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≪取扱い商品≫
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新原美術 店主

九代 岩野 市兵衛(人間国宝)

重要無形文化財 平成12年指定
代表和紙:越前生漉奉書
人間国宝であった先代岩野市兵衛氏より手漉き和紙古来の技法を受け継ぎ、木材パルプなどを使用しない100%楮だけを使用した生漉き奉書一筋に専念してきた。
1978年に九代目岩野市兵衛を襲名。2000年6月に、国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定される。
精選された国内産の楮を原料とし、越前和紙に伝わる古来の技法にしたがい作られた強靭な和紙は、版画紙として多くの美術作家に提供されている。

主な作品

「越前和紙で魅せるエバレット・ブラウンの世界展

三代 岩野 平三郎

県無形文化財 昭和50年指定
代表和紙工芸:打雲 飛雲 水玉
初代岩野平三郎の技法を受け継ぎ、雲肌麻紙などの画紙抄造につとめ、現代日本画の作家たちとの交流を深めている。
越前和紙古来の紙漉き模様「打雲・飛雲・水玉」の技法を継承し、県無形文化財に指定される。
「打雲」は地紙を漉いて、水が切れた頃、藍と紫の紙料を上下に雲のように漉き込む。「飛雲」も同様にして、ちぎれた雲のように漉き込む。「水玉」は地紙の上に水を含ませたわら束で水滴を落して作る技法である。

福田 忠雄

県無形文化財 平成12年指定
代表和紙工芸:墨流し
無地の紙に模様をつける技法の一つで、平安時代から伝えられている。
一子相伝、門外不出の技法として、特定の家に限りという形で継承されてきた。
墨流しは、水をはった水槽に墨、紅、藍などの染料と松脂を含んだ筆を水面に交互におとし、模様をつくる。これを和紙に吸い取らせる技法。
氏は地域的特有を有し、工芸史的に価値の高い墨流しの伝統的技術の保持者である。

越前和紙の歴代の紙匠たち一覧

越前和紙の歴代の紙匠たち
日本画紙の創始者 初代 岩野平三郎
紙漉きの神様といわれた日本画紙の創始者
国無形文化財
(人間国宝) 八代 岩野市兵衛(故人)
九代 岩野市兵衛
県無形文化財 三代 岩野平三郎
福田 忠雄

越前焼

越前焼のカップ

越前陶芸村・文化交流会館

越前陶芸村・福井県陶芸館
越前焼(えちぜんやき)は、福井県丹生郡越前町の主に宮崎地区(旧宮崎村)・織田地区(旧織田町)で焼かれる陶磁器(炻器)。釉薬を用いずに高温で焼成されるときに薪の灰が器に流れ出し、溶け込む自然釉の風合いで知られる。
歴史は非常に古く、平安時代から始まったといわれるが、長く無名であったが第二次世界大戦後小山富士夫等により日本六古窯の一つにあげられた際に越前焼と名付けられた。それまでは「織田焼」と呼ばれていた。当初から壺や甕、擂り鉢などの台所用品が作られていき、他の古窯が江戸時代に茶器などを焼いていった中で、越前焼だけは決して趣向を変えることなく、雑器を焼き続けていった。そのため江戸末期から明治には衰退の一途を辿り、一時は廃絶の危機に追い込まれた。  復興の契機は1970年(昭和45年)に作られた越前陶芸村で、これを境に窯元が急増、観光客が多く訪れるようになった。今日では若い感覚の作品も多く見受けられるが、基本は古くからの焼き締めが中心となっている。1986年(昭和61年)に通商産業省(現在の経済産業省)から伝統工芸品の指定を受けている。
越前焼の興隆と時を同じくして衰退し消滅した能登半島の珠洲焼とは流通範囲がほぼ重なる点と自然釉等の共通点から、越前焼による珠洲焼の駆逐、或いは珠洲焼の技術者達の集団移動等が研究されている。

越前漆器(福井・鯖江)

