以降、急速にその生産量が増加していく。帝国ホテルの開館の祝いが催されていた大正12年9月1日、関東大震災が発生したのであった。それまでの近代建築が多く煉瓦積みであったのに対し、帝国ホテルはコンクリートを用いており、震災の影響が見た目にはそれほど大きくなかった。そして、その後の鉄筋コンクリート建築が普及するとともに建築陶器の需要が急速に増大していくことになる。
幕末から常滑焼業界のリーダー的位置に付いた鯉江方寿は明治期に近代土管の量産を軌道に乗せ、さらに輸出用陶磁器の生産にも取り組んだ。しかし、鯉江窯の試作品は高級品志向が強く、本格的に輸出されるようになったのは朱泥龍巻(しゅでいりゅうまき)と総称される製品群であった。明治10年代に試作され20〜30年代に本格的に輸出された朱泥龍巻は北米を主要な市場としていた。朱泥土を用い壺や投入、花瓶などを作り、その表面に石膏型で成型した龍を中心とした薄板状の文様を貼り付けてレリーフ状の装飾としたものが朱泥龍巻であるが、常滑から神戸に送られ、そこでさらに漆や金箔などを用いた加工が施されていた。明治末になると朱泥龍巻は急速に商品価値を失い、大正期には新たに素焼きの生地に漆を塗り、様々な装飾を加えた陶漆器(とうしっき)が輸出品として生産されるようになる。
鯉江方寿の業績として、明治11年に清朝末期の文人で宜興窯の茶器製法を知っていた金士恒という人物を招聘し、常滑の陶工に、その技法を伝習させたというものがある。明治期の常滑の煎茶器生産は、多くの名工によって担われていたが、産業として量産されるような段階には至っていない。それは、大正・昭和戦前期においても同様で植木鉢や火鉢の方が主要な製品であった。
近代の常滑焼は、初め連房式登窯と大窯で焼かれていたが、明治33年に結成された常滑陶器同業組合が明治34年度の事業として取り組んだ倒焔式の石炭窯の試験に成功したことで、石炭窯が急速に普及し、大正・昭和の主役となる。しかし、町中を黒煙で覆った石炭窯も昭和45年「改正大気汚染防止法」のころから重油へと燃料転換が計られ、さらにガス窯や電気窯の普及、そして、量産品はトンネル窯によって焼成されるようになり、その役割を終えていった。

犬山焼

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あかいけいけだちょう

赤池池田町
あかいけいみちちょう
赤池居道町
あかいけうらだちょう
赤池裏田町
あかいけきたいけだちょう
赤池北池田町
あかいけきたまち
赤池北町
あかいけさかはたちょう
赤池坂畑町
あかいけじんでちょう
赤池陣出町
あかいけちょう
赤池町
あかいけちょう(いけのかみ)
赤池町(池ノ神)
あかいけちょう(いのばば)
赤池町(亥ノ馬場)
あかいけちょう(はったんの)
赤池町(八反野)
あかいけちょう(ひがしやま)
赤池町(東山)
あかいけちょう(まえやま)
赤池町(前山)
あかいけちょう(まつやま)
赤池町(松山)
あかいけてらひがしちょう
赤池寺東町
あかいけてんのうちょう
赤池天王町
あかいけなかまち
赤池中町
あかいけにしでちょう
赤池西出町
あかいけはたやちょう
赤池旗屋町
あかいけひがしやまちょう
赤池東山町
あかいけひろはたちょう
赤池広畑町
あかいけまえやまちょう
赤池前山町
あかいけまつさきちょう
赤池真崎町
あかいけみなみまち
赤池南町
あかいけみやにしちょう
赤池宮西町
あかいけやまなかちょう
赤池山中町
あさいちょう
浅井町
あさいちょう(あぶらじ)
浅井町(油地)
あさいちょう(いぬいで)
浅井町(戌亥出)
あさいちょう(きたおくや)
浅井町(北奥屋)
あさいちょう(きたで)
浅井町(北出)
あさいちょう(ごうまえ)
浅井町(郷前)
あさいちょう(さんだいち)
浅井町(三代地)
あさいちょう(しもかいばな)
浅井町(下海花)
あさいちょう(てらにし)
浅井町(寺西)
あさいちょう(なかかいどう)
浅井町(中海道)
あさいちょう(なかかいばな)
浅井町(中海花)
あさいちょう(べにや)
浅井町(紅屋)
あさいちょう(みなみおくや)
浅井町(南奥屋)
あさいちょう(みやにし)
浅井町(宮西)
あさいちょう(みやひがし)
浅井町(宮東)
あさいちょう(みやまえ)
浅井町(宮前)
あさいちょう(やがみ)
浅井町(八神)
あざぶちょう
朝府町
あまいけかなやまちょう
天池金山町
あまいけこうだちょう
天池光田町
あまいけごたんだちょう
天池五反田町
あまいけでんだいちょう
天池伝代町
あまいけとおまつちょう
天池遠松町
あまいけなみよせちょう
天池浪寄町
あまいけにしまち
天池西町
あまいけひがしまち
天池東町
あまいけまきつくりちょう
天池牧作町
いけべちょう
池部町
いしきあおかいちょう
一色青海町
いしきあとのくちちょう
一色跡之口町
いしきいちばちょう
一色市場町
いしきかみがたちょう
一色上方町
いしきかわまたちょう
一色川俣町
いしきさんたんだちょう
一色三反田町
いしきしもかたちょう
一色下方町
いしきじゅんけんちょう
一色巡見町
いしきじんぐうちょう
一色神宮町
いしきたけはしちょう
一色竹橋町
いしきなかどおりちょう
一色中通町
いしきなかやしきちょう
一色中屋敷町
いしきながはたちょう
一色長畑町
いしきにしまち
一色西町
いしきはくさんちょう
一色白山町
いしきふじつかちょう
一色藤塚町
いしきみちかみちょう
一色道上町
いしきもりやまちょう
一色森山町
いしばし
石橋
いたぶきちょう
板葺町
いたぶきちょう(かわひがし)
板葺町(川東)
いなざわちょう
稲沢町
いなざわちょう(きたじま)
稲沢町(北島)
いなざわちょう(きたやま)
稲沢町(北山)
いなざわちょう(しもだ)
稲沢町(下田)
いなざわちょう(ふだのつじ)
稲沢町(札ノ辻)
いなざわちょう(まえだ)
稲沢町(前田)
いなざわちょう(わりた)
稲沢町(割田)
いなざわちょうきたやま
稲沢町北山
いなじま
稲島
いなじまちょう
稲島町
いなじまちょう(あかなべ)
稲島町(茜部)
いなじまちょう(いしばた)
稲島町(石畑)
いなじまちょう(うめかいどう)
稲島町(梅海道)
いなじまちょう(かみながれ)
稲島町(上流)
いなじまちょう(かわひがし)
稲島町(川東)
いなじまちょう(きたや)
稲島町(北屋)
いなじまちょう(きたやまのうち)
稲島町(北山ノ内)
いなじまちょう(きりばた)
稲島町(桐畑)
いなじまちょう(さんこじん)
稲島町(三狐神)
いなじまちょう(しまだ)
稲島町(島田)
いなじまちょう(しもやまのうち)
稲島町(下山ノ内)
いなじまちょう(すはら)
稲島町(洲原)
いなじまちょう(すはらにし)
稲島町(洲原西)
いなじまちょう(すはらひがし)
稲島町(洲原東)
いなじまちょう(たかすか)
稲島町(高須賀)
いなじまちょう(たかなわて)
稲島町(高縄手)
いなじまちょう(てらべ)
稲島町(寺部)
いなじまちょう(てらやま)
稲島町(寺山)
いなじまちょう(てんじん)
稲島町(天神)
いなじまちょう(なかがわ)
稲島町(中川)
いなじまちょう(にしはさま)
稲島町(西狭間)
いなじまちょう(にのみや)
稲島町(二ノ宮)
いなじまちょう(はったんだ)
稲島町(八反田)
いなじまちょう(ひがしばた)
稲島町(東畑)
いなじまちょう(ほうじょうじうら)
稲島町(法成寺浦)
いなじまちょう(むしかんのん)
稲島町(虫観音)
いなじまひがし
稲島東
いなば
稲葉
いなぶちょう
稲府町
いのくちいしづかちょう
井之口石塚町
いのくちおおつぼちょう
井之口大坪町
いのくちおおみやちょう
井之口大宮町
いのくちおきのたちょう
井之口沖ノ田町
いのくちおやばたちょう
井之口親畑町
いのくちかきのきちょう
井之口柿ノ木町
いのくちきたばたちょう
井之口北畑町
いのくちこばんどちょう
井之口小番戸町
いのくちちょう
井之口町
いのくちちょう(いけのはた)
井之口町(池ノ畑)
いのくちちょう(いけむかえ)
井之口町(池向)
いのくちちょう(いしばた)
井之口町(石畑)
いのくちちょう(おおみちきた)
井之口町(大道北)
いのくちちょう(おおみやうら)
井之口町(大宮浦)
いのくちちょう(おおみやにし)
井之口町(大宮西)
いのくちちょう(おおみやまえ)
井之口町(大宮前)
いのくちちょう(かねつけ)
井之口町(カ子ツケ)
いのくちちょう(からいりきた)
井之口町(唐入北)
いのくちちょう(かわきたにし)
井之口町(川北西)
いのくちちょう(かわきたひがし)
井之口町(川北東)
いのくちちょう(かわはら)
井之口町(河原)
いのくちちょう(さんのうまえ)
井之口町(山王前)
いのくちちょう(しょうかくじ)
井之口町(正角寺)
いのくちちょう(ずこうじ)
井之口町(頭光寺)
いのくちちょう(たかばた)
井之口町(高畑)
いのくちちょう(でまちうら)
井之口町(出町裏)
いのくちちょう(でまちまえ)
井之口町(出町前)
いのくちちょう(ともざひがし)
井之口町(友左東)
いのくちちょう(なかしたんばた)
井之口町(中四反畑)
いのくちちょう(ながばた)
井之口町(長畑)
いのくちちょう(にししたんばた)
井之口町(西四反畑)
いのくちちょう(ひがしやしき)
井之口町(東屋敷)
いのくちちょう(まつのき)
井之口町(松ノ木)
いのくちちょう(みなみせんどふ)
井之口町(南センドフ)
いのくちつるでんちょう
井之口鶴田町
いのくちはくさんちょう
井之口白山町
いのくちほんまち
井之口本町
いのくちよつやちょう
井之口四家町
いぼりいぬしろちょう
井堀犬城町
いぼりえにしちょう
井堀江西町
いぼりおおなわちょう
井堀大縄町
いぼりかわひがしちょう
井堀川東町
いぼりがまろくちょう
井堀蒲六町
いぼりきたでちょう
井堀北出町
いぼりしもごうちょう
井堀下郷町
いぼりしゅくづかちょう
井堀宿塚町
いぼりたかみちょう
井堀高見町
いぼりなかごうちょう
井堀中郷町
いぼりのぐちちょう
井堀野口町
いぼりはししもちょう
井堀橋下町
いまむらちょう
今村町
いまむらちょう(えまたぎ)
今村町(江跨)
いまむらちょう(かみしんでん)
今村町(上新田)
いまむらちょう(ごう)
今村町(郷)
いまむらちょう(ごうひがし)
今村町(郷東)
いまむらちょう(さわ)
今村町(沢)
いまむらちょう(しもがわら)
今村町(下河原)
いまむらちょう(しもしんでん)
今村町(下新田)
いまむらちょう(たんば)
今村町(丹波)
いまむらちょう(ちょうばた)
今村町(長畑)
いまむらちょう(とりいまえ)
今村町(鳥居前)
いまむらちょう(にしで)
今村町(西出)
いまむらちょう(にしみやづけ)
今村町(西宮附)
いまむらちょう(ぬま)
今村町(沼)
いまむらちょう(ひがしみやづけ)
今村町(東宮附)
いまむらちょう(みぞぐちまえ)
今村町(溝口前)
いまむらちょう(むかいざわ)
今村町(向沢)
うしぶみちょう
牛踏町
うしぶみちょう(あがりとう)
牛踏町(上搭)
うしぶみちょう(よしの)
牛踏町(芳野)
えきまえ
駅前
おおつかきた
大塚北
おおつかちょう
大塚町
おおつかちょう(しんめいかいどう)
大塚町(神明海道)
おおつかちょう(ぜんぜ)
大塚町(善世)
おおつかちょう(つかばた)
大塚町(塚畑)
おおつかちょう(ばんば)
大塚町(馬場)
おおつかちょう(まつばぞえ)
大塚町(松葉添)
おおつかみなみ
大塚南
おおやあおやまちょう
大矢青山町
おおやえにしちょう
大矢江西町
おおやこうだちょう
大矢高田町
おおやしろやまちょう
大矢白山町
おおやしんぐうちょう
大矢真宮町
おおやじょうどじちょう
大矢浄土寺町
おおやせんぐちちょう
大矢仙口町
おおやちょう
大矢町
おおやちょう(いけだ)
大矢町(池田)
おおやちょう(いばらじま)
大矢町(茨島)
おおやちょう(おおやだ)
大矢町(大矢田)
おおやちょう(かしわ)
大矢町(栢)
おおやちょう(かんれんじ)
大矢町(寛蓮寺)
おおやちょう(きたうら)
大矢町(北浦)
おおやちょう(きんぞうにし)
大矢町(金蔵西)
おおやちょう(くまの)
大矢町(熊野)
おおやちょう(ごたんじ)
大矢町(五反地)
おおやちょう(さんじょうだ)
大矢町(三條田)
おおやちょう(しもながれ)
大矢町(下流)
おおやちょう(じぞうどう)
大矢町(地蔵堂)
おおやちょう(じないまえ)
大矢町(地内前)
おおやちょう(たかまつ)
大矢町(高松)
おおやちょう(てらわき)
大矢町(寺脇)
おおやちょう(ひがしおおぼり)
大矢町(東大堀)
おおやちょう(ひこざにし)
大矢町(彦左西)
おおやちょう(むらうちかみ)
大矢町(村内上)
おおやちょう(むらうちしも)
大矢町(村内下)
おおやちょう(むらうちなか)
大矢町(村内中)
おくだいのしたちょう
奥田井之下町
おくだおおさわちょう
奥田大沢町
おくだかみのきちょう
奥田神ノ木町
おくだきたはなのきちょう
奥田北花ノ木町
おくだきづかちょう
奥田木塚町
おくだきりたちょう
奥田切田町
おくだけいようちょう
奥田計用町
おくださかいちょう
奥田酒伊町
おくだしまざきちょう
奥田島崎町
おくだしもかわちょう
奥田下河町
おくだぜんたなちょう
奥田膳棚町
おくだたておさちょう
奥田立長町
おくだたばたちょう
奥田田畑町
おくだだいもんちょう
奥田大門町
おくだちょう
奥田町
おくだちょう(かみいちじょう)
奥田町(上一条)
おくだちょう(きたうおとりば)
奥田町(北魚取場)
おくだちょう(きたうちおき)
奥田町(北内沖)
おくだちょう(きたえんぞうぼう)
奥田町(北円蔵坊)
おくだちょう(きどきり)
奥田町(城戸切)
おくだちょう(きのうち)
奥田町(木之内)
おくだちょう(けいよう)
奥田町(計用)
おくだちょう(こちの)
奥田町(古知野)
おくだちょう(さんじゅうばんじん)
奥田町(三十番神)
おくだちょう(したんじ)
奥田町(四反地)
おくだちょう(しもいちじょう)
奥田町(下一条)
おくだちょう(しもにじょう)
奥田町(下二条)
おくだちょう(たばたきり)
奥田町(田畑切)
おくだちょう(てらぎり)
奥田町(寺切)
おくだちょう(なかきりまえ)
奥田町(中切前)
おくだちょう(なかしま)
奥田町(中島)
おくだちょう(はったんだ)
奥田町(八反田)
おくだちょう(ひがしいのうえ)
奥田町(東井之上)
おくだちょう(ぶんひちにし)
奥田町(文七西)
おくだちょう(みなみうおとりば)
奥田町(南魚取場)
おくだちょう(みなみうちおき)
奥田町(南内沖)
おくだちょう(みなみで)
奥田町(南出)
おくだちょう(やまがだ)
奥田町(山ケ田)
おくだちょう(よすま)
奥田町(夜須摩)
おくだちょう(ろくせろくぶ)
奥田町(六畝六歩)
おくだてらぎりちょう
奥田寺切町
おくだてんじんちょう
奥田天神町
おくだてんもくじちょう
奥田天目寺町
おくだなかきりちょう
奥田中切町
おくだながすみちょう
奥田長角町
おくだながれちょう
奥田流町
おくだはくさんちょう
奥田白山町
おくだばんばちょう
奥田馬場町
おくだほりばたちょう
奥田堀畑町
おくだみなみはなのきちょう
奥田南花ノ木町
おくだみやながちょう
奥田宮長町
おりづあぶらでんちょう
下津油田町
おりづうしあらいちょう
下津牛洗町
おりづかたまち
下津片町
おりづきたしんしょうじちょう
下津北信正寺町
おりづきたやま
下津北山
おりづきたやまちょう
下津北山町
おりづくらかけ
下津鞍掛
おりづくらかけちょう
下津鞍掛町
おりづこいど
下津小井戸
おりづこいどちょう
下津小井戸町
おりづこうみょうじちょう
下津光明寺町
おりづしもまちにし
下津下町西
おりづしもまちひがし
下津下町東
おりづしんまち
下津新町
おりづじゃいけちょう
下津蛇池町
おりづすみよしちょう
下津住吉町
おりづたかどちょう
下津高戸町
おりづたんげだちょう
下津丹下田町
おりづだいもんちょう
下津大門町
おりづちょう
下津町
おりづちょう(いしだうら)
下津町(石田浦)
おりづちょう(いしだきり)
下津町(石田切)
おりづちょう(きたかま)
下津町(北カマ)
おりづちょう(きたたんば)
下津町(北丹波)
おりづちょう(きたどんぐりにしきり)
下津町(北団栗西切)
おりづちょう(きたなかぎり)
下津町(北中切)
おりづちょう(きたろくたんだ)
下津町(北六反田)
おりづちょう(ちょうしはら)
下津町(銚子原)
おりづちょう(とりぼうし)
下津町(鳥帽子)
おりづちょう(ながれ)
下津町(流)
おりづちょう(にしくたらけ)
下津町(西クタラケ)
おりづちょう(にしこくぶ)
下津町(西国府)
おりづちょう(にししもまち)
下津町(西下町)
おりづちょう(にしちこうじ)
下津町(西知光寺)
おりづちょう(にしもり)
下津町(西森)
おりづちょう(ひがしいしだ)
下津町(東石田)
おりづちょう(ひがしくたらけ)
下津町(東クタラケ)
おりづちょう(ひがしこくぶ)
下津町(東国府)
おりづちょう(ひがししもまち)
下津町(東下町)
おりづちょう(ひがしそうごでん)
下津町(東惣合田)
おりづちょう(ひがしちこうじ)
下津町(東知光寺)
おりづちょう(ひがしほそまわり)
下津町(東細廻)
おりづちょう(ひがしもり)
下津町(東森)
おりづちょう(べんてんまえ)
下津町(弁天前)
おりづちょう(みなみがま)
下津町(南カマ)
おりづちょう(みなみしもがわら)
下津町(南下河原)
おりづちょう(みなみたんば)
下津町(南丹波)
おりづちょう(みなみどんぐりにしきり)
下津町(南団栗西切)
おりづちょう(みなみなかぎり)
下津町(南中切)
おりづちょう(みなみほりた)
下津町(南堀田)
おりづちょう(もとばんじん)
下津町(元番神)
おりづちょう(よしこだ)
下津町(芳子田)
おりづてらまえちょう
下津寺前町
おりづどやまちょう
下津土山町
おりづながたちょう
下津長田町
おりづにほんすぎちょう
下津二本杉町
おりづふじつかちょう
下津ふじ塚町
おりづほどころ
下津穂所
おりづほどころちょう
下津穂所町
おりづほんごうちょう
下津本郷町
おりづみなみしんしょうじちょう
下津南信正寺町
おりづみなみやま
下津南山
おりづみなみやまちょう
下津南山町
おりづみやにしちょう
下津宮西町
おりづもりまち
下津森町
おりづやぐちちょう
下津矢口町

かたはらいしきちょう
片原一色町
かたはらいしきちょう(うまだし)
片原一色町(馬出)
かたはらいしきちょう(おおまつした)
片原一色町(大松下)
かたはらいしきちょう(おおやま)
片原一色町(大山)
かたはらいしきちょう(かえち)
片原一色町(替地)
かたはらいしきちょう(かづき)
片原一色町(河附)
かたはらいしきちょう(かみみついけ)
片原一色町(上三ツ池)
かたはらいしきちょう(かんざいけ)
片原一色町(勘左池)
かたはらいしきちょう(こうしん)
片原一色町(庚申)
かたはらいしきちょう(こやま)
片原一色町(小山)
かたはらいしきちょう(さいのかみ)
片原一色町(才ノ上)
かたはらいしきちょう(さざら)
片原一色町(筅)
かたはらいしきちょう(さんげんいり)
片原一色町(三間杁)
かたはらいしきちょう(さんたんもの)
片原一色町(三反物)
かたはらいしきちょう(しもひら)
片原一色町(下平)
かたはらいしきちょう(じぞうみなみ)
片原一色町(地蔵南)
かたはらいしきちょう(たかやま)
片原一色町(高山)
かたはらいしきちょう(たてきりひがし)
片原一色町(竪切東)
かたはらいしきちょう(つかした)
片原一色町(塚下)
かたはらいしきちょう(つつみづか)
片原一色町(堤附)
かたはらいしきちょう(どうほう)
片原一色町(道法)
かたはらいしきちょう(にしきたまわり)
片原一色町(西北廻)
かたはらいしきちょう(にしさんたんだ)
片原一色町(西三反田)
かたはらいしきちょう(にしたけばし)
片原一色町(西竹橋)
かたはらいしきちょう(にょらい)
片原一色町(如来)
かたはらいしきちょう(はぎはた)
片原一色町(萩畑)
かたはらいしきちょう(はしかみ)
片原一色町(橋上)
かたはらいしきちょう(はちまいもの)
片原一色町(八枚物)
かたはらいしきちょう(ひがしきたまわり)
片原一色町(東北廻)
かたはらいしきちょう(ひがしみちかみ)
片原一色町(東道上)
かたはらいしきちょう(ひよがわ)
片原一色町(日用川)
かたはらいしきちょう(ひら)
片原一色町(平)
かたはらいしきちょう(ふかぞ)
片原一色町(深曽)
かたはらいしきちょう(ふきあげ)
片原一色町(吹上)
かたはらいしきちょう(ふじつか)
片原一色町(藤塚)
かたはらいしきちょう(ふじみざき)
片原一色町(富士見崎)
かたはらいしきちょう(ふないり)
片原一色町(舟入)
かたはらいしきちょう(ほりづめ)
片原一色町(堀詰)
かたはらいしきちょう(ぼうずいけ)
片原一色町(坊主池)
かたはらいしきちょう(みちかみ)
片原一色町(道上)
かたはらいしきちょう(みついけ)
片原一色町(三ツ池)
かたはらいしきちょう(みなみまわり)
片原一色町(南廻)
かたはらいしきちょう(みやにし)
片原一色町(宮西)
かたはらいしきちょう(みやまえ)
片原一色町(宮前)
かたはらいしきちょう(もとろく)
片原一色町(元六)
かたはらいしきちょう(もりやま)
片原一色町(森山)
かたはらいしきちょう(やぐらした)
片原一色町(矢倉下)
かたはらいしきちょう(よつや)
片原一色町(四ツ屋)
きたいちばちょう
北市場町
きたいちばちょう(げんの)
北市場町(玄野)
きたいちばちょう(にしげんの)
北市場町(西玄野)
きたいちばちょう(ひがしげんの)
北市場町(東玄野)
きたいちばちょう(ふるざんみ)
北市場町(古三味)
きたいちばちょう(まちひがし)
北市場町(町東)
きたいちばにしまち
北市場西町
きたいちばほんまち
北市場本町
きたいちばみなみまち
北市場南町
きたおうみちょう
北麻績町
きたおうみちょう(おうばた)
北麻績町(麻畑)
きたおうみちょう(ごううち)
北麻績町(郷内)
きたおうみちょう(ごうにし)
北麻績町(郷西)
きたおうみちょう(ごうまえ)
北麻績町(郷前)
きたおうみちょう(さんこぐう)
北麻績町(三狐宮)
きたおうみちょう(さんたんじ)
北麻績町(三反地)
きたおうみちょう(ぬま)
北麻績町(沼)
きたおうみちょう(ねぎた)
北麻績町(祢宜田)
きたおうみちょう(みやにし)
北麻績町(宮西)
きたじま
北島
きたじまちょう
北島町
きたじまちょう(いちばまえ)
北島町(市場前)
きたじまちょう(いぬい)
北島町(戌亥)
きたじまちょう(えさき)
北島町(江崎)
きたじまちょう(えちえんどう)
北島町(越円堂)
きたじまちょう(えにし)
北島町(江西)
きたじまちょう(えのきまえ)
北島町(榎前)
きたじまちょう(おおずい)
北島町(大水)
きたじまちょう(かさやぶり)
北島町(笠破)
きたじまちょう(かみなか)
北島町(上中)
きたじまちょう(かめつぼ)
北島町(亀坪)
きたじまちょう(きちやしき)
北島町(吉屋敷)
きたじまちょう(こうじんつか)
北島町(金神塚)
きたじまちょう(こめやざかい)
北島町(米屋境)
きたじまちょう(こやなぎ)
北島町(小柳)
きたじまちょう(さらやしき)
北島町(皿屋敷)
きたじまちょう(さんたんじ)
北島町(三反地)
きたじまちょう(しろ)
北島町(城)
きたじまちょう(しんでん)
北島町(新田)
きたじまちょう(しんめいまえ)
北島町(神明前)
きたじまちょう(すげた)
北島町(菅田)
きたじまちょう(せんのじ)
北島町(千野地)
きたじまちょう(たるまる)
北島町(樽丸)
きたじまちょう(だいもんにし)
北島町(大門西)
きたじまちょう(だいもんひがし)
北島町(大門東)
きたじまちょう(てんじんにし)
北島町(天神西)
きたじまちょう(てんじんまえ)
北島町(天神前)
きたじまちょう(といり)
北島町(戸杁)
きたじまちょう(とうろうまえ)
北島町(燈籠前)
きたじまちょう(なかぎり)
北島町(中切)
きたじまちょう(ながれ)
北島町(流)
きたじまちょう(ななつだ)
北島町(七ツ田)
きたじまちょう(にしのちょう)
北島町(西之町)
きたじまちょう(にしばた)
北島町(西畑)
きたじまちょう(にしやしき)
北島町(西屋敷)
きたじまちょう(ふたつの)
北島町(二ツ野)
きたじまちょう(ほうでん)
北島町(宝田)
きたじまちょう(ぼうだ)
北島町(棒田)
きたじまちょう(やぶしろ)
北島町(薮代)
きたじまちょう(やまのうら)
北島町(山之浦)
きたじまちょう(ろくしょ)
北島町(六所)
きたじまちょう(わらびの)
北島町(蕨野)
きまた
木全
きまたちょう
木全町
きまたちょう(しょうまえ)
木全町(庄前)
ぎちょう
儀長
くがたいちりやまちょう
陸田一里山町
くがたうまやまちょう
陸田馬山町
くがたくりばやしちょう
陸田栗林町
くがたたかばたちょう
陸田高畑町
くがたちょう
陸田町
くがたちょう(あなだ)
陸田町(穴田)
くがたちょう(うまやま)
陸田町(馬山)
くがたちょう(かみひがしのかわ)
陸田町(上東之川)
くがたちょう(ごうかみきり)
陸田町(郷上切)
くがたちょう(ごうしもきり)
陸田町(郷下切)
くがたちょう(ごうひがし)
陸田町(郷東)
くがたちょう(ごうまえ)
陸田町(郷前)
くがたちょう(さかだ)
陸田町(坂田)
くがたちょう(しもひがしのかわ)
陸田町(下東之川)
くがたちょう(じんで)
陸田町(陣出)
くがたちょう(てらだ)
陸田町(寺田)
くがたちょう(はくさん)
陸田町(白山)
くがたちょう(はちまん)
陸田町(八幡)
くがたちょう(はなづか)
陸田町(花塚)
くがたちょう(まるのうち)
陸田町(丸之内)
くがたちょう(もものき)
陸田町(桃ノ木)
くがたはくさんちょう
陸田白山町
くがたはなづかちょう
陸田花塚町
くがたひがしでちょう
陸田東出町
くがたほんまち
陸田本町
くがたまるのうちちょう
陸田丸之内町
くがたみやまえ
陸田宮前
くがたみやまえちょう
陸田宮前町
くさかべきたまち
日下部北町
くさかべちょう
日下部町
くさかべちょう(かわはら)
日下部町(河原)
くさかべちょう(たちぶ)
日下部町(立部)
くさかべなかまち
日下部中町
くさかべにしまち
日下部西町
くさかべはなのきちょう
日下部花ノ木町
くさかべひがしまち
日下部東町
くさかべまつのちょう
日下部松野町
くさかべみなみまち
日下部南町
こいけ
小池
こいけしょうめいじちょう
小池正明寺町
こいけしょうめいじちょう(かぎた)
小池正明寺町(鍵田)
こいけしょうめいじちょう(きたかいどう)
小池正明寺町(北街道)
こいけしょうめいじちょう(ひがしかわた)
小池正明寺町(東川田)
こうのみや
国府宮
こうのみやじんでんちょう
国府宮神田町
こうのみやちょう
国府宮町
こうのみやちょう(すわ)
国府宮町(諏訪)
こうのみやちょう(てまくら)
国府宮町(手枕)
こうわいけだちょう
子生和池田町
こうわえんばちょう
子生和円場町
こうわこはらちょう
子生和小原町
こうわこやすがちょう
子生和子安賀町
こうわさかたちょう
子生和坂田町
こうわさんのうちょう
子生和山王町
こうわしんめいちょう
子生和神明町
こうわすみよしちょう
子生和住吉町
こうわちょう
子生和町
こうわちょう(きたやしき)
子生和町(北屋敷)
こうわちょう(なかのさ)
子生和町(仲之佐)
こうわちょう(なかやしき)
子生和町(中屋敷)
こうわちょう(にしやしき)
子生和町(西屋敷)
こうわちょう(はちまんごし)
子生和町(八幡腰)
こうわちょう(みなみやしき)
子生和町(南屋敷)
こうわみぞしちょう
子生和溝師町
こうわやしまちょう
子生和八島町
こざわ
小沢
こでらちょう
小寺町
こみのちょう
込野町
こみのちょう(えのきど)
込野町(榎戸)
こみのちょう(ごうなか)
込野町(郷中)
こみのちょう(じょうどうじ)
込野町(浄道寺)
こみのちょう(はなのき)
込野町(花ノ木)
こみのちょう(ひらまつ)
込野町(平松)
こみのちょう(もとやしき)
込野町(元屋敷)
ごくしょちょう
御供所町

さいわいちょう
幸町
さかたちょう
坂田町
さかたちょう(きたばた)
坂田町(北畑)
さかたちょう(きつねざわ)
坂田町(狐沢)
さかたちょう(きふね)
坂田町(貴船)
さかたちょう(こうのうみ)
坂田町(鴻ノ海)
さかたちょう(ごうみなみ)
坂田町(郷南)
さかたちょう(さいかい)
坂田町(西海)
さかたちょう(のりこし)
坂田町(乗越)
さかたちょう(みやうら)
坂田町(宮浦)
さかたちょう(やしき)
坂田町(屋敷)
さくらぎ
桜木
さくらぎみやまえちょう
桜木宮前町
しげもと
重本
しまこはらちょう
島小原町
しまこやすかちょう
島子安賀町
しまたかすかちょう
島高須賀町
しまちょう
島町
しまちょう(おはけ)
島町(於波計)
しまちょう(かなつじ)
島町(金辻)
しまちょう(かみのま)
島町(上農間)
しまちょう(きたうら)
島町(北浦)
しまちょう(ごうまえ)
島町(郷前)
しまちょう(しもばた)
島町(下畑)
しまちょう(しんでん)
島町(新田)
しまちょう(たかすか)
島町(高須賀)
しまちょう(てらにし)
島町(寺西)
しまちょう(てんのこし)
島町(天之越)
しまちょう(といだ)
島町(樋田)
しまちょう(のどかわき)
島町(喉乾)
しまちょう(ひがしのごう)
島町(東之郷)
しまちょう(ふしょうどう)
島町(普照堂)
しまちょう(ほんごう)
島町(本郷)
しまちょう(めんじょうだ)
島町(免定田)
しまひがしのごうちょう
島東之郷町
しみずあわらちょう
清水阿原町
しみずごうにしちょう
清水郷西町
しみずちょう
清水町
しみずちょう(えんきょうら)
清水町(円居浦)
しみずちょう(ごうにし)
清水町(郷西)
しみずちょう(ちんじゅ)
清水町(鎮守)
しみずちょう(てらまえ)
清水町(寺前)
しみずちょう(とりしんでん)
清水町(酉新田)
しみずてらまえちょう
清水寺前町
しみずにしかわらちょう
清水西川原町
しみずはちじりちょう
清水八尻町
しみずやがみちょう
清水八神町
しもや
下屋
しもやちょう
下屋町
しもやちょう(さんだいじ)
下屋町(三大地)
しもやちょう(みちした)
下屋町(道下)
しもやちょう(みなみさき)
下屋町(南崎)
しょうめいじ
正明寺
じろまるいしづかちょう
治郎丸石塚町
じろまるおおすみちょう
治郎丸大角町
じろまるきたまち
治郎丸北町
じろまるごうまえちょう
治郎丸郷前町
じろまるしんぼくちょう
治郎丸神木町
じろまるせいしきちょう
治郎丸清敷町
じろまるたかすちょう
治郎丸高須町
じろまるだいみょうちょう
治郎丸大明町
じろまるつばきちょう
治郎丸椿町
じろまるてんじんちょう
治郎丸天神町
じろまるどいまち
治郎丸土井町
じろまるなかまち
治郎丸中町
じろまるにしまち
治郎丸西町
じろまるはくさんちょう
治郎丸白山町
じろまるひがしまち
治郎丸東町
じろまるふるえちょう
治郎丸古江町
じろまるほそみちちょう
治郎丸細道町
じろまるみなみまち
治郎丸南町
じろまるもとまち
治郎丸元町
じろまるやなぎちょう
治郎丸柳町
せんだい
千代
せんだいちょう
千代町
せんだいちょう(いしきまえ)
千代町(一色前)
せんだいちょう(いたや)
千代町(板屋)
せんだいちょう(いぬいで)
千代町(戌亥出)
せんだいちょう(ごんすけ)
千代町(権助)
せんだいちょう(しゃぐち)
千代町(社宮地)
せんだいちょう(すなばた)
千代町(砂畑)
せんだいちょう(てんじん)
千代町(天神)
せんだいちょう(とうごう)
千代町(東郷)
せんだいちょう(なかごう)
千代町(中郷)
せんだいちょう(ひがしちょうばた)
千代町(東丁畑)
せんだいちょう(ひがしはざま)
千代町(東廻間)
せんだいちょう(みどうさき)
千代町(御堂先)
せんだいちょう(みやみなみ)
千代町(宮南)
せんだいちょう(やまねこばた)
千代町(山猫畑)
せんだいにしまち
千代西町
そぶえちょうおおまき
祖父江町大牧
そぶえちょうおおまき(おしあげ)
祖父江町大牧(押上)
そぶえちょうおおまき(きたぬま)
祖父江町大牧(北沼)
そぶえちょうおおまき(ごうなか)
祖父江町大牧(郷中)
そぶえちょうおおまき(さんだんだ)
祖父江町大牧(三反田)
そぶえちょうおおまき(すなだ)
祖父江町大牧(砂田)
そぶえちょうおおまき(ひえだ)
祖父江町大牧(稗田)
そぶえちょうおおまき(みょうでん)
祖父江町大牧(明田)
そぶえちょうかぶとしんでん
祖父江町甲新田
そぶえちょうかぶとしんでん(いいち)
祖父江町甲新田(イ一)
そぶえちょうかぶとしんでん(いきゅう)
祖父江町甲新田(イ九)
そぶえちょうかぶとしんでん(いご)
祖父江町甲新田(イ五)
そぶえちょうかぶとしんでん(いじゅう)
祖父江町甲新田(イ十)
そぶえちょうかぶとしんでん(いつつや)
祖父江町甲新田(五ツ屋)
そぶえちょうかぶとしんでん(いなな)
祖父江町甲新田(イ七)
そぶえちょうかぶとしんでん(いはち)
祖父江町甲新田(イ八)
そぶえちょうかぶとしんでん(いりみなみ)
祖父江町甲新田(杁南)
そぶえちょうかぶとしんでん(いろく)
祖父江町甲新田(イ六)
そぶえちょうかぶとしんでん(えんつうじまえ)
祖父江町甲新田(円通寺前)
そぶえちょうかぶとしんでん(かいどうみなみ)
祖父江町甲新田(海道南)
そぶえちょうかぶとしんでん(かぶとかみ)
祖父江町甲新田(甲上)
そぶえちょうかぶとしんでん(かぶとしも)
祖父江町甲新田(甲下)
そぶえちょうかぶとしんでん(かぶとなか)
祖父江町甲新田(甲中)
そぶえちょうかぶとしんでん(かぶとみやにし)
祖父江町甲新田(甲宮西)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばいち)
祖父江町甲新田(芝一)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばご)
祖父江町甲新田(芝五)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばさん)
祖父江町甲新田(芝三)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばなな)
祖父江町甲新田(芝七)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばに)
祖父江町甲新田(芝二)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばはち)
祖父江町甲新田(芝八)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばはらかみ)
祖父江町甲新田(芝原上)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばはらしも)
祖父江町甲新田(芝原下)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばはらなか)
祖父江町甲新田(芝原中)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばよん)
祖父江町甲新田(芝四)
そぶえちょうかぶとしんでん(しばろく)
祖父江町甲新田(芝六)
そぶえちょうかぶとしんでん(しんえにし)
祖父江町甲新田(新江西)
そぶえちょうかぶとしんでん(すかきた)
祖父江町甲新田(須賀北)
そぶえちょうかぶとしんでん(たかすか)
祖父江町甲新田(高須賀)
そぶえちょうかぶとしんでん(たかやま)
祖父江町甲新田(高山)
そぶえちょうかぶとしんでん(ながれしんでん)
祖父江町甲新田(流新田)
そぶえちょうかぶとしんでん(まえだ)
祖父江町甲新田(前田)
そぶえちょうかぶとしんでん(またすけひがし)
祖父江町甲新田(又助東)
そぶえちょうかぶとしんでん(みやうら)
祖父江町甲新田(宮浦)
そぶえちょうかぶとしんでん(ろくけん)
祖父江町甲新田(六軒)
そぶえちょうかんまき
祖父江町上牧
そぶえちょうかんまき(いぬいで)
祖父江町上牧(戌亥出)
そぶえちょうかんまき(かみかわだ)
祖父江町上牧(上川田)
そぶえちょうかんまき(しもかわだ)
祖父江町上牧(下川田)
そぶえちょうかんまき(ていがい)
祖父江町上牧(堤外)
そぶえちょうかんまき(なか)
祖父江町上牧(中)
そぶえちょうかんまき(なかそと)
祖父江町上牧(中外)
そぶえちょうかんまき(にし)
祖父江町上牧(西)
そぶえちょうかんまき(ねしんでん)
祖父江町上牧(子新田)
そぶえちょうかんまき(ひがし)
祖父江町上牧(東)
そぶえちょうかんまき(みやうら)
祖父江町上牧(宮裏)
そぶえちょうかんまき(みやまえ)
祖父江町上牧(宮前)
そぶえちょうさくらがた
祖父江町桜方
そぶえちょうさくらがた(かみきり)
祖父江町桜方(上切)
そぶえちょうさくらがた(かれえのき)
祖父江町桜方(枯榎)
そぶえちょうさくらがた(かわだ)
祖父江町桜方(川田)
そぶえちょうさくらがた(かわなり)
祖父江町桜方(川鳴)
そぶえちょうさくらがた(ささはら)
祖父江町桜方(笹原)
そぶえちょうさくらがた(ししろ)
祖父江町桜方(四城)
そぶえちょうさくらがた(しもろくちょう)
祖父江町桜方(下六町)
そぶえちょうさくらがた(しんえみなみ)
祖父江町桜方(新江南)
そぶえちょうさくらがた(ぜんしあと)
祖父江町桜方(善四跡)
そぶえちょうさくらがた(たてきり)
祖父江町桜方(立切)
そぶえちょうさくらがた(てらおか)
祖父江町桜方(寺岡)
そぶえちょうさくらがた(なかごう)
祖父江町桜方(中郷)
そぶえちょうさくらがた(なかろくちょう)
祖父江町桜方(中六町)
そぶえちょうさくらがた(にしごう)
祖父江町桜方(西郷)
そぶえちょうさくらがた(ほらだに)
祖父江町桜方(螺谷)
そぶえちょうさくらがた(まつばら)
祖父江町桜方(松原)
そぶえちょうさくらがた(みやひがし)
祖父江町桜方(宮東)
そぶえちょうさくらがた(ろくちょう)
祖父江町桜方(六町)
そぶえちょうさんまるぶち
祖父江町三丸渕
そぶえちょうさんまるぶち(いちだんわり)
祖父江町三丸渕(一段割)
そぶえちょうさんまるぶち(えきどおり)
祖父江町三丸渕(駅通)
そぶえちょうさんまるぶち(えぎたかみ)
祖父江町三丸渕(江北上)
そぶえちょうさんまるぶち(えぎたにし)
祖父江町三丸渕(江北西)
そぶえちょうさんまるぶち(えぎたまえ)
祖父江町三丸渕(江北前)
そぶえちょうさんまるぶち(おきま)
祖父江町三丸渕(沖間)
そぶえちょうさんまるぶち(かみまるぶち)
祖父江町三丸渕(上丸渕)
そぶえちょうさんまるぶち(かみやしき)
祖父江町三丸渕(上屋敷)
そぶえちょうさんまるぶち(かみやどめ)
祖父江町三丸渕(上矢留)
そぶえちょうさんまるぶち(かわなみまえ)
祖父江町三丸渕(川並前)
そぶえちょうさんまるぶち(ごううら)
祖父江町三丸渕(郷裏)
そぶえちょうさんまるぶち(ごうまえ)
祖父江町三丸渕(郷前)
そぶえちょうさんまるぶち(さるしんでんかみのきり)
祖父江町三丸渕(申新田上ノ切)
そぶえちょうさんまるぶち(さるしんでんしものきり)
祖父江町三丸渕(申新田下ノ切)
そぶえちょうさんまるぶち(さんだんわり)
祖父江町三丸渕(三段割)
そぶえちょうさんまるぶち(しもやしき)
祖父江町三丸渕(下屋敷)
そぶえちょうさんまるぶち(しもやどめ)
祖父江町三丸渕(下矢留)
そぶえちょうさんまるぶち(しんでんいちのわり)
祖父江町三丸渕(新田一ノ割)
そぶえちょうさんまるぶち(しんでんさんのわり)
祖父江町三丸渕(新田三ノ割)
そぶえちょうさんまるぶち(しんでんにのわり)
祖父江町三丸渕(新田二ノ割)
そぶえちょうさんまるぶち(しんでんよんのわり)
祖父江町三丸渕(新田四ノ割)
そぶえちょうさんまるぶち(たかはた)
祖父江町三丸渕(高畑)
そぶえちょうさんまるぶち(つかごし)
祖父江町三丸渕(塚越)
そぶえちょうさんまるぶち(てらひがし)
祖父江町三丸渕(寺東)
そぶえちょうさんまるぶち(なかじま)
祖父江町三丸渕(中島)
そぶえちょうさんまるぶち(なかどおり)
祖父江町三丸渕(中通)
そぶえちょうさんまるぶち(なかのきり)
祖父江町三丸渕(中ノ切)
そぶえちょうさんまるぶち(なかまるぶち)
祖父江町三丸渕(中丸渕)
そぶえちょうさんまるぶち(なかやしき)
祖父江町三丸渕(中屋敷)
そぶえちょうさんまるぶち(ななうら)
祖父江町三丸渕(七裏)
そぶえちょうさんまるぶち(ななまえ)
祖父江町三丸渕(七前)
そぶえちょうさんまるぶち(ななやしき)
祖父江町三丸渕(七屋敷)
そぶえちょうさんまるぶち(にしながれ)
祖父江町三丸渕(西流)
そぶえちょうさんまるぶち(にだんわり)
祖父江町三丸渕(二段割)
そぶえちょうさんまるぶち(ひがしてらの)
祖父江町三丸渕(東寺野)
そぶえちょうさんまるぶち(ひらくち)
祖父江町三丸渕(平口)
そぶえちょうさんまるぶち(ふるかわかみのきり)
祖父江町三丸渕(古川上ノ切)
そぶえちょうさんまるぶち(ふるかわしものきり)
祖父江町三丸渕(古川下ノ切)
そぶえちょうさんまるぶち(ふるみや)
祖父江町三丸渕(古宮)
そぶえちょうさんまるぶち(ほうどうじ)
祖父江町三丸渕(報導寺)
そぶえちょうさんまるぶち(まごじまえ)
祖父江町三丸渕(孫治前)
そぶえちょうさんまるぶち(みかえじ)
祖父江町三丸渕(御替地)
そぶえちょうさんまるぶち(みなみやどめ)
祖父江町三丸渕(南矢留)
そぶえちょうさんまるぶち(みやうら)
祖父江町三丸渕(宮裏)
そぶえちょうさんまるぶち(みやまえ)
祖父江町三丸渕(宮前)
そぶえちょうさんまるぶち(やしま)
祖父江町三丸渕(八島)
そぶえちょうさんまるぶち(やしまにし)
祖父江町三丸渕(八島西)
そぶえちょうさんまるぶち(やまうら)
祖父江町三丸渕(山裏)
そぶえちょうさんまるぶち(やましんでん)
祖父江町三丸渕(山新田)
そぶえちょうさんまるぶち(やまのごう)
祖父江町三丸渕(山之郷)
そぶえちょうさんまるぶち(やままえ)
祖父江町三丸渕(山前)
そぶえちょうさんまるぶち(よこまくら)
祖父江町三丸渕(横枕)
そぶえちょうしまもと
祖父江町島本
そぶえちょうしまもと(あなだ)
祖父江町島本(穴田)
そぶえちょうしまもと(いしづか)
祖父江町島本(石塚)
そぶえちょうしまもと(うのもと)
祖父江町島本(鵜之本)
そぶえちょうしまもと(かみなわ)
祖父江町島本(上縄)
そぶえちょうしまもと(かわだ)
祖父江町島本(川田)
そぶえちょうしまもと(きたいしづか)
祖父江町島本(北石塚)
そぶえちょうしまもと(きたながいけ)
祖父江町島本(北長池)
そぶえちょうしまもと(しんでん)
祖父江町島本(新田)
そぶえちょうしまもと(ちゅうぶ)
祖父江町島本(中部)
そぶえちょうしまもと(ていがい)
祖父江町島本(堤外)
そぶえちょうしまもと(てらにしきたのきり)
祖父江町島本(寺西北ノ切)
そぶえちょうしまもと(てらのきり)
祖父江町島本(寺之切)
そぶえちょうしまもと(とうぶ)
祖父江町島本(東部)
そぶえちょうしまもと(なかどおりかみのきり)
祖父江町島本(中通リ上ノ切)
そぶえちょうしまもと(なかどおりしものきり)
祖父江町島本(中通リ下ノ切)
そぶえちょうしまもと(なかどおりなかのきり)
祖父江町島本(中通リ中ノ切)
そぶえちょうしまもと(ながいけ)
祖父江町島本(長池)
そぶえちょうしまもと(なんぶ)
祖父江町島本(南部)
そぶえちょうしまもと(にしいしづか)
祖父江町島本(西石塚)
そぶえちょうしまもと(にしどうしょ)
祖父江町島本(西同所)
そぶえちょうしまもと(ねしんでん)
祖父江町島本(子新田)
そぶえちょうしまもと(ひがしどうしょ)
祖父江町島本(東同所)
そぶえちょうしまもと(ひらなか)
祖父江町島本(平中)
そぶえちょうしまもと(ほくぶ)
祖父江町島本(北部)
そぶえちょうしまもと(みしんでん)
祖父江町島本(未新田)
そぶえちょうしまもと(みなみいしづか)
祖父江町島本(南石塚)
そぶえちょうしまもと(みょうでん)
祖父江町島本(明田)
そぶえちょうしんみょうづ
祖父江町神明津
そぶえちょうしんみょうづ(あきばすじ)
祖父江町神明津(秋葉筋)
そぶえちょうしんみょうづ(おがわ)
祖父江町神明津(小川)
そぶえちょうしんみょうづ(きたこいしき)
祖父江町神明津(北小一色)
そぶえちょうしんみょうづ(きたしもなわ)
祖父江町神明津(北下縄)
そぶえちょうしんみょうづ(きたていがい)
祖父江町神明津(北堤外)
そぶえちょうしんみょうづ(きたねしんでん)
祖父江町神明津(北子新田)
そぶえちょうしんみょうづ(きたひら)
祖父江町神明津(北平)
そぶえちょうしんみょうづ(さいこうじ)
祖父江町神明津(西光寺)
そぶえちょうしんみょうづ(しもひら)
祖父江町神明津(下平)
そぶえちょうしんみょうづ(しんでん)
祖父江町神明津(新田)
そぶえちょうしんみょうづ(じざえもんにし)
祖父江町神明津(治左エ門西)
そぶえちょうしんみょうづ(すみの)
祖父江町神明津(角野)
そぶえちょうしんみょうづ(そとうら)
祖父江町神明津(外浦)
そぶえちょうしんみょうづ(てらの)
祖父江町神明津(寺野)
そぶえちょうしんみょうづ(なかすなはら)
祖父江町神明津(中砂原)
そぶえちょうしんみょうづ(なかた)
祖父江町神明津(中田)
そぶえちょうしんみょうづ(ながせやま)
祖父江町神明津(長瀬山)
そぶえちょうしんみょうづ(にしこいしき)
祖父江町神明津(西小一色)
そぶえちょうしんみょうづ(にししもなわ)
祖父江町神明津(西下縄)
そぶえちょうしんみょうづ(にしひら)
祖父江町神明津(西平)
そぶえちょうしんみょうづ(にしむらきた)
祖父江町神明津(西村北)
そぶえちょうしんみょうづ(ねしんでん)
祖父江町神明津(子新田)
そぶえちょうしんみょうづ(ひがしこいしき)
祖父江町神明津(東小一色)
そぶえちょうしんみょうづ(ひがししもなわ)
祖父江町神明津(東下縄)
そぶえちょうしんみょうづ(ひがしつか)
祖父江町神明津(東塚)
そぶえちょうしんみょうづ(ひがしひら)
祖父江町神明津(東平)
そぶえちょうしんみょうづ(ひがしむらきた)
祖父江町神明津(東村北)
そぶえちょうしんみょうづ(びしゃもん)
祖父江町神明津(毘沙門)
そぶえちょうしんみょうづ(みなみこいしき)
祖父江町神明津(南小一色)
そぶえちょうしんみょうづ(みなみしもなわ)
祖父江町神明津(南下縄)
そぶえちょうしんみょうづ(みなみすなはら)
祖父江町神明津(南砂原)
そぶえちょうしんみょうづ(みなみていがい)
祖父江町神明津(南堤外)
そぶえちょうしんみょうづ(みなみねしんでん)
祖父江町神明津(南子新田)
そぶえちょうしんみょうづ(みやにし)
祖父江町神明津(宮西)
そぶえちょうしんみょうづ(みやまえ)
祖父江町神明津(宮前)
そぶえちょうしんみょうづ(もといり)
祖父江町神明津(元杁)
そぶえちょうしんみょうづ(やだづかきた)
祖父江町神明津(矢田塚北)
そぶえちょうしんみょうづ(やだづかにし)
祖父江町神明津(矢田塚西)
そぶえちょうしんみょうづ(やだづかひがし)
祖父江町神明津(矢田塚東)
そぶえちょうじっちょうの
祖父江町拾町野
そぶえちょうじっちょうの(さるおきた)
祖父江町拾町野(猿尾北)
そぶえちょうじっちょうの(さるおみなみ)
祖父江町拾町野(猿尾南)
そぶえちょうじっちょうの(やしきにし)
祖父江町拾町野(屋敷西)
そぶえちょうじっちょうの(やしきひがし)
祖父江町拾町野(屋敷東)
そぶえちょうじっちょうの(やしきま)
祖父江町拾町野(屋敷間)
そぶえちょうそぶえ
祖父江町祖父江
そぶえちょうそぶえ(あさえもんひがし)
祖父江町祖父江(浅右エ門東)
そぶえちょうそぶえ(いじゅう)
祖父江町祖父江(居中)
そぶえちょうそぶえ(うちかわだ)
祖父江町祖父江(内川田)
そぶえちょうそぶえ(えにし)
祖父江町祖父江(江西)
そぶえちょうそぶえ(えひがし)
祖父江町祖父江(江東)
そぶえちょうそぶえ(かきのき)
祖父江町祖父江(柿ノ木)
そぶえちょうそぶえ(かみぬま)
祖父江町祖父江(上沼)
そぶえちょうそぶえ(きたがた)
祖父江町祖父江(北方)
そぶえちょうそぶえ(きたがわら)
祖父江町祖父江(北川原)
そぶえちょうそぶえ(ごたんだ)
祖父江町祖父江(五反田)
そぶえちょうそぶえ(ごんぱちまえ)
祖父江町祖父江(権八前)
そぶえちょうそぶえ(さぎとば)
祖父江町祖父江(サギトバ)
そぶえちょうそぶえ(さんじっちょう)
祖父江町祖父江(三十町)
そぶえちょうそぶえ(しげえもんひがし)
祖父江町祖父江(繁右エ門東)
そぶえちょうそぶえ(しもかわだ)
祖父江町祖父江(下川田)
そぶえちょうそぶえ(しもぬま)
祖父江町祖父江(下沼)
そぶえちょうそぶえ(じない)
祖父江町祖父江(寺内)
そぶえちょうそぶえ(そとかわだ)
祖父江町祖父江(外川田)
そぶえちょうそぶえ(そとひら)
祖父江町祖父江(外平)
そぶえちょうそぶえ(たかくま)
祖父江町祖父江(高熊)
そぶえちょうそぶえ(たちあいみなみ)
祖父江町祖父江(立合南)
そぶえちょうそぶえ(たちえきた)
祖父江町祖父江(立江北)
そぶえちょうそぶえ(たちえみなみ)
祖父江町祖父江(立江南)
そぶえちょうそぶえ(ていがい)
祖父江町祖父江(堤外)
そぶえちょうそぶえ(ていない)
祖父江町祖父江(堤内)
そぶえちょうそぶえ(てらにし)
祖父江町祖父江(寺西)
そぶえちょうそぶえ(なかぬま)
祖父江町祖父江(中沼)
そぶえちょうそぶえ(なかやしき)
祖父江町祖父江(中屋敷)
そぶえちょうそぶえ(ななまがり)
祖父江町祖父江(七曲)
そぶえちょうそぶえ(なべしま)
祖父江町祖父江(鍋島)
そぶえちょうそぶえ(ぬまうら)
祖父江町祖父江(沼裏)
そぶえちょうそぶえ(はったんばた)
祖父江町祖父江(八反畑)
そぶえちょうそぶえ(ひがしかみぬま)
祖父江町祖父江(東上沼)
そぶえちょうそぶえ(ひろくち)
祖父江町祖父江(広口)
そぶえちょうそぶえ(ふじわく)
祖父江町祖父江(藤枠)
そぶえちょうそぶえ(まがり)
祖父江町祖父江(曲)
そぶえちょうそぶえ(まつやま)
祖父江町祖父江(松山)
そぶえちょうそぶえ(みなみがた)
祖父江町祖父江(南方)
そぶえちょうそぶえ(みなみがわら)
祖父江町祖父江(南川原)
そぶえちょうそぶえ(みやにし)
祖父江町祖父江(宮西)
そぶえちょうそぶえ(やなぎはら)
祖父江町祖父江(柳原)
そぶえちょうそぶえ(やまさき)
祖父江町祖父江(山先)
そぶえちょうそぶえ(ろくちょう)
祖父江町祖父江(六町)
そぶえちょうなかまき
祖父江町中牧
そぶえちょうなかまき(えにし)
祖父江町中牧(江西)
そぶえちょうなかまき(えひがし)
祖父江町中牧(江東)
そぶえちょうなかまき(かえち)
祖父江町中牧(換地)
そぶえちょうなかまき(かみやしき)
祖父江町中牧(上屋敷)
そぶえちょうなかまき(きたがわら)
祖父江町中牧(北川原)
そぶえちょうなかまき(さやがわ)
祖父江町中牧(佐屋川)
そぶえちょうなかまき(さんだんぶ)
祖父江町中牧(三反歩)
そぶえちょうなかまき(すなざき)
祖父江町中牧(砂崎)
そぶえちょうなかまき(そとかわ)
祖父江町中牧(外川)
そぶえちょうなかまき(つつみそとかわ)
祖父江町中牧(堤外川)
そぶえちょうなかまき(ていがい)
祖父江町中牧(堤外)
そぶえちょうなかまき(でんねやま)
祖父江町中牧(伝右山)
そぶえちょうなかまき(なかじま)
祖父江町中牧(中島)
そぶえちょうなかまき(なかそと)
祖父江町中牧(中外)
そぶえちょうなかまき(なかひら)
祖父江町中牧(中平)
そぶえちょうなかまき(なかやしき)
祖父江町中牧(中屋敷)
そぶえちょうなかまき(なかやしきまえ)
祖父江町中牧(中屋敷前)
そぶえちょうなかまき(にしでんねやま)
祖父江町中牧(西伝右山)
そぶえちょうなかまき(ひがしでんねやま)
祖父江町中牧(東伝右山)
そぶえちょうなかまき(みやはら)
祖父江町中牧(宮原)
そぶえちょうなかまき(やぶおこし)
祖父江町中牧(藪起)
そぶえちょうにしうのもと
祖父江町西鵜之本
そぶえちょうにしうのもと(うのもり)
祖父江町西鵜之本(鵜之森)
そぶえちょうにしうのもと(きよすやま)
祖父江町西鵜之本(清洲山)
そぶえちょうにしうのもと(さやがわ)
祖父江町西鵜之本(佐屋川)
そぶえちょうにしうのもと(たつみ)
祖父江町西鵜之本(巽)
そぶえちょうにしうのもと(なかのしろ)
祖父江町西鵜之本(中之城)
そぶえちょうにしうのもと(なしのき)
祖父江町西鵜之本(梨之木)
そぶえちょうにしうのもと(ひがしべり)
祖父江町西鵜之本(東縁)
そぶえちょうにしうのもと(みやうら)
祖父江町西鵜之本(宮浦)
そぶえちょうにしうのもと(みやまえ)
祖父江町西鵜之本(宮前)
そぶえちょうのだ
祖父江町野田
そぶえちょうのだ(えきた)
祖父江町野田(江北)
そぶえちょうのだ(きたやしき)
祖父江町野田(北屋敷)
そぶえちょうのだ(さやがわ)
祖父江町野田(佐屋川)
そぶえちょうのだ(すがわき)
祖父江町野田(須賀脇)
そぶえちょうのだ(たつみ)
祖父江町野田(巽)
そぶえちょうのだ(だいかんわり)
祖父江町野田(代官割)
そぶえちょうのだ(ていなみ)
祖父江町野田(堤並)
そぶえちょうのだ(にしやしき)
祖父江町野田(西屋敷)
そぶえちょうのだ(ひがしべり)
祖父江町野田(東縁)
そぶえちょうのだ(ひがしべりした)
祖父江町野田(東縁下)
そぶえちょうのだ(みよう)
祖父江町野田(海用)
そぶえちょうのだ(みよしば)
祖父江町野田(神葭場)
そぶえちょうのだ(やまなか)
祖父江町野田(山中)
そぶえちょうのだ(よししろ)
祖父江町野田(葭城)
そぶえちょうふたまた
祖父江町二俣
そぶえちょうふたまた(いけだ)
祖父江町二俣(池田)
そぶえちょうふたまた(うましんでん)
祖父江町二俣(午新田)
そぶえちょうふたまた(おりと)
祖父江町二俣(下り戸)
そぶえちょうふたまた(かみおおしろ)
祖父江町二俣(上大城)
そぶえちょうふたまた(かみがわら)
祖父江町二俣(上川原)
そぶえちょうふたまた(かみせこ)
祖父江町二俣(上瀬古)
そぶえちょうふたまた(かわばた)
祖父江町二俣(川端)
そぶえちょうふたまた(ごたん)
祖父江町二俣(五反)
そぶえちょうふたまた(ささはらひがし)
祖父江町二俣(笹原東)
そぶえちょうふたまた(しもかわら)
祖父江町二俣(下川原)
そぶえちょうふたまた(しもせこ)
祖父江町二俣(下瀬古)
そぶえちょうふたまた(すがたり)
祖父江町二俣(須賀垂)
そぶえちょうふたまた(てらせこ)
祖父江町二俣(寺瀬古)
そぶえちょうふたまた(はやおづつみ)
祖父江町二俣(早尾堤)
そぶえちょうふたまた(ひがしかわはら)
祖父江町二俣(東川原)
そぶえちょうふたまた(ひがしやなぎはら)
祖父江町二俣(東柳原)
そぶえちょうふたまた(みつまた)
祖父江町二俣(三ツ股)
そぶえちょうふたまた(みやにし)
祖父江町二俣(宮西)
そぶえちょうふたまた(やなぎはら)
祖父江町二俣(柳原)
そぶえちょうほんこう
祖父江町本甲
そぶえちょうほんこう(おおがま)
祖父江町本甲(大蒲)
そぶえちょうほんこう(おおがまにし)
祖父江町本甲(大蒲西)
そぶえちょうほんこう(おおにし)
祖父江町本甲(大西)
そぶえちょうほんこう(おおみぞ)
祖父江町本甲(大溝)
そぶえちょうほんこう(ごうにし)
祖父江町本甲(郷西)
そぶえちょうほんこう(ごじっこく)
祖父江町本甲(五拾石)
そぶえちょうほんこう(さいぐうじん)
祖父江町本甲(西宮神)
そぶえちょうほんこう(しんめいきた)
祖父江町本甲(神明北)
そぶえちょうほんこう(しんめいまえ)
祖父江町本甲(神明前)
そぶえちょうほんこう(じっちょうの)
祖父江町本甲(拾町野)
そぶえちょうほんこう(みつや)
祖父江町本甲(三ツ屋)
そぶえちょうほんこう(みやにし)
祖父江町本甲(宮西)
そぶえちょうほんこう(みやひがし)
祖父江町本甲(宮東)
そぶえちょうほんこう(みやまえ)
祖父江町本甲(宮前)
そぶえちょうほんこう(もりしたひがし)
祖父江町本甲(森下東)
そぶえちょうほんこう(よこてみなみ)
祖父江町本甲(横手南)
そぶえちょうまかい
祖父江町馬飼
そぶえちょうまかい(あまがいけ)
祖父江町馬飼(尼ケ池)
そぶえちょうまかい(うましんでん)
祖父江町馬飼(午新田)
そぶえちょうまかい(えぐち)
祖父江町馬飼(江口)
そぶえちょうまかい(おおなわば)
祖父江町馬飼(大縄場)
そぶえちょうまかい(かみまかい)
祖父江町馬飼(上馬飼)
そぶえちょうまかい(かわだ)
祖父江町馬飼(川田)
そぶえちょうまかい(きたとうじやま)
祖父江町馬飼(北藤治山)
そぶえちょうまかい(こぬま)
祖父江町馬飼(小沼)
そぶえちょうまかい(せんにゅうぼう)
祖父江町馬飼(仙入坊)
そぶえちょうまかい(だいもんざき)
祖父江町馬飼(大門先)
そぶえちょうまかい(てらひがし)
祖父江町馬飼(寺東)
そぶえちょうまかい(にしまかい)
祖父江町馬飼(西馬飼)
そぶえちょうまかい(ひがしまかい)
祖父江町馬飼(東馬飼)
そぶえちょうまかい(みなみとうじやま)
祖父江町馬飼(南藤治山)
そぶえちょうまかい(よつのきざかい)
祖父江町馬飼(四貫境)
そぶえちょうもりかみ
祖父江町森上
そぶえちょうもりかみ(ほんごういち)
祖父江町森上(本郷一)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうきゅう)
祖父江町森上(本郷九)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうご)
祖父江町森上(本郷五)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうさん)
祖父江町森上(本郷三)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうじゅう)
祖父江町森上(本郷十)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうじゅういち)
祖父江町森上(本郷十一)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうなな)
祖父江町森上(本郷七)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうに)
祖父江町森上(本郷二)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうはち)
祖父江町森上(本郷八)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうよん)
祖父江町森上(本郷四)
そぶえちょうもりかみ(ほんごうろく)
祖父江町森上(本郷六)
そぶえちょうやまざき
祖父江町山崎
そぶえちょうやまざき(あけじま)
祖父江町山崎(明島)
そぶえちょうやまざき(いしだ)
祖父江町山崎(石田)
そぶえちょうやまざき(いふる)
祖父江町山崎(亥古)
そぶえちょうやまざき(いりのと)
祖父江町山崎(杁ノ戸)
そぶえちょうやまざき(うらた)
祖父江町山崎(浦田)
そぶえちょうやまざき(えだい)
祖父江町山崎(江代)
そぶえちょうやまざき(えぶち)
祖父江町山崎(江渕)
そぶえちょうやまざき(おおつか)
祖父江町山崎(王塚)
そぶえちょうやまざき(おおやぶ)
祖父江町山崎(大藪)
そぶえちょうやまざき(かきやま)
祖父江町山崎(柿山)
そぶえちょうやまざき(かみやしき)
祖父江町山崎(上屋敷)
そぶえちょうやまざき(かわはら)
祖父江町山崎(川原)
そぶえちょうやまざき(きたやしき)
祖父江町山崎(北屋敷)
そぶえちょうやまざき(きつねづか)
祖父江町山崎(狐塚)
そぶえちょうやまざき(くるまでん)
祖父江町山崎(車田)
そぶえちょうやまざき(こまほり)
祖父江町山崎(駒堀)
そぶえちょうやまざき(さいごう)
祖父江町山崎(才郷)
そぶえちょうやまざき(さいぞのにし)
祖父江町山崎(才蔵野西)
そぶえちょうやまざき(さいぞのひがし)
祖父江町山崎(才蔵野東)
そぶえちょうやまざき(ささはら)
祖父江町山崎(笹原)
そぶえちょうやまざき(さんだん)
祖父江町山崎(三反)
そぶえちょうやまざき(しおや)
祖父江町山崎(塩屋)
そぶえちょうやまざき(しじっこく)
祖父江町山崎(四十石)
そぶえちょうやまざき(しみずやま)
祖父江町山崎(清水山)
そぶえちょうやまざき(しもび)
祖父江町山崎(下枇)
そぶえちょうやまざき(じゅうはちやま)
祖父江町山崎(十八山)
そぶえちょうやまざき(すりばち)
祖父江町山崎(摺鉢)
そぶえちょうやまざき(たねいけ)
祖父江町山崎(種池)
そぶえちょうやまざき(だいどころ)
祖父江町山崎(台所)
そぶえちょうやまざき(ちゃのきはら)
祖父江町山崎(茶ノ木原)
そぶえちょうやまざき(つかごし)
祖父江町山崎(塚越)
そぶえちょうやまざき(つかにし)
祖父江町山崎(塚西)
そぶえちょうやまざき(つつみぞい)
祖父江町山崎(堤添)
そぶえちょうやまざき(つるづか)
祖父江町山崎(鶴塚)
そぶえちょうやまざき(てっぽう)
祖父江町山崎(鉄砲)
そぶえちょうやまざき(てらくるわ)
祖父江町山崎(寺廓)
そぶえちょうやまざき(でぐち)
祖父江町山崎(出口)
そぶえちょうやまざき(どいひら)
祖父江町山崎(土井平)
そぶえちょうやまざき(なかぬま)
祖父江町山崎(中沼)
そぶえちょうやまざき(なかび)
祖父江町山崎(中枇)
そぶえちょうやまざき(なかやしき)
祖父江町山崎(中屋敷)
そぶえちょうやまざき(にほんぎ)
祖父江町山崎(二本木)
そぶえちょうやまざき(にほんぎまえ)
祖父江町山崎(二本木前)
そぶえちょうやまざき(のぐち)
祖父江町山崎(野口)
そぶえちょうやまざき(はいで)
祖父江町山崎(生出)
そぶえちょうやまざき(はぎわらふるかわ)
祖父江町山崎(萩原古川)
そぶえちょうやまざき(はくさんにし)
祖父江町山崎(白山西)
そぶえちょうやまざき(はたなか)
祖父江町山崎(畑中)
そぶえちょうやまざき(ひらぐち)
祖父江町山崎(平口)
そぶえちょうやまざき(ひらひがし)
祖父江町山崎(平東)
そぶえちょうやまざき(ふなばし)
祖父江町山崎(舟橋)
そぶえちょうやまざき(へびづか)
祖父江町山崎(蛇塚)
そぶえちょうやまざき(ほんごう)
祖父江町山崎(本郷)
そぶえちょうやまざき(ほんごうまえ)
祖父江町山崎(本郷前)
そぶえちょうやまざき(ほんなか)
祖父江町山崎(本中)
そぶえちょうやまざき(ほんにし)
祖父江町山崎(本西)
そぶえちょうやまざき(ほんひがし)
祖父江町山崎(本東)
そぶえちょうやまざき(まつした)
祖父江町山崎(松下)
そぶえちょうやまざき(みやつき)
祖父江町山崎(宮附)
そぶえちょうやまざき(もとみや)
祖父江町山崎(元宮)
そぶえちょうやまざき(もとみやにし)
祖父江町山崎(元宮西)
そぶえちょうやまざき(やなぎ)
祖父江町山崎(柳)
そぶえちょうやまざき(やなぎの)
祖父江町山崎(柳野)
そぶえちょうやまざき(やまはた)
祖父江町山崎(山畠)
そぶえちょうやまざき(ろくたん)
祖父江町山崎(六反)
そぶえちょうよつのき
祖父江町四貫
そぶえちょうよつのき(かきのうち)
祖父江町四貫(垣ノ内)
そぶえちょうよつのき(かながわ)
祖父江町四貫(金川)
そぶえちょうよつのき(かみよつのき)
祖父江町四貫(上四貫)
そぶえちょうよつのき(かわなみみちした)
祖父江町四貫(川並道下)
そぶえちょうよつのき(きたしんでん)
祖父江町四貫(北新田)
そぶえちょうよつのき(きたどうの)
祖父江町四貫(北道野)
そぶえちょうよつのき(きたなかきり)
祖父江町四貫(北中桐)
そぶえちょうよつのき(きたよつのき)
祖父江町四貫(北四貫)
そぶえちょうよつのき(たかのうち)
祖父江町四貫(高ノ内)
そぶえちょうよつのき(ていがい)
祖父江町四貫(堤外)
そぶえちょうよつのき(ていしき)
祖父江町四貫(堤敷)
そぶえちょうよつのき(なかきり)
祖父江町四貫(中桐)
そぶえちょうよつのき(なかごう)
祖父江町四貫(中之郷)
そぶえちょうよつのき(なかどおり)
祖父江町四貫(中通)
そぶえちょうよつのき(なかやしき)
祖父江町四貫(中屋敷)
そぶえちょうよつのき(なかよつのき)
祖父江町四貫(中四貫)
そぶえちょうよつのき(にしやまのうち)
祖父江町四貫(西山ノ内)
そぶえちょうよつのき(ひがしていがい)
祖父江町四貫(東堤外)
そぶえちょうよつのき(ひがしやまのうち)
祖父江町四貫(東山ノ内)
そぶえちょうよつのき(ふじろくぼう)
祖父江町四貫(藤六坊)
そぶえちょうよつのき(べんざいてん)
祖父江町四貫(辨才天)
そぶえちょうよつのき(みなみしんでん)
祖父江町四貫(南新田)
そぶえちょうよつのき(みなみどうの)
祖父江町四貫(南道野)
そぶえちょうよつのき(みなみなかきり)
祖父江町四貫(南中桐)
そぶえちょうよつのき(みなみよつのき)
祖父江町四貫(南四貫)
そぶえちょうよつのき(みややしき)
祖父江町四貫(宮屋敷)
そぶえちょうりょうじない
祖父江町両寺内
そぶえちょうりょうじない(あかめがた)
祖父江町両寺内(赤目方)
そぶえちょうりょうじない(おおまきうら)
祖父江町両寺内(大牧浦)
そぶえちょうりょうじない(きひょうえひがし)
祖父江町両寺内(喜兵エ東)
そぶえちょうりょうじない(ごたんだ)
祖父江町両寺内(五反田)
そぶえちょうりょうじない(しんめいまえ)
祖父江町両寺内(神明前)
そぶえちょうりょうじない(すなざき)
祖父江町両寺内(砂崎)
そぶえちょうりょうじない(せんごくやしき)
祖父江町両寺内(千石屋敷)
そぶえちょうりょうじない(はちまんにし)
祖父江町両寺内(八幡西)
そぶえちょうりょうじない(ひらやなぎにし)
祖父江町両寺内(平柳西)
そぶえちょうりょうじない(ひらやなぎひがし)
祖父江町両寺内(平柳東)
そぶえちょうりょうじない(ふだこにし)
祖父江町両寺内(札古西)
そぶえちょうりょうじない(ふだこひがし)
祖父江町両寺内(札古東)
そぶえちょうりょうじない(ほんごうまえ)
祖父江町両寺内(本郷前)

たいらえむかえちょう
平江向町
たいらおがりちょう
平尾苅町
たいらかなもりちょう
平金森町
たいらかりたちょう
平苅田町
たいらさいくぞうちょう
平細工蔵町
たいらたかみちちょう
平高道町
たいらはちのつぼちょう
平蜂ノ坪町
たいらぶくでんちょう
平佛供田町
たかしげちょう
高重町
たかしげちょう(うら)
高重町(浦)
たかしげちょう(こうだ)
高重町(河田)
たかしげちょう(ごうくろ)
高重町(郷クロ)
たかしげちょう(てつくそ)
高重町(鉄久曽)
たかしげちょう(やしき)
高重町(屋敷)
たかしげなかまち
高重中町
たかしげにしまち
高重西町
たかしげひがしまち
高重東町
たかみどう
高御堂
たけのこしきたまち
竹腰北町
たけのこしなかまち
竹腰中町
たけのこしにしまち
竹腰西町
たけのこしひがしまち
竹腰東町
たけのこしほんまち
竹腰本町
たしろ
田代
つけしまちょう
附島町
つけしまちょう(あぜぞえ)
附島町(畦添)
つけしまちょう(ごうにし)
附島町(郷西)
つけしまちょう(ごうひがし)
附島町(郷東)
つけしまちょう(ごうまえ)
附島町(郷前)
つけしまちょう(さんまいにし)
附島町(三味西)
つけしまちょう(しょうめいじ)
附島町(正明寺)
つけしまちょう(じんべいひがし)
附島町(甚兵エ東)
つけしまちょう(てんじんみなみ)
附島町(天神南)
つけしまちょう(にしうら)
附島町(西浦)
つけしまちょう(やしき)
附島町(屋敷)

なかのかわばたちょう
中野川端町
なかのしょうかいどうちょう
中之庄海道町
なかのしょうたかばたちょう
中之庄高畑町
なかのしょうちょう
中之庄町
なかのしょうちょう(あんどん)
中之庄町(行燈)
なかのしょうちょう(かいどうつき)
中之庄町(海道附)
なかのしょうちょう(かわた)
中之庄町(川田)
なかのしょうちょう(たかじょう)
中之庄町(高上)
なかのしょうちょう(つじはた)
中之庄町(辻畑)
なかのしょうちょう(まえだ)
中之庄町(前田)
なかのしょうちょう(まるた)
中之庄町(丸田)
なかのしょうつつみぐろちょう
中之庄堤畔町
なかのしょうながつつみちょう
中之庄長堤町
なかのしょうはんだちょう
中之庄半田町
なかのしょうもとやしきちょう
中之庄元屋敷町
なかのみやまち
中野宮町
なかのもとまち
中野元町
ながの
長野
ながのちょう
長野町
ながのちょう(おいどり)
長野町(追取)
ながのちょう(きたうら)
長野町(北浦)
ながのちょう(くらかけ)
長野町(鞍掛)
ながのちょう(ごりん)
長野町(五輪)
ながのちょう(どしょ)
長野町(土所)
ながのちょう(にしこいど)
長野町(西小井戸)
ながのちょう(よこそ)
長野町(横曽)
なづかちょう
長束町
なづかちょう(あおきだ)
長束町(青木田)
なづかちょう(かきだ)
長束町(カキ田)
なづかちょう(かんのんじだ)
長束町(観音寺田)
なづかちょう(きたうら)
長束町(北浦)
なづかちょう(ざす)
長束町(座守)
なづかちょう(しゃみ)
長束町(沙弥)
なづかちょう(じょうふくじ)
長束町(上福寺)
なづかちょう(とりいさき)
長束町(鳥居先)
なづかちょう(ぬま)
長束町(沼)
ななつでらちょう
七ツ寺町
ななつでらちょう(きょうぞうまえ)
七ツ寺町(経蔵前)
ななつでらちょう(じぞうまえ)
七ツ寺町(地蔵前)
ななつでらちょう(ながしま)
七ツ寺町(長島)
ななつでらちょう(におうまえ)
七ツ寺町(仁王前)
ななつでらちょう(やしき)
七ツ寺町(屋敷)
にしじま
西島
にしじまきたまち
西島北町
にしじましんまち
西島新町
にしじまちょう
西島町
にしじまちょう(いちすけこうど)
西島町(市助河戸)
にしじまちょう(しもわり)
西島町(下割)
にしじまちょう(しんでぼう)
西島町(神出坊)
にしじまちょう(じひょう)
西島町(治兵)
にしじまちょう(じょうわり)
西島町(上割)
にしじまちょう(やなぎはら)
西島町(柳原)
にしじまでまち
西島出町
にしじまなかまち
西島中町
にしじまひがしまち
西島東町
にしじまほんまち
西島本町
にしまち
西町
にしみぞぐちちょう
西溝口町
にしみぞぐちちょう(いけのあたま)
西溝口町(池ノ頭)
にしみぞぐちちょう(かわはら)
西溝口町(川原)
にしみぞぐちちょう(きたごう)
西溝口町(北郷)
にしみぞぐちちょう(こけ)
西溝口町(苔)
にしみぞぐちちょう(ごううら)
西溝口町(郷浦)
にしみぞぐちちょう(ごうひがし)
西溝口町(郷東)
にしみぞぐちちょう(さんたんじ)
西溝口町(三反地)
にしみぞぐちちょう(たかせ)
西溝口町(高瀬)
にしみぞぐちちょう(だいいちぬま)
西溝口町(第一沼)
にしみぞぐちちょう(だいさんぬま)
西溝口町(第三沼)
にしみぞぐちちょう(だいにぬま)
西溝口町(第二沼)
にしみぞぐちちょう(つぼのうち)
西溝口町(坪之内)
にしみぞぐちちょう(はくさん)
西溝口町(白山)
にしみぞぐちちょう(はたにし)
西溝口町(畑西)
にしみぞぐちちょう(みなみごう)
西溝口町(南郷)
のさきちょう
野崎町
のさきちょう(きたいで)
野崎町(北出)
のさきちょう(こめだ)
野崎町(米田)
のさきちょう(さんたんじ)
野崎町(三反地)
のさきちょう(しゃぐじまえ)
野崎町(社軍神前)
のさきちょう(しんで)
野崎町(新出)
のさきちょう(ちょうなが)
野崎町(丁長)
のさきちょう(てがじま)
野崎町(手ケ島)
のさきちょう(ほんごう)
野崎町(本郷)
のさきちょう(わたりしょ)
野崎町(渡所)

はいでかみやまちょう
生出上山町
はいでこえどちょう
生出河戸町
はいでごうまえちょう
生出郷前町
はいでにしどうねちょう
生出西道根町
はいでひがしどうねちょう
生出東道根町
はいでほんまち
生出本町
はいでやまだちょう
生出山田町
はいでよこにしちょう
生出横西町
ばんば
馬場
ばんばちょう
馬場町
ばんばちょう(ねこやま)
馬場町(猫山)
ひがしみどりまち
東緑町
ひしまち
菱町
ひむろちょう
氷室町
ひむろちょう(いけよち)
氷室町(池除)
ひむろちょう(いりぐち)
氷室町(杁口)
ひむろちょう(うちしんでん)
氷室町(内新田)
ひむろちょう(おおつじ)
氷室町(大辻)
ひむろちょう(きたはねだ)
氷室町(北羽根田)
ひむろちょう(きぶね)
氷室町(貴布祢)
ひむろちょう(ごうない)
氷室町(郷内)
ひむろちょう(はたあと)
氷室町(畑跡)
ひむろちょう(ふるかわしんでん)
氷室町(古川新田)
ひむろちょう(みちうち)
氷室町(道内)
ひむろちょう(みちそと)
氷室町(道外)
ひむろちょう(みなみはねだ)
氷室町(南羽根田)
ひむろちょう(みやくるわ)
氷室町(宮郭)
ひむろちょう(みやまえ)
氷室町(宮前)
ひらのちょう
平野町
ひらのちょう(かせ)
平野町(加世)
ふくじまちょう
福島町
ふくじまちょう(さわにし)
福島町(沢西)
ふくじまちょう(だいふくじ)
福島町(大福寺)
ふくじまちょう(なかうら)
福島町(中浦)
ふくじまちょう(なかのちょう)
福島町(中之町)
ふくじまちょう(ぬますみだ)
福島町(沼角田)
ふくじまちょう(びしゃでん)
福島町(比舎田)
ふくじまちょう(やしき)
福島町(屋敷)
ふなばしちょう
船橋町
ふなばしちょう(あわら)
船橋町(阿原)
ふなばしちょう(いちば)
船橋町(市場)
ふなばしちょう(えむかえ)
船橋町(江向)
ふなばしちょう(かさずみ)
船橋町(笠数見)
ふなばしちょう(かんのんうら)
船橋町(観音裏)
ふなばしちょう(かんのんじ)
船橋町(観音寺)
ふなばしちょう(こいつぼ)
船橋町(鯉坪)
ふなばしちょう(ごたんだ)
船橋町(五反田)
ふなばしちょう(そうぎ)
船橋町(蘇木)
ふなばしちょう(だいづか)
船橋町(大塚)
ふなばしちょう(はぐろ)
船橋町(葉黒)
ふなばしちょう(はなのき)
船橋町(花ノ木)
ふなばしちょう(まえだ)
船橋町(前田)
ふなばしちょう(みやうら)
船橋町(宮裏)
ふなばしちょう(やしき)
船橋町(屋敷)
へいわちょう
平和町
へいわちょう(かみまえなみ)
平和町(上前浪)
へいわちょう(こうわ)
平和町(光和)
へいわちょう(しおかわ)
平和町(塩川)
へいわちょう(しもこしきた)
平和町(下起北)
へいわちょう(しもこしなか)
平和町(下起中)
へいわちょう(しもこしひがし)
平和町(下起東)
へいわちょう(しもこしみなみ)
平和町(下起南)
へいわちょう(しもまえなみ)
平和町(下前浪)
へいわちょう(しょばたしんでん)
平和町(勝幡新田)
へいわちょう(しろにし)
平和町(城西)
へいわちょう(しろのうち)
平和町(城之内)
へいわちょう(すかわき)
平和町(須ケ脇)
へいわちょう(なこら)
平和町(那古良)
へいわちょう(へいろく)
平和町(平六)
へいわちょう(まえひら)
平和町(前平)
へいわちょう(まるぶちかみ)
平和町(丸渕上)
へいわちょう(まるぶちしも)
平和町(丸渕下)
へいわちょう(めいわ)
平和町(明和)
へいわちょう(よめふり)
平和町(嫁振)
へいわちょう(よめふりきた)
平和町(嫁振北)
へいわちょう(よめふりひがし)
平和町(嫁振東)
へいわちょう(りょうない)
平和町(領内)
へいわちょう(わしお)
平和町(鷲尾)
へいわちょうかみみやけ
平和町上三宅
へいわちょうかみみやけ(かみやしき)
平和町上三宅(上屋敷)
へいわちょうかみみやけ(さんのう)
平和町上三宅(山王)
へいわちょうかみみやけ(しろじ)
平和町上三宅(城地)
へいわちょうかみみやけ(しんで)
平和町上三宅(神出)
へいわちょうかみみやけ(まんがんじ)
平和町上三宅(満願寺)
へいわちょうかみみやけ(よしやま)
平和町上三宅(芳山)
へいわちょうかんのんどう
平和町観音堂
へいわちょうかんのんどう(にしかいづか)
平和町観音堂(西海塚)
へいわちょうかんのんどう(ひがしかいづか)
平和町観音堂(東海塚)
へいわちょうかんのんどう(ひがしがわら)
平和町観音堂(東河原)
へいわちょうかんのんどう(やしき)
平和町観音堂(屋敷)
へいわちょうさいこうぼう
平和町西光坊
へいわちょうさいこうぼう(いりかみ)
平和町西光坊(杁上)
へいわちょうさいこうぼう(かいとうあはら)
平和町西光坊(海東阿原)
へいわちょうさいこうぼう(かいどうひがし)
平和町西光坊(海道東)
へいわちょうさいこうぼう(しんまち)
平和町西光坊(新町)
へいわちょうさいこうぼう(だいもんきた)
平和町西光坊(大門北)
へいわちょうさいこうぼう(だいもんさき)
平和町西光坊(大門先)
へいわちょうさいこうぼう(だいもんみなみ)
平和町西光坊(大門南)
へいわちょうさいこうぼう(みやにし)
平和町西光坊(宮西)
へいわちょうしもみやけ
平和町下三宅
へいわちょうしもみやけ(おりくち)
平和町下三宅(折口)
へいわちょうしもみやけ(きたで)
平和町下三宅(北出)
へいわちょうしもみやけ(ごうない)
平和町下三宅(郷内)
へいわちょうしもみやけ(しもばた)
平和町下三宅(下畑)
へいわちょうしもみやけ(ぬま)
平和町下三宅(沼)
へいわちょうしもみやけ(ひしいけ)
平和町下三宅(菱池)
へいわちょうしもみやけ(ふなつき)
平和町下三宅(舟附)
へいわちょうしもみやけ(まえなみ)
平和町下三宅(前浪)
へいわちょうしもみやけ(よこまくら)
平和町下三宅(横枕)
へいわちょうすかたに
平和町須ケ谷
へいわちょうすかたに(うまはし)
平和町須ケ谷(馬橋)
へいわちょうすかたに(おおしも)
平和町須ケ谷(大下)
へいわちょうすかたに(ごう)
平和町須ケ谷(郷)
へいわちょうすかたに(ながた)
平和町須ケ谷(長田)
へいわちょうすかたに(ほんでん)
平和町須ケ谷(本田)
へいわちょうすかたに(まえなみ)
平和町須ケ谷(前浪)
へいわちょうとうじょう
平和町東城
へいわちょうとうじょう(いぬい)
平和町東城(戌亥)
へいわちょうとうじょう(いわな)
平和町東城(岩名)
へいわちょうとうじょう(うらのかわ)
平和町東城(浦之川)
へいわちょうとうじょう(ごうない)
平和町東城(郷内)
へいわちょうとうじょう(しんみやまえ)
平和町東城(新宮前)
へいわちょうとうじょう(そとやま)
平和町東城(外山)
へいわちょうとうじょう(てんじん)
平和町東城(天神)
へいわちょうとうじょう(まえなみ)
平和町東城(前浪)
へいわちょうとうじょう(もとなえしろ)
平和町東城(元苗代)
へいわちょうとうじょう(よがと)
平和町東城(余ケ戸)
へいわちょうなかみやけ
平和町中三宅
へいわちょうなかみやけ(いけだ)
平和町中三宅(池田)
へいわちょうなかみやけ(いのうえ)
平和町中三宅(井之上)
へいわちょうなかみやけ(たかみち)
平和町中三宅(高道)
へいわちょうなかみやけ(でぐち)
平和町中三宅(出口)
へいわちょうなかみやけ(なかやしき)
平和町中三宅(中屋敷)
へいわちょうなかみやけ(にちょうわり)
平和町中三宅(二丁割)
へいわちょうなかみやけ(みなみがさき)
平和町中三宅(南ケ崎)
へいわちょうなかみやけ(みやみなみ)
平和町中三宅(宮南)
へいわちょうひらいけ
平和町平池
へいわちょうひらいけ(おおはた)
平和町平池(大畑)
へいわちょうひらいけ(ごうつけ)
平和町平池(郷付)
へいわちょうひらいけ(しちたんだ)
平和町平池(七反田)
へいわちょうひらいけ(まえだめん)
平和町平池(前田面)
へいわちょうほうりゅう
平和町法立
へいわちょうほうりゅう(えむかい)
平和町法立(江向)
へいわちょうほうりゅう(おこし)
平和町法立(起)
へいわちょうほうりゅう(おこしみなみ)
平和町法立(起南)
へいわちょうほうりゅう(きたじゅういっちょう)
平和町法立(北十一丁)
へいわちょうほうりゅう(きたせこ)
平和町法立(北瀬古)
へいわちょうほうりゅう(こくどうひがし)
平和町法立(国道東)
へいわちょうほうりゅう(しもで)
平和町法立(下出)
へいわちょうほうりゅう(しょうさく)
平和町法立(正作)
へいわちょうほうりゅう(じゅういっちょう)
平和町法立(十一丁)
へいわちょうほうりゅう(たつみやしき)
平和町法立(巽屋敷)
へいわちょうほうりゅう(にしぜこかみ)
平和町法立(西瀬古上)
へいわちょうほうりゅう(にしぜこしも)
平和町法立(西瀬古下)
へいわちょうほうりゅう(ひがしじゅういっちょう)
平和町法立(東十一丁)
へいわちょうほうりゅう(ひがしぜこ)
平和町法立(東瀬古)
へいわちょうほうりゅう(ひがしぜこしも)
平和町法立(東瀬古下)
へいわちょうほうりゅう(ひがしほうりゅうきた)
平和町法立(東法立北)
へいわちょうほうりゅう(ひがしほうりゅうみなみ)
平和町法立(東法立南)
へいわちょうほうりゅう(ひしだ)
平和町法立(菱田)
へいわちょうほうりゅう(ふるかわしんでん)
平和町法立(古川新田)
へいわちょうほうりゅう(みやきた)
平和町法立(宮北)
へいわちょうほうりゅう(やなぎば)
平和町法立(柳場)
へいわちょうほうりゅう(やまこし)
平和町法立(山起)
へいわちょうほうりゅう(ろくちょう)
平和町法立(六丁)
へいわちょうよこいけ
平和町横池
へいわちょうよこいけ(さんばんわり)
平和町横池(三番割)
へいわちょうよこいけ(すなだ)
平和町横池(砂田)
へいわちょうよこいけ(なかのちょう)
平和町横池(中之町)
へいわちょうよこいけ(ほんでん)
平和町横池(本田)
へいわちょうよこいけ(やまのはた)
平和町横池(山ノ畑)
ほっけじちょう
法花寺町
ほっけじちょう(うるしばた)
法花寺町(漆畑)
ほっけじちょう(くまのやま)
法花寺町(熊ノ山)
ほっけじちょう(せがきで)
法花寺町(瀬垣出)
ほっけじちょう(なぎた)
法花寺町(渚田)
ほっけじちょう(はしのした)
法花寺町(橋之下)
ほっけじちょう(ふじのみや)
法花寺町(藤ノ宮)
ほっけじちょう(みのだ)
法花寺町(蓑田)
ほっけじちょう(やなぎぼそ)
法花寺町(柳細)
ほったちょう
堀田町
ほったちょう(いりざき)
堀田町(杁崎)
ほったちょう(うら)
堀田町(浦)
ほったちょう(ひがしで)
堀田町(東出)
ほりのうちちょう
堀之内町
ほりのうちちょう(いっちょうだ)
堀之内町(一丁田)
ほりのうちちょう(しろやま)
堀之内町(白山)
ほりのうちちょう(たかばた)
堀之内町(高畑)
ほりのうちちょう(だいもん)
堀之内町(大門)
ほりのうちちょう(ながれ)
堀之内町(流)
ほりのうちちょう(にしごう)
堀之内町(西郷)
ほりのうちちょう(はざま)
堀之内町(廻間)
ほりのうちちょう(はなのき)
堀之内町(花ノ木)
ほりのうちちょう(ばいりん)
堀之内町(梅林)
ほりのうちちょう(ひがしごう)
堀之内町(東郷)
ほりのうちちょう(びわど)
堀之内町(琵琶戸)
ほりのうちちょう(ふかだ)
堀之内町(深田)
ほりのうちちょう(みやじま)
堀之内町(宮島)
ほりのうちちょう(めくらつじ)
堀之内町(盲辻)
ほりのうちちょう(やまほそ)
堀之内町(山細)
ほりのうちちょう(よこまくら)
堀之内町(横枕)

まえだ
前田
ましたきたまち
増田北町
ましたちょう
増田町
ましたちょう(えごし)
増田町(江越)
ましたちょう(ごうまえ)
増田町(郷前)
ましたにしまち
増田西町
ましたひがしまち
増田東町
ましたみなみまち
増田南町
まつした
松下
みどりまち
緑町
みなみおうみちょう
南麻績町
みなみおうみちょう(あじまだ)
南麻績町(阿島田)
みなみおうみちょう(あらいうら)
南麻績町(新井浦)
みなみおうみちょう(ごうない)
南麻績町(郷内)
みなみおうみちょう(ごうまえ)
南麻績町(郷前)
みなみおうみちょう(さかい)
南麻績町(境)
みなみおうみちょう(さんたんじ)
南麻績町(三反地)
みなみおうみちょう(そとわだ)
南麻績町(外和田)
みなみおうみちょう(なかのまき)
南麻績町(中良牧)
みなみおうみちょう(にしごうまえ)
南麻績町(西郷前)
みなみおうみちょう(ぬま)
南麻績町(沼)
みなみおうみちょう(はったんばた)
南麻績町(八反畑)
むくいちょう
目比町
むくいちょう(いちりづか)
目比町(一里塚)
むくいちょう(いっちょうわり)
目比町(一町割)
むくいちょう(いぬいで)
目比町(戌亥出)
むくいちょう(いのくち)
目比町(井ノ口)
むくいちょう(えぐち)
目比町(江口)
むくいちょう(おおつじ)
目比町(大辻)
むくいちょう(かわはら)
目比町(河原)
むくいちょう(きたのつぼ)
目比町(北之坪)
むくいちょう(こめのだ)
目比町(米ノ田)
むくいちょう(さわ)
目比町(沢)
むくいちょう(したんわり)
目比町(四反割)
むくいちょう(しんぐう)
目比町(神宮)
むくいちょう(せんめ)
目比町(仙目)
むくいちょう(たかなわて)
目比町(高縄手)
むくいちょう(たけのこし)
目比町(竹ノ腰)
むくいちょう(てんじんひがし)
目比町(天神東)
むくいちょう(どい)
目比町(土井)
むくいちょう(どぶ)
目比町(土深)
むくいちょう(なかおりぐち)
目比町(中折口)
むくいちょう(にしおりど)
目比町(西折戸)
むくいちょう(にしせこ)
目比町(西瀬古)
むくいちょう(にしで)
目比町(西出)
むくいちょう(にちょうがけ)
目比町(二町懸)
むくいちょう(はすわら)
目比町(蓮原)
むくいちょう(はちのしり)
目比町(蜂之尻)
むくいちょう(ひがしおりど)
目比町(東折戸)
むくいちょう(ひがしせこ)
目比町(東瀬古)
むくいちょう(ふるみち)
目比町(古道)
むくいちょう(みなみせこ)
目比町(南瀬古)
むくいちょう(みなみで)
目比町(南出)
むくいちょう(やまうら)
目比町(山浦)
むくいちょう(よしだ)
目比町(吉田)
むくいちょう(よもじろ)
目比町(四方白)
めすかちょう
梅須賀町
めすかちょう(あこね)
梅須賀町(阿古根)
めすかちょう(いじま)
梅須賀町(井島)
めすかちょう(えさき)
梅須賀町(江崎)
めすかちょう(えむかえ)
梅須賀町(江向)
めすかちょう(おみやだ)
梅須賀町(御宮田)
めすかちょう(きたすずおき)
梅須賀町(北鈴置)
めすかちょう(きたてんりき)
梅須賀町(北天日記)
めすかちょう(きたはざま)
梅須賀町(北廻間)
めすかちょう(しもぼうだ)
梅須賀町(下棒田)
めすかちょう(すかごし)
梅須賀町(須ケ越)
めすかちょう(たのはた)
梅須賀町(田之端)
めすかちょう(とうじん)
梅須賀町(唐人)
めすかちょう(なかきり)
梅須賀町(中切)
めすかちょう(にしきたきり)
梅須賀町(西北切)
めすかちょう(にしみなみきり)
梅須賀町(西南切)
めすかちょう(ひがしきり)
梅須賀町(東切)
めすかちょう(ひめがり)
梅須賀町(姫苅)
めすかちょう(ましんでん)
梅須賀町(午新田)
めすかちょう(みなみすずおき)
梅須賀町(南鈴置)
めすかちょう(みなみてんりき)
梅須賀町(南天日記)
めすかちょう(みなみはざま)
梅須賀町(南廻間)
めすかちょう(やまのはた)
梅須賀町(山之畑)

やまぐちちょう
山口町
やまぐちちょう(えにし)
山口町(江西)
やまぐちちょう(えひがし)
山口町(江東)
やまぐちちょう(みやにし)
山口町(宮西)
やまぐちほんまち
山口本町
やまぐちみなみまち
山口南町
やまぐちみやまえちょう
山口宮前町
やわせちょう
矢合町
やわせちょう(あきばやしき)
矢合町(秋葉屋敷)
やわせちょう(いちがみひがし)
矢合町(市神東)
やわせちょう(いちがみまえ)
矢合町(市神前)
やわせちょう(いっぽんまつ)
矢合町(壱本松)
やわせちょう(いのした)
矢合町(亥ノ下)
やわせちょう(うちはざま)
矢合町(内廻間)
やわせちょう(うらのた)
矢合町(浦ノ田)
やわせちょう(えむかえ)
矢合町(江向)
やわせちょう(おしだし)
矢合町(押出し)
やわせちょう(きぞうやしき)
矢合町(喜蔵屋敷)
やわせちょう(こんやうら)
矢合町(紺屋浦)
やわせちょう(ごじゅうぶ)
矢合町(五十歩)
やわせちょう(ごぶいち)
矢合町(五歩一)
やわせちょう(さんきちあと)
矢合町(三吉跡)
やわせちょう(しいのき)
矢合町(椎ノ木)
やわせちょう(しろあと)
矢合町(城跡)
やわせちょう(じょうい)
矢合町(定井)
やわせちょう(すずおきにし)
矢合町(鈴置西)
やわせちょう(すずおきひがし)
矢合町(鈴置東)
やわせちょう(そとはざま)
矢合町(外廻間)
やわせちょう(たかばた)
矢合町(高畑)
やわせちょう(たかまつ)
矢合町(高松)
やわせちょう(だいづか)
矢合町(大塚)
やわせちょう(ちょうばた)
矢合町(長畑)
やわせちょう(つじはじめ)
矢合町(辻初)
やわせちょう(てらうら)
矢合町(寺浦)
やわせちょう(てらだ)
矢合町(寺田)
やわせちょう(とまりみち)
矢合町(留道)
やわせちょう(とよほ)
矢合町(豊穂)
やわせちょう(なかしいのき)
矢合町(中椎ノ木)
やわせちょう(ななだい)
矢合町(七々代)
やわせちょう(なわざかい)
矢合町(縄境)
やわせちょう(にしはざま)
矢合町(西廻間)
やわせちょう(ばんきり)
矢合町(番切)
やわせちょう(ひがしうら)
矢合町(東浦)
やわせちょう(みしままえ)
矢合町(三島前)
やわせちょう(みしまやしき)
矢合町(三島屋敷)
やわせちょう(みやにし)
矢合町(宮西)
やわせちょう(みややしき)
矢合町(宮屋敷)
やわせちょう(めくらつじ)
矢合町(盲辻)
やわせちょう(めんぼぼり)
矢合町(面棒堀)
やわせちょう(やまやしき)
矢合町(山屋敷)
やわせちょう(よこて)
矢合町(横手)
やわせちょう(よしはな)
矢合町(吉花)
やわせちょう(よやしき)
矢合町(輿屋敷)
やわせちょう(わきのだ)
矢合町(脇ノ田)
よこち
横地
よこちちょう
横地町
よこのかわらちょう
横野河原町
よこのさかいづかちょう
横野境塚町
よこのじんでんちょう
横野神田町
よこのちょう
横野町
よこのちょう(にしごう)
横野町(西郷)
よこのちょう(ひがしごう)
横野町(東郷)
よこのどうねちょう
横野堂根町
よこのにしごうちょう
横野西郷町
よこのひがしごうちょう
横野東郷町
よこのひがしでちょう
横野東出町
よこのまつまえちょう
横野松前町

ろっかくどうにしまち
六角堂西町
ろっかくどうひがしまち
六角堂東町

赤津焼
沿革
日本六古窯の一つであり、その起源は奈良時代の須恵器にまでさかのぼります。鎌倉時代に釉薬(ゆうやく)を用いたのはこの地方のみであったといわれています。その後の安土・桃山時代には、茶道の発展の影響を受け、志野、織部など現在の赤津焼の根幹をなす技法が確立されました。

特徴
赤津焼の特徴は、織部釉(おりべゆう)、志野釉(しのゆう)、黄瀬戸釉(きぜとゆう)、古瀬戸釉(こぜとゆう)、灰釉(かいゆう)、御深井釉(おふけゆう)、鉄釉(てつゆう)の7種類の釉薬と、へら彫り、印花(いんか)、櫛目(くしめ)、三島手(みしまで)など12種類の多彩な装飾技法にあります。これらを駆使し、茶道具、華道具から家庭用品まで幅広く焼かれています。

製造工程
ろくろ成形、たたら成形、または手ひねり成形により成形し、仕上げ、乾燥の後、絵付けや施釉を行い焼成します。基本的に素焼きはしません。織部は焼成後、ドングリの傘からでるシブを使い、表面の幕を除去します(栃しぶ抜き)。

主な製品
茶器、花器、酒器、飲食器など

伝統的工芸品指定
指定年月日 第7次指定 昭和52年3月30日

尾張七宝
沿革
天保年間(1830~1844年)、尾張国の梶常吉が、オランダ船により輸入された七宝の皿を手がかりにその製法を発見し、改良を加えたのが始まりとされています。

特徴
一般に焼物といえば、陶磁器のように土を成形して焼き上げますが、七宝焼は、銅又は銀の金属素地を用い、その表面にガラス質の釉薬(ゆうやく)を施し、花鳥風月、風景などの図柄をあしらったところに特徴があります。特に図柄の輪郭となる部分に銀線を施す有線七宝は尾張七宝の代表的な技術です。

製造工程
銅(銀)板を用いて花瓶、皿などの形の金属素地を作り、その上に墨で下絵を描きます。有線七宝の場合は、下絵にそって銀のリボン線(銀線)を特殊な糊で立てながら植え付け(植線)、ガラス質の紬薬を施して焼成します。焼成は4~8回程度繰り返し行います。その後、研磨を行い、飾り付けを施して完成です。

主な製品
花瓶、額、酒器、皿、宝石箱等

伝統的工芸品指定
指定年月日 第29次指定 平成7年4月5日

瀬戸染付焼

沿革
19世紀初め、加藤民吉等が磁器の焼成(しょうせい)技術を瀬戸の地で広めたことが起源となっています。その後、絵師から絵付の指導を受け、南宋風の絵画を施す技術などが加わって急速に発展し、今日の瀬戸染付焼の基礎が確立されました。

特徴
白地(しろじ)の素地(きじ)に絵付を行い、施釉(せゆう)後焼成したものが染付です。藍色を基調とした色彩で繊細な自然画や鳥、花などを筆で描く技術と、潤いを持った仕上がりにするため、本焼成時に「ねらし(一定時間窯(かま)の温度を高温のまま維持)」を行い釉薬を熟成させるところに特徴があります。

製造工程
ろくろ成形、手ひねり成形等で成形し、表面をなめらかに仕上げ、乾燥後に素焼をした素地の表面に、直接筆で呉須絵具(ごすえのぐ)等を用いて下絵付を行います。その後紬薬を施し、本焼成して完成となります。

主な製品
茶器、花器、室内装飾品、食卓用品

伝統的工芸品指定
指定年月日 第31次指定 平成9年5月14日

紋章上絵

紋章上絵の起源は平安時代にさかのぼります。京都で修行をした小川棄拾氏が昭和19年から旧尾西市(現在の一宮市開明)に戻り、生産を始めました。
紋章上絵師の仕事は、黒紋付染の工程の中で、ゆのしを施した白生地に紋場と呼ばれる紋章を 描く部分を白く残すために、紋を彫った紋型紙を貼り付ける作業と、生地の染め上げ後、紋洗い をした真っ白な紋場に、コンパス、定規、上絵筆などを使い正確に紋を描き入れる作業に分かれ ます。何年も鍛錬された職人だけができる技術・技法です。

製造工程
黒着物(喪服)の石持(紋を入れる部分)に型(紋の形に彫った紙)を貼って、余分な部分を 染料で消します。その後、墨で線を入れます。

主な製品
呉服、紋入れ

打敷

沿革・特徴
かつて尾張地方は、刺繍の生産の盛んな土地でした。この地方では、主に呉服などを中心に刺 繍が盛んに行われていました。その後、呉服の他に仏具商の下請けとして、打敷や袈裟・山車の 幕等他を請け負うようになりました。

製造工程
製作し、糸と生地を染めます。糸よりをし、刺繍(駒づかい・ぬいきり・さしぬい・たけやまち・さがらぬい)をして仕立てます。

主な製品
打敷、祭物、各種刺繍品

犬山焼

沿革・特徴
江戸元禄年間、今井村(現在の犬山市今井)において、郷士奥村伝三郎が今井窯を築き、焼物を作ったのが始まりです。その後、犬山城主成瀬正寿が文化7年(1810年)丸山に開窯、文政年間(19世紀)には、犬山藩お庭焼として発展し現在に至ります。
作風は、中国明時代の呉州赤絵を手本とする呉州風赤絵・犬山城主成瀬正寿の意匠による光琳風の桜と紅葉を描いた雲錦手が特徴で、素朴で優雅な陶器として愛用されています。

製造工程
採石をして粉砕し、水簸(すいひ)から粘土を生成します。坏土、土練りをして乾燥させ、素焼きの後、下絵付をして釉薬を施します。焼成をし、上絵付・上絵窯・錦窯・金焼等を行います。

主な製品
抹茶椀、花瓶、湯呑み、酒器

指物
沿革・特徴
指物師は、江戸時代になって独立した家具職人です。指物の「指す」というのは、板で箱等を作ることをいいますが、物差し等で測ることも「指す」というので物差し等を使用して細かい物を作る人のことをいいます。一宮市で指物が作られるようになったのは、大正時代からで、キリ、ヒノキ、スギ、クワ等を使って主に茶道用に箱、棚、櫃等を作っています。

製造工程
原材を天日乾燥させ、木取りし再び天日で乾燥させます。加工細工をして屋内で自然乾燥させ、組立加工をします。その後、研き、塗装をし、蒔絵・箔押しをします。

主な製品
棚物、風炉先屏風(ふろさきびょうぶ)具、茶杓(ちゃしゃく)、茶筅(ちゃせん)

曲げ物

沿革・特徴
曲げ物とは、ひのき、すぎなどの薄い板を曲げて作った器をいいます。旧新川町(現在の清須市)では、約200年前の江戸寛政年間頃、外町綿屋三輪彦兵衛、丸の内酒屋山田市右ヱ門、外町広瀬屋、牛田善右ヱ門が曲げ物屋を創業しました。
美濃街道は、昭和30年に旧西枇杷島町(現在の清須市)の青物市場が名古屋へ移るまで、大八車が行き交って賑わっていました。これらの人を当て込み、須ヶ口周辺は曲げ物作りで栄えていました。

製造工程
木地→木地を造り、乾燥させます。木取りをし湯で煮て、ロクロで曲げサクラの皮で縫います。
毛綱→原毛を洗い、長さを区別し毛を織機にかけます。木地の底を入れて、毛綱を付け仕上げます。

主な製品
蒸籠(せいろ)、柄杓(ひしゃく)、篩(ふるい)、こし器

漆器

沿革・特徴
わが国における漆の歴史には諸説あり、中国から伝えられたとも、日本で独自に発達してきたともいわれています。
尾張地方では戦前まで、「尾張漆」として漆・漆器が盛んに生産されていました。しかし時代の移り変わりとともに、廃業や仏壇仏具などの職業に転業する人が多くなり、戦中・戦後を過ぎた今では、一部の人が製作に従事しているだけとなりました。

製造工程
素地・木地に下地を塗る。下地工程が終わった物に下塗り・中塗り・上塗りの工程で漆を塗り、乾燥させます。

主な製品
美術工芸品、食器(盆・椀等)、茶華道具

端折傘

沿革・特徴
骨の端を内側に折り曲げた長柄の傘で、その昔、公家や僧侶、馬上の貴人などに後ろからさしかけたりと、広く利用されてきました。
また、豊臣秀吉が醍醐の花見の際に用いたという記録も残っており、近年では野点(のだて)の席に使われることはもとより、パーティー、室内装飾などの分野にも広く愛用されています。
約400年、14代に渡り端折傘の製作を続ける扶桑町の尾関朱傘製作所では、今なお、伝統の技法が守り継がれています。

製造工程
竹で骨(親骨と傘の内側で親骨を支える押上骨)を作り、墨を柿渋で溶いた液を塗る。親骨と押上骨にそれぞれ轆轤(ろくろ)を作って取り付けます。紙張り、朱塗りをして乾燥させ、折り込みをします。傘の上部の轆轤(ろくろ)に化粧張りをし、飾り糸掛けをして仕上げをします。

仏具

沿革・特徴
木魚位牌等の仏具が名古屋でいつ頃から製造されるようになったかは明らかになっていませんが、おそらく仏壇と並行して発展してきたものと推測されています。
現在でも位牌等の小物から寺院門の山号額のような大きな物までが幅広く製作されています。

製造工程
製材から木取りをし、彫刻・塗装・箔押しを行います。字形を整えて仕上げます。

主な製品
位牌、寺院仏具一式

武者絵幟、鯉幟

製品
沿革・特徴
江戸時代弘化年間(19世紀中頃)に起源があるものと推測されています。明治になって岐阜方面から「春香」「藤吉」という二人の下絵師がやって来て、五月幟(武者絵幟)・野幕(野外で宴会等をするときに周囲に張る幕)等の下絵および江戸絵を書き残しました。これらの絵を原型として色分けし、呉汁、大豆の汁等を用いて雨などにも剥げない幟が染められるようになりました。

製造工程
綿布地に下絵を描き、糊付けします。染色して押さえ、糊を落として乾燥させ、上絵付けをします。

津島祭礼太鼓

沿革・特徴
津島市の太鼓づくりの起源は、約1470年前の津島神社の創建に由来するものと思われます。現存する最古の太鼓は、平安時代末期に作られており、現在唯一の太鼓づくりを行っている堀田新五郎商店も25代以上続いています。津島祭礼太鼓の特徴は、牛皮のなめし方にあります。他の多くの産地が、薬品により皮なめしを行うの対し、堀田新五郎商店では、昔ながらに、室を作り、雑菌発酵により皮なめしを行います。このため、太腹の胴に弾力性のある太鼓皮を貼ることができ、雄大でずしっと響く鳴音が得られます。神社、寺院の儀典用に、また、祭り嚇子用として、多種多様な太鼓が生産されています。

製造工程
胴作り→太鼓の大きさに応じ原木を切断し、胴の中を刳り貫きます。また外側を削ります。乾燥させ、歌口を仕上げて塗装します。
革作り→皮をなめして処理します。仮張り、本張りをして鋲を打ち、縁切りをして仕上げます。

主な製品
胴長太鼓、桶胴太鼓、祭礼用締太鼓、火焔太鼓

津島祭礼太鼓

沿革・特徴
津島市の太鼓づくりの起源は、約1470年前の津島神社の創建に由来するものと思われます。現存する最古の太鼓は、平安時代末期に作られており、現在唯一の太鼓づくりを行っている堀田新五郎商店も25代以上続いています。津島祭礼太鼓の特徴は、牛皮のなめし方にあります。他の多くの産地が、薬品により皮なめしを行うの対し、堀田新五郎商店では、昔ながらに、室を作り、雑菌発酵により皮なめしを行います。このため、太腹の胴に弾力性のある太鼓皮を貼ることができ、雄大でずしっと響く鳴音が得られます。神社、寺院の儀典用に、また、祭り嚇子用として、多種多様な太鼓が生産されています。

製造工程
胴作り→太鼓の大きさに応じ原木を切断し、胴の中を刳り貫きます。また外側を削ります。乾燥させ、歌口を仕上げて塗装します。
革作り→皮をなめして処理します。仮張り、本張りをして鋲を打ち、縁切りをして仕上げます。

主な製品
胴長太鼓、桶胴太鼓、祭礼用締太鼓、火焔太鼓

名古屋仏壇

製品
沿革
元禄8年(1695年)、高木仁右ヱ門がこの地に仏壇専門店「ひろや」を創業したのが始まりとされています。東本願寺造営に参加した優れた職人たちが、良材「木曽檜(ひのき)」を用いて仏壇工芸を発展させ、今日の基礎を形成しました。

特徴
宮殿御坊造(くうでんごぼうづく)りを代表とする豪華な構造と、台の部分が高く、「みつまくり」を備えていることが特徴とされています。水害から仏壇を守るとともに、台の中に諸仏具を配置、収納するための生活の知恵の結晶です。

製造工程
八職(はっしょく)と称する専門職(木地(きじ)師、宮殿(くうでん)師、彫刻師、錺金具(かざりかなぐ)師、塗(ぬり)師、蒔絵(まきえ)師、箔押(はくおし)師、組立師)による合作である。図で示すと次のとおりとなる。
製造工程図

主な製品
仏壇

伝統的工芸品指定
指定年月日 第6次指定 昭和51年12月15日

名古屋桐箪笥
沿革
約420年前、名古屋城の築城に携わった職人たちが城下町に定着し、箪笥や長持を製造したのが始まりといわれています。材料となる飛騨桐(岐阜県)の産地に近く、良材が容易に入手できたことも、その発展を大きく促しました。

特徴
他産地のものと比べて幅が広く、くぎはヒバ製あるいはこれと同等の材質のものを用いるところに特徴があります。湿気を防ぎ、熱を通さない、狂いが少ない高級品として有名です。

製造工程
大まかに造材、木取り、狂い直し、加工、加飾、金具付け等に分けられ、130余の工程を一人の職人で作ります。桐無垢板(きりむくいた)を使用し、各部材の接合は伝統的な組み接ぎ法を用い、仕上げにかるかやの根を束ねたうずくりを用いて磨き、やしゃぶし液に砥粉(とのこ)を混ぜた液で着色した後、ろうで磨きます。

主な製品
総桐 中開箪笥・昇箪笥・衣装箪笥・小袖箪笥・帯箪笥・総桐チェスト

伝統的工芸品指定
指定年月日 第15次指定 昭和56年6月22日

名古屋友禅

沿革
尾張藩主徳川宗春(とくがわむねはる)の頃(1730~1739年)に、京都、江戸などから友禅師が往来し、その技法が伝えられたことに始まります。しかし宗春失脚後、質素倹約が励行されるようになり、模様の配色も色数を控えたものへと移行しました。

特徴
当地方の土地柄を反映して、単彩濃淡調の色使いのなかに幽玄さを秘めた”渋(しぶ)”さを特徴としています。

製造工程
手描友禅:白生地を仮絵羽縫(かりえばぬい)し、青花液(あおばなえき)で下絵を描き、色挿しをします。挿した色を定着させるために蒸した後、模様部分に伏糊(ふせのり)をして地色を引染し、再び蒸して水洗し、最後に箔置(はくお)きなど彩色仕上(さいしきしあげ)をします。
型友禅:白生地を友禅板に張り付け、伊勢型紙などを使用して柄付けをします。柄付け後、模様部分に伏糊をし、地染を行い、蒸した後水洗して仕上げます。

主な製品
訪問着、留袖、着尺地他

伝統的工芸品指定
指定年月日 第18次指定 昭和58年4月27日

名古屋黒紋付染

沿革
慶長15年(1610年)、尾張藩士小坂井家が、藩内の旗、幟(のぼり)などの製造にあたったことが始まりといわれています。その後、現在につながる紋型紙板締めの技法が生み出されました。

特徴
染色方法には、浸染(ひたしぞめ)と引染(ひきぞめ)の二種類があります。浸染では、紋型紙を使用し、家紋の形を染め抜きます。染液の温度を高めにし、時間をかけて染めるため、堅牢度(けんろうど)の高い黒色が得られます。引染では、黒の色艶の優れた「トロ引黒染」または「三ッ引黒染」の技法を用いることに特徴があります。

製造工程
浸染では、生地に紋型紙を貼り、それを生地の両面から紋当金網(もんあてかなあみ)で押さえて締付け、下染めをした後、黒の染料液に入れて染め上げます。引染では、紋の部分に伏糊をして、「トロ引黒染」や「三ッ引黒染」技法で、刷毛(はけ)を使用して染め上げます。最後に白く残った部分に紋章を手描きで入れて完成となります。

主な製品
着尺地、羽尺地

伝統的工芸品指定
指定年月日 第18次指定 昭和58年4月27日

木桶

沿革・特徴
桶の発祥は古く、古事記に天の岩戸の前で天鋼女(あまのうずめの)命(みこと)が桶の上で舞ったと記されています。名古屋においても富岳三十六景「尾州不二見原」に描かれているように、江戸時代には、尾張藩所領の木曽椹(さわら)を用いて桶の製造が盛んにおこなわれました。旧桶屋町には、藩御用達の桶職人が多く住んでいたといわれます。
かぐわしい木の香り、木目の美しさ、感触の良さなどが木桶の持ち味です。

製造工程
木取りをして乾燥させる。外鉋・内鉋をかけ、正直突き・糊付し、仮輪をして再び内外鉋かけをし、溝掘りの後に輪入れ・底入れをして小口仕上げをします。

主な製品
寿司飯切、櫃等

木桶

沿革・特徴
桶の発祥は古く、古事記に天の岩戸の前で天鋼女(あまのうずめの)命(みこと)が桶の上で舞ったと記されています。名古屋においても富岳三十六景「尾州不二見原」に描かれているように、江戸時代には、尾張藩所領の木曽椹(さわら)を用いて桶の製造が盛んにおこなわれました。旧桶屋町には、藩御用達の桶職人が多く住んでいたといわれます。
かぐわしい木の香り、木目の美しさ、感触の良さなどが木桶の持ち味です。

製造工程
木取りをして乾燥させる。外鉋・内鉋をかけ、正直突き・糊付し、仮輪をして再び内外鉋かけをし、溝掘りの後に輪入れ・底入れをして小口仕上げをします。

主な製品
寿司飯切、櫃等

名古屋扇子

沿革・特徴
名古屋扇子は、宝暦年間(18世紀中頃)に京都から現在の西区幅下あたりに移住してきた井上勘造父子によって始められたとされています。名古屋は京都と並ぶ産地として知られ、京扇子が高級な婦人物を主としているのに対し、名古屋扇子は、白扇など実用的な男物を主体として発展してきました。

製造工程
竹→胴切りをし、割竹せん引をする。あてつけ(扇骨成型)し、白干しし、磨き・塗りをして要を打ち、末削(紙の間に入る扇骨を薄く削る)をします。
紙→紙合わせをして箔押し・上絵付けをし、折り・中差しを経て中付けをします。

主な製品
男扇、女扇、舞踊扇、飾扇

名古屋提灯

沿革・特徴
提灯の歴史は、古く室町時代にさかのぼるといわれ、江戸時代には盆供養に提灯を使う風習が生まれ、盛んに作られるようになりました。小田原提灯、岐阜提灯などが有名ですが、名古屋提灯も歴史の古い業者が多く、又、和紙を通しての柔らかな光が欧米人にも好まれました。明治初期には貴重な輸出品として全国一の生産を誇った時期もありました。現在では、盆提灯・観光土産提灯などが主に生産されています。

製造工程
提灯の木型に型油をつけて木型を組みます。木型の上、下に中輪(張り輪)をはめます。組んだ木型にヒゴ(提灯の骨)巻きをします。巻いたヒゴに糊(生麩糊)を打ちます。次に提灯用の紙(主に和紙)を貼ります。よく乾燥させてから提灯を木型から外して丁寧に畳み、検品をして各種付属品を付け、仕上げをします。

主な製品
盆提灯、装飾提灯、宣伝提灯、ランプシェード

木魚

沿革・特徴
木魚の始まりは、寺院の中で大衆を集める合図として木製の鳴り物が用いられたことです。それがやがて魚形になり、現在の木魚となりました。魚形となったのは、中国の故事に基づいています。現在、日本国内で木魚を手作りしているのは一宮市とその周辺のみで、明治時代に京都で修行をした職人が始めたものです。

製造工程
原木の丸太から木取り・孔堀りをして室内乾燥させます。彫刻・磨仕上げ・着色をして仕上げ、最後に音付けをします。

主な製品
木魚

名古屋節句人形

沿革・特徴
名古屋節句人形の歴史は古く、天明年間(18世紀)頃の「名府年中行事」によると、玉屋町(現在の名古屋市西区)と諸町に雛人形市が立っていたことが記されており、このことから江戸時代後期には相当数の業者が存在したことが推測されます。
明治に入って、東京から職人を招いたことにより、技術が向上し、全国有数の生産地へと成長しました。さらに戦後には分業制が確立しました。

製造工程
着付→藁の芯に紙を巻き、綿で肉付け胴・腕を針金で通します。着物を仕立てて着せ、手足を付け、腕を折ります。
顔 →石膏で原型を作り桐塑で色を塗り、嵌めたガラスの目を彫刻刀で掘り出し眉・口を描きます。
髪結→顔の縁に溝を彫り髪を貼り付け、束ねて結っていきます。
手足→手の平を木で作る。指を針金で作り、胡紛を塗って乾かした後に彫刻等で彫ります。

主な製品
雛人形、五月人形、市松人形、尾山人形

戸部の蛙

沿革・特徴
今から約400年前、戸部城主・戸部新左衛門という乱暴な殿様がいました。外出の折、面前を横切るものは、なんでも無礼打ちにしていました。ある日、新左衛門の面前を一匹のトノサマガエルがさっと横切りました。お供衆は息を飲んだが乱暴な新左衛門も、その蛙の飛ぶ速さに心を奪われ、蛙は命拾いしました。それから誰ともなく、“山崎(現在の名古屋市南区)越えたらとべ、とべ”と洒落るようになったとのことです。こうした言い伝えから、“命拾いをして無事にカエル”といった願いを込めて、瓦職人が粘土で蛙を作って焼き、それを笠寺観音の参道に並べて売った土産物が、戸部の蛙の始まりだとされています。

製造工程
人形の形をした原型に土を張り付け、乾燥したら二つに割って枠を作ります。枠の中に土を詰めて原型と同じかたちの人形を作ります。乾燥させて素焼きをし、塗料で色をつけて仕上げます。

和凧

沿革・特徴
凧は中国から伝えられたといわれ、承平年間(10世紀)の「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」に初めて凧が紙老鵬の名で紹介されていますが、名古屋には江戸中期に参勤交代や行商人の手によって江戸から普及したと推察されています。正徳2年(1712年)柿の木金助が大凧に乗って、名古屋城の金の鯱ウロコを盗んだ有名な事件以来、名古屋城下では大凧上げが禁止され、そのせいか昭和の現代でも愛知県下では大凧が作られていません

製造工程
和紙を乾燥させ染色し、竹をはりつける。また乾燥させ、ふちどりをして糸目を付けます。

主な製品
角凧、奴凧、蝉凧、六角凧

神棚・神具

沿革・特徴
名古屋市港区は熱田神宮、伊勢神宮に近いという地理的条件に加え、古くから城下町名古屋には堀川が木曽木材の集積地であったことから、周辺には、木材問屋、桶、セイロなどの木製品製造業者が数多くあり、神棚・神具も製作されていました。内祭用(家の中)神棚の製造業者が多く、昭和30年代までは箱型、神明づくり、奥屋違い三社などの昔ながらのものに人気がありました。現在ではインテリア化したものがよく売れるとのことです。

製造工程
荒木取・木取小割をして部品を作ります。塗装、組立、金具の取り付けをします。屋根・胴・台をそれぞれ仕上げ、組み立てます。

主な製品
神棚、社殿、神具、みこし

名古屋和蝋燭

沿革・特徴
和蝋燭は、仏教の伝来とともに中国からその製法が伝えられたといわれています。名古屋へは、17世紀後半に福島県会津地方より伝授されたとされています。
和蝋燭は、櫨(ハゼ)の実を搾った木蝋と草の芯、和紙を原料としています。植物性のため、洋蝋燭と比べ油煙が極めて少ない、風が吹いても炎が消えにくいなどの特徴があります。
また、灯芯のまわりに何回も塗り重ね太くしていくため、蝋燭の断面は、ちょうど木の年輪のようになっています。

製造工程
い草の芯(灯芯)に和紙で芯巻きをし、芯に棒を差し込みます。蝋つけをして下地ぬり・上地ぬりの後、頭部切り・下部切りをして完成させます。

主な製品
白蝋燭、朱蝋燭、金蝋燭、銀蝋燭

錺工芸品

沿革・特徴
金銀細工を行う錺(かざり)職は、名古屋ではかなり古くから行われていたようです。名古屋は昔から仏壇の産地として知られてきました。仏壇づくりは仏壇八職といわれるように、木地、宮殿、彫刻、塗り、内金物、外金物、蒔絵、箔押しの八種類の部分が組み合わさって作られ、それぞれに専門の職人がいます。そのうちの内金物、外金物を総称して錺金物と呼んでいます。ただし、錺金物としては、仏壇のほかにも仏具、神具、寺物、祭の御輿や山車などの装飾用金具・金物などを作っている人もいます。

製造工程
下絵を基に銅板に墨入れをします。彫り(柄)入れをし、魚々子打ちをします。形の沿って切断し、本金・鍍金(めっき)等の処理をして仕上げます。

主な製品
神仏具、祭車・山車、建築金具などの装飾用の錺金具

常滑焼

沿革
日本六古窯の一つに数えられ、その起源は平安末期にまでさかのぼります。古来より大瓶・大壼などの日用雑 器が有名です。桃山時代には茶道具、江戸時代には、この地で産出する鉄分の多い陶土の性質を巧みに生か した朱泥焼(しゅでいやき)や白泥焼(はくでいやき)、火色焼(ほいろやき)を作り、今日の基礎が築かれました。

特徴
歴史が物語るように、豊富で良質な陶土(とうど)の性質を生かして、多種多様な製品が生産されています。なかでも、粘土に含まれている鉄分を赤く発色させることにより生まれる朱泥は、常滑焼の代表作として有名です。

製造工程
ろくろ成形、押型成形または手ひねり成形により成形した後、常滑焼独自の素地磨き削りを行い、加飾(かしょく)、施釉(せゆう)を経て焼成します。無釉製品の場合は焼成後、羽毛で磨きをかけ、艶を出して完成します。

主な製品
茶器、花器、酒器、置物、植木鉢

伝統的工芸品指定
指定年月日 第5次指定 昭和51年6月2日

知多木綿

沿革・特徴
知多木綿の歴史は江戸初期に始まったと伝えられています。初期には生白(きじろ)木綿として生産され、伊勢から江戸に送られていました。その後、江戸中期の天明年間(18世紀)に旧岡田村(現在の知多市)の中嶋七右衛門らが晒(さらし)技術を導入して以来、『知多晒』としての名声が高まりました。

製造工程
白木綿糸を草木染で染め(紺色は業者より)、手作業にてタテ糸を機にセットし、手織りで布とします。布もしくは手作りで製品を加工します。

主な製品
手織り知多木綿(手作り製品)

乙川人形

沿革・特徴
江戸・天保15年頃、飛脚屋をしていた杉浦伊佐衛門が京都伏見から、人形製作技術を学んできてこの地で始めました。材料の粘土が採出できたことや、販売路の便により盛えました。しかしながら、次第に雛人形など豪華なものが好まれるようになり、現在では土人形はほとんど製作されなくなりました。また、昭和29年頃に、元来の手作りから鋳込式へと製作方法が変化しました。

製造工程
キブシ(粘土)を鋳込み、型抜きをします。接合面の調整をして、天日で乾燥させ、釜入れをし塗装します。

主な製品
招きネコ、ダルマ、天神牛

三河仏壇

沿革
文献によると元禄17年(1704年)、矢作川(やはぎがわ)から運ばれる松、杉、檜(ひのき)などの良材と、三河北部の漆(うるし)を材料として、仏壇師庄八家(しょうはちけ)が製造したのが始まりといわれています。

特徴
三河地方では仏壇を押入れに安置する習慣だったため、押入れに合わせた高さ、奥行、幅と、その条件の下でいかに豪華に見せ、かつ拝みやすくするかに工夫が凝らされてきました。そのため台は低く、なげしは「うねり長押(なげし)」となっています。

製造工程
八職(はっしょく)と称する専門職(木地(きじ)師、宮殿(くうでん)師、彫刻師、錺金具(かざりかなぐ)師、塗(ぬり)師、蒔絵(まきえ)師、箔押(はくおし)師、組立師)による合作である。図で示すと次のとおりとなる。
製造工程図

主な製品
仏壇

伝統的工芸品指定
指定年月日 第6次指定 昭和51年12月15日

岡崎石工品

沿革
天正18年(1590年)、岡崎城主田中吉政が、城下町の整備のために河内・和泉の石工を招いたのが始まりといわれています。近くの山から良質の花崗岩がとれたこと、矢作川(やはぎがわ)を利用して重い石燈籠(いしとうろう)を江戸・大阪まで運ぶことができた、などの好条件によって繁栄しました。

特徴
神社仏閣の燈明(とうみょう)用として生まれた石燈籠が庶民の暮らしの中に取り入れられ、夜道を照らす常夜燈(じょうやとう)や庭園装飾用へと用途を広げていきました。現在、「立燈籠型」「雪見型」「鉢物」などの庭燈籠が盛んに作られています。

製造工程
代表的製品である立燈籠は、岡崎花崗岩を原料として、さしがね等を用いて墨出しをし、コヤスケ、ノミ、タタキ、ビシャン、小ベラ等の道具を使って仕上げ、下から地輪、柱、受、火袋、笠、玉と乗せ上げて据え付けます。

主な製品
燈籠、多重塔、鉢物

伝統的工芸品指定
指定年月日 第12次指定 昭和54年8月3日

草木染

沿革・特徴
日本には古来から化学(合成)染料を一切使わず 植物などの天然染料のみで染色した「草木染」がありました。岡崎市の「草木染工房 しかり」では草木染の普及活動のため、製作や市民講座に取組んできました。

製造工程
染料を煮出し、布に糊を置きます。刷毛で染液や天然発色・定着液を塗ります。その工程を染めるものに応じて何度も繰り返します。

主な製品
天然染料で染めたもの(繊維・紙・木等)

鬼瓦

沿革・特徴
高浜市・碧南市は矢作川の下流域にあり、鉄分が多く粒が粗いという瓦に適した良質な粘土が 採掘されたこと、船便による搬送ができたことから「三州瓦」の産地として発展してきました。 鬼瓦は奈良時代に建物の安穏を祈って飾られるようになったものですが、なぜ三州地域で生産さ れるようになったのか確かな記録は残っていません。また東三河地域においても古くから良質の 粘土が産出し、鬼瓦が作られています。

製造工程
型紙を粘土の上にのせ、輪郭に合わせて粘土を切り取り鬼瓦の原型を作ります。表面に側面を 張り付け、雲などの模様を付け土をします。乾燥させ、約1130度前後の高温で焼成します。

主な製品
鬼瓦

鶴城焼

沿革・特徴
地元の土をおりまぜ、あな窯で焼かれた自然釉の焼き物です。「鶴城」とも呼ばれた西尾城の名 にちなみ、鶴城焼と呼ばれています。時を経て使い込まれながら、次第に深みが増してきます。 他にも生活の場にあって食を演出し暮らしに潤いを与える斬新な器や、つや消しの皿、陶壁など、 多彩な作風があります。

製造工程
粘土を杯土し、乾燥させます。下絵付けの後、釉薬を施し焼成します。

主な製品
抹茶茶碗、花器、水差し

三河の一刀彫

沿革・特徴
三河の一刀彫は、寺院彫刻などを行っていた初代の神谷重春氏が昭和20年ごろに始め、現在は、2代目の健司氏が中心となって製作しています。
三河の一刀彫は、三河地方に伝わる文化や伝統芸能である三河万歳を題材にした物が多く、奴さん、吉良の仁吉、郷土三英傑、翁、高砂など作品は多彩です。
紅松や五葉松を用い、木の肌を最大限生かし、大胆かつ粗削りな手法で形をとらえていく鋭いノミ味が強調されています。

製造工程
製材を荒彫りし、仕上て彩色します。彩色の無い場合も有ります。

主な製品
一刀彫三河万歳など

木地製品

沿革・特徴
文徳(もんとく)天皇(827~858年)の第1皇子惟喬(これたか)親王(844~897年)が、近江国小椋庄に住んで、轆轤(ろくろ)の使用を教えたのが木地師の始まりと伝えられています。
木地師は良木を求めて諸国の山中を歩いては、木地製品の製作にあたりました。愛知県では、段戸山系に木地師が多くいましたが足助でも東部地区を中心に幾多の木地師が活躍していました。

製造工程
丸太を製材し、木地にまるめて乾燥させる。中挽きして再び乾燥させ、仕上げ挽きをします。

主な製品
盆、菓子器、なつめ、銘々皿

奥三河木地

沿革・特徴
文献では天保5年(1834年)に古橋源二郎が美濃屋木地店を創業していることが明らかとなって おり、それ以前から多くの木地師が在住していたと思われます。
カシ、トチ、桜、松等の素材を使い、伝統的な荒挽き、中挽き、仕上挽き等の技法により茶器・ 花器等を生産していましたが、大正以降は次第に衰退していきました。現在はわずかな生産者た ちが昔ながらの製法で食器・盆等を作っています。

製造工程
材料の木取りをして乾燥させ、荒掘りをして仕上げます。

主な製品
盆、菓子器等

釣竿・弓矢

沿革・特徴
釣竿は、三河地方にすぐれた竹材があったため、従来から足助では盛んに作られていました。
弓矢は、徳川家康が出身地の三河の農民に武芸奨励をしたことから弓道が盛んになったこと、また、材料の竹材もすぐれていたことから盛んに作られるようになりました。足助では、各お宮や寺に矢場がたくさんあったとのことです。
現在のいろは竹工所は、初代の鈴木庄五郎氏が明治年代に釣竿や弓矢を趣味で製作していたことが始まりで、氏が従来の長継竿から小継竿に改良しました。

製造工程
竹を火でのばし、削り、糸巻をして、うるしを塗り仕上げます。

主な製品
釣竿、矢

やはぎの矢

製品
沿革・特徴
明治3年、静岡県三ケ日にて矢師となった初代小山嘉六に始まり、伝統的な手法により代々竹矢の製造に取組んできました。70もの製造工程を持つため、完成までに2年の歳月を要すると言われています。現在は、流鏑馬神事を始めとした各神事で使用されています。

製造工程
竹を切り出し、熱して柔らかくして竹の曲がなくなるまでしごきます。小刀で削り、再び焼いて真直ぐにします。砂で擦って小刀の削りめを取り、焼き色をつけて砂と水で磨きます。仕上げ砥ぎをして、最後に銃身が揃うように鉄粉を混ぜた松脂を焼け火箸で矢竹の端に入れ込みます。

主な製品
竹矢

和紙

沿革・特徴
足助の和紙は「三河森下紙」と呼ばれる純生漉和紙です。農家の冬場の仕事として、女性ではなく男性が漉いていたのが足助の特徴と言われています。丈夫な紙で2枚漉きに特徴があり、主に障子や番傘の紙に用いられました。現在では番傘や、足助名物の行灯たんころりんにも使われています。

製造工程
コウゾの黒皮を除き、繊維をほぐす。繊維を流水で冷やしながらアク抜きをして塵やごみを取り除きます。コウゾを細かい繊維に分解し、トロロアオイを加えて漉舟に溶かし、繊維を漉きながら厚みを加えていきます。紙漉きを終えたものを圧搾工程で水分を取り除き、乾燥させます。

主な製品
和紙

一閑張

沿革・特徴
旧小原村(現豊田市)は、古くから三河漆の産地でした。三河漆は日光東照宮にも使われたといわれる良質なものでした。それに着目したのが工芸家藤井達吉で、昭和9年に名古屋の安藤政太郎とともに、小原和紙の紙漉き職人に一閑張りの技術を伝えました。その後、昭和20年から藤井氏が本格的な指導を開始し、弟子の安藤則義氏から様々な工夫が加わり今日に至ります。

製造工程
和紙を漉き紙に加工する。曲ものや木地の型を作り、紙貼りをして紙を漆器に加工します。

主な製品
茶器、重箱、皿、盆

土人形

沿革・特徴
以前、愛知県の三河地方の農家では冬の間に土人形を作って生計の足しにしていました。人形作りは江戸時代から始まり、明治時代の初めから村歌舞伎が庶民の娯楽として人気があった碧南地区では、歌舞伎人形もよく作られたといいます。その土人形はおぼこと呼ばれ、武者や飾り雛など素朴なつくりに色鮮やかな彩色を特徴とした人形が作られました。また豊橋でも、乙川土人形の杉浦家親戚にあたる杉浦幸次郎氏により赤天神などがつくられました。

製造工程
原型をつくり、土の調製をします。型ぬきをし、乾燥させます。焼成して彩色仕上げをします。

主な製品
おぼこ、赤天神

三将馬

沿革・特徴
昭和53年、安城の人形師野村嘉雄氏は、愛知県ゆかりの民芸品を作ってほしいという依頼を受けて歴史を研究し、郷土にゆかりの深い三英傑の愛馬を「三将馬」として製作しました。素材には、三英傑にゆかりの深い土地である美濃の和紙、小原村の手漉き和紙を用い、丹精込めて作り上げられています。

製造工程
生地をぬき、胡粉を塗ります。和紙を貼り、飾付をして仕上げます。

三将馬

沿革・特徴
昭和53年、安城の人形師野村嘉雄氏は、愛知県ゆかりの民芸品を作ってほしいという依頼を受けて歴史を研究し、郷土にゆかりの深い三英傑の愛馬を「三将馬」として製作しました。素材には、三英傑にゆかりの深い土地である美濃の和紙、小原村の手漉き和紙を用い、丹精込めて作り上げられています。

製造工程
生地をぬき、胡粉を塗ります。和紙を貼り、飾付をして仕上げます。

きらら鈴

沿革・特徴
西尾市内の八ツ面山では良質な雲母(うんも)が奈良時代から産出していました。明治初期、雲母発掘人夫が山で生き埋めになり、誰ともなく木の枝に鈴を下げ、その霊をなぐさめました。このことから、当時、雑器を製造していた陶芸家加藤熊蔵氏が「きらら鈴」を作りました。三河瓦土の雲母をちりばめたきめ細かい地肌の鈴で、ころころと人懐こい音色がします。

製造工程
山土から陶土を調合し、手ひねりで成型して仕上げます。乾燥させ、素焼きし絵付けをします。

五月武者絵幟

沿革・特徴
かなめ染め武者絵幟は、江戸時代中期に職人の町・三河国土呂(現在の岡崎市福岡町)の地で誕生しました。かなめ本染めは、今なお熟練の職人により全て手づくりされ、下絵も含め、変わらず受け継がれています

製造工程
綿布地に下絵を描き、糊付けします。染色して押さえ、糊を落として乾燥させ、上絵付けをします。

主な製品
鯉のぼり、武者絵幟

ちゃらぼこ太鼓

沿革・特徴
「ちゃらぼこ」とは太鼓のリズムを口で言い表したものです。ちゃらぼこ太鼓はこの地方独特の祭り囃子で演奏される太鼓です。「ちゃらぼこ」の歴史については、いろいろな説があります。蒲郡などの海沿いの地域では南の海から伝わったと言われ、安城市辺りでは東海道から京都のものが伝えられたとされています。小〆太鼓・コンコロ太鼓があり、この太鼓を作る技術があるのは地域性の強い楽器なだけに、この地方の太鼓屋にしかありません。

製造工程
胴作りをし、皮作りをして皮張りをします。

主な製品
各種和太鼓

しめ縄

沿革・特徴
しめ縄には、御霊を宿す神聖な境・領域を他と区別するために奉り、周囲の汚れを清め、災いなどの侵入を防ぐと言う意味があります。わらをなった縄に、縁起が良いとされる飾り物を付けます。岡崎におけるしめ縄の生産は、明治20年代前半、伊勢神宮へ参拝した石川米吉氏が神宮のしめ縄を参考に開発したことに始まります。生活様式の変化により、従来に比べ生産量の減少は否めませんが、一方で手づくり、本物志向が注目されています。

製造工程
稲わらを作り、縄にないます。飾り付けをして仕上げます。

主な製品
しめ縄

三州岡崎和蝋燭

沿革・特徴
天文~永禄年間(16世紀中頃)、ハゼの木の実からとれる「木ロウ」を原料として和蝋燭(木蝋燭)が製造されるようになりました。江戸時代に入り、和蝋燭の需要は急伸し、各藩において重要な産業となり、各地にロウソク問屋ができました。
岡崎においても、仏壇、石工品とともに主要な産業となっておりましたが、明治になり西洋ロウソクの普及に伴って問屋数も減少し今日に至りました。しかし現在でも、「あかり」として仏事を始め寺院・茶道・記念行事等幅広い用途に用いられ、根強い需要があります。

製造工程
灯芯に木蝋を付けて乾燥させます。削り、下掛け塗りをしてカンナで削り乾燥させます。再び上掛塗りをして、上部切り・下部切りをして完成させます。

主な製品
和蝋燭

三州灯篭

沿革・特徴
文献によれば、鎌倉時代中期・正応2年(1289年)に、河内国丹南郷から安藤三郎九郎親重が、長子国近及び従弟を率いて冗了恵上人とともに岡崎管生の郷に移住し、由緒ある鋳物師として梵鐘や仏具などを鋳造したのが始まりです。大正年代まで、安藤氏の子孫が携わっており、昭和初期には、8軒の事業者に数百名の従事者がいたとのことです。
蜜ろうを使用し、細かい彫刻が可能なことが特徴で、現代でも、昔ながらの技法で製作しています。

製造工程
原型を制作し、次に鋳物を制作します。鋳造して、表面を削って仕上げ着色します。

主な製品
灯篭、庭置物

豊橋筆

沿革
文化元年(1804年)、京都の鈴木甚左衛門が、吉田藩(豊橋)から招かれ製造したのが始まりといわれています。下級武士の副業として取り入れられたことと、穂首の原材料となる狸(たぬき)、いたちなどの獣毛が容易に入手できたことなどから、産地として発展しました。

特徴
原材料の混毛に、水を用いて交ぜあわせる「練(ね)りまぜ」の工程を用いることに、豊橋筆最大の特徴があります。この工程により生み出される、”墨含みが良く、墨はけが遅く”使いやすい筆は、高級品として有名です。

製造工程
約36の筆作りの工程は、全部手作りで行われています。工程を大別すると、選別→毛もみ→寸切り→練りまぜ→上毛(うわげ)かけ→仕上げ→刻銘(こくめい)となります。一人の職人が一日に作る筆の数は細筆で50本、太筆で30本といわれています。

主な製品

伝統的工芸品指定
指定年月日 第6次指定 昭和51年12月15日

三河木綿・三河縞

沿革・特徴
織物の歴史は古く、縄文時代には、原始的な機織りの存在が想定されています。(石錘(せきすい)等の出土)江戸時代以前の文献には、藤づるを使用した機織りの記録がありますが、木綿織りがいつごろから三河地方で行われるようになったか定かではありません。現在は蒲郡市ルネッサンス事業として「手織場(てばたば)」が立ち上げられ、三河木綿・三河縞の復元と生産を行っています。

製造工程
綿打ちをし、糸をつむぎます。白糸を染色し機械で織ります。

主な製品
木綿反物

藍染

沿革・特徴
蒲郡で藍染めが始められたのは、約1600年前とのことです。当地が三河木綿の産地であったところから、全盛期には、一村に1軒の紺屋があったと言われています。
現在では、遠山順二氏(初代)が大正14年に開業した遠山正藍染織工場一軒となっており、二代目・守氏、三代目・二一氏とともに親子3代にわたって、伝統技術を守りつつ、時代にあった新しい商品の製作に力をいれています。
藍に染められた糸は丈夫で織られた着物は変色しにくく、着こなせば着こなすほど味が出ます。

製造工程
絹糸を藍染し、製品に加工します。

主な製品
藍染(糸染・布染)加工、藍染の糸
藍染の作務衣・のれん・テーブルクロス等

曲輪せいろ

沿革・特徴
ヒノキの薄板を丸く曲げ、底を付けたものは一般に“曲げもの”と呼ばれていますが、鎌倉時代には、すでにセイロなどに使われていました。
現在の豊川市内(旧音羽町)で製作されている曲輪セイロは、昭和初期に加藤金次氏が豊橋で技術を修得し、暖簾分けにより開業したのが始まりです。

製造工程
ヒノキの薄板を熱湯で曲げ、桜皮等で縫い合わせ、丸い底板を付けます。

主な製品
蒸器、とうし(ふるい)、ウラゴシ

天神様

沿革・特徴
三河地方では昔から、男の子が生まれると、知恵が膨らみますようにと、知恵の神様である天神様の人形を飾る風習があります。天神屋人形店の初代秦玉造氏が、土や泥を使って天神様の人形を作ったのが当地の人形作りの始まりです。
その後、時代の流れに沿って人形の作り方も変わり、いろいろな種類の人形が作られるようになりました。現在は4代目の孝司氏が、藁を使った胴と西陣織りの着物を使って人形作りを行っています。

製造工程
胴柄は金襴の裏打ちをし、裁断をして着物を仕上げます。胴に手足・着物を付け、振り付けをし、最後に顔を付けます。

主な製品
羽子板、破魔弓、お雛さま、天神様

三河張子(鐘鬼の面・おころりん)

沿革・特徴
「鐘鬼の面」は、江戸・文化年間(18世紀前半)に、初代の内藤助十氏が冬の農閑期に収入を得るために作り始めたもので、「鬼より恐ろしい鐘鬼さん」と呼ばれ、魔除けや、神様に病気の平癒を願う時に使われました。
3代目の滝三郎氏が始めた「おころりん」は、高さ7cmぐらいの赤い布で子供を包んだ小さな女だるまで、子どもが誕生すると丈夫に育つようにと買われていきました。これが三河目無しだるまの元祖といわれています。

製造工程
木彫原型に和紙を糊付けし、天日で乾燥させて型から外します。胡紛を塗り、面書きをして仕上げます。

小坂井の風車

沿革・特徴
宝飯郡小坂井町にある菟足(うたり)神社は、風に対する民間信仰をもとにした神社として祀られています。江戸時代から伝わる風車は、神社の例祭「風祭り」に由来しています。最初は菟足神社で売られていましたが、近郊の神社の祭礼でも売られるようになり、「三河の風車」とも呼ばれるようになりました。

製造工程
経木で羽根となる板を作成し俵の形にそろえます。型に組み、羽根中心部を留め、穴をあけます。羽根を黄色に塗り俵の絵を描きます。
幣手に穴をあけ、軸受けの女竹を打ち込みます。
最後に女竹にガラガラを差し込み、組み立てます。

張り子

沿革・特徴
豊橋市の安久美神戸神明社で、毎年2月10、11日には、鬼祭り」が行われます。神明社に伝わる神事で祭では荒ぶる神が「赤鬼」となり、武神が「天狗」となります。そして荒ぶる神と武神の、闘いが鬼祭りのメインイベント、「赤鬼と天狗のからかい」になります。祭礼に因んだ「天狗」の持つ薙刀(なぎなた)と「鬼」の持つ撞木(しゅもく)は玩具として鬼の面などとともに売られています。

製造工程
糊で和紙を数枚張り合わせ、木型に貼ります。乾燥させて木型を外し、着色して仕上げます。

主な製品
黒鬼面、薙刀、撞木

宮太鼓・締太鼓・平太鼓

沿革・特徴
江戸時代、幕府の政策により、東海道の街道筋の約十里毎に太鼓店が配置されたという言い伝えがあり、東海地区では、浜松、小坂井、知立、名古屋、桑名に太鼓店があったとのことです。
小坂井町の山本太鼓店は、こうした太鼓店の職人の子孫である山本松平氏が明治年代に始めたもので、現在でも6代目の正孝氏が昔どおり、すべて手作業で製作しています。現在でも浜松地区の様々な祭りに使われています。

製造工程
胴→材木を粗削りし、カンナで仕上げ、つや出しをします。
革→牛皮を水に濡らします。乾燥させ、締め置きをします。胴に革を張って完成させます。

鳳来寺石硯

沿革・特徴
鳳来時の硯は、鳳来寺山開山当時の約1300年前から作られていたと伝えられています。金鳳石、煙巌石、鳳鳴石の三種類があり、金鳳石がもっとも良質なもので当時の寺林から産出したことから、別名寺林石とも呼ばれていました。石は漆黒ですが、無数の金銀星(黄銅鋼、黄鉄鋼、褐鉄鋼、白鉄鋼などの結晶体)を有するため、仕上がったとき、美しく光り輝きます。

製造工程
地元の山で原石を採石し、ノミで手彫りします。砥石でみがき、うるし系塗料でつやを出し仕上げます。

主な製品
鳳来寺硯

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