福井県で古くから馴染みの深い、漆を使った伝統工芸品です。
漆が生活のすみずみに息づく越前。優しく温かい漆器をはぐくむ越前。越前は、そんな潤いに満ちた麗しき漆の国なのです。
遊び心をかたちにして暮らしに彩りを添えたいとき、特別な日をもっと輝かせたいとき、集まったみんなの気持ちをいっそう引き立たせたいとき・・・。越前漆器産地では、暮らしの中のいろいろな場面で漆器が活躍しています。
古くは約1500年前に、福井県鯖江市にある片山集落から始まった越前漆器は、その技術や歴史、産地から、伝統工芸品として認定されています。
日常的に使う食器やインテリア小物、重箱や茶道具まで、身近な製品が数多く生産されており、福井県の外せないお土産のひとつとしても、大変人気があります。
「うるしの里会館」では、絵付けや沈金、拭き漆の体験ができるので、ぜひ訪れて、伝統の技にふれてみてはいかがでしょうか。

越前和紙(福井・越前)

「紙の王様」とも称される、日本の紙文化の中心的存在です。
千年以上もの長い歴史と伝統に育まれた「越前和紙」
紙漉きに用いる簾の細かい模様が美しい紙です

越前和紙の製造工程は実に多く、基本となる8つの工程、それに和紙の種類・職人の一手間から来る追加工程からなっております。これらの工程は古くから伝わるもので、越前和紙産地の特色により創意工夫されたものであります。

高級手すき和紙の産地として、日本一のシェアを誇る、福井県・越前市。
職人の高い技術ももって作られた伝統工芸品、歴史ある美しい和紙は、古くから現代まで、多くの人々に愛されています。
越前和紙の里には、和紙に関する資料が展示されている「紙の博物館」や、便せんや名刺、短冊や壁紙などの商品販売や、紙すきの体験ができる「パピルス館」があり、たくさんの観光客や見学客が訪れます。

若狭めのう細工(福井・小浜)

鮮やかな朱色が美しく輝きます。
赤く透き通るような輝きと驚くほどの細工。『若狭めのう細工』は、置物やアクセサリーとして根強い人気があります。

江戸時代から手作業のめのう細工。天然石の光沢は職人技で輝きを増し、繊細な細工で最高級品となります。

古くから「七宝」のひとつに数えられる天然石のめのうを、原石に熱を加えて赤くし、天然石の傷に配慮しながら注意深く研磨して作り上げる、福井の伝統工芸品、若狭めのう細工。
職人技で磨き上げられた最高級品の輝きは素晴らしく、人の心を魅了します。
若狭工房では、めのう磨き体験を行うことができ、自分だけのオリジナルアクセサリーを作ることができます。

若狭塗り(福井・小浜)

漆を何度も塗り重ねては研ぐ、福井の伝統工芸品です。
極上(ごくじょう)の漆を十数回塗り、貝殻(かいがら)・卵殻(らんかく)・金銀箔(きんぎんぱく)で模様を付け、石や墨(すみ)で研ぎ出し、数ヶ月から1年の月日をかけて作られる

模様を先に入れ、その上に極上漆を数回塗り、石で研ぎ出し、さらに木炭で肌を細かくする「研ぎ出し技法」の特徴から、その製品は熱気、水気にも変化しにくく、美術品としてだけでなく丈夫な実用品としても高く評価されています。

若狭塗箸は、福井県・若狭小浜市での生産が全国80%のシェアを占めており、米大統領にも贈呈された、伝統工芸品です。
箸のふるさと館WAKASAでは、約3000種類の箸が展示・販売されているほか、若狭塗箸の研ぎ出し体験ができます。親しい人やお世話になった方へのお土産にもぴったりですね!

越前打刃物(福井・越前)

700年の歴史を持つ、福井の伝統工芸品です。
日本古来の火づくり鍛造技術、手仕上げという工程を守り続けているのが越前打刃物です。約700年の歴史を持ち、刃物産地として、全国で初めて国の伝統的工芸品の指定(昭和54年)を受けました。

越前打刃物独特の「二枚広げ」や「廻し鋼着け」という技法を使い、切れ味鋭い包丁や刈込はさみ、鎌を作っています。

越前打刃物は、南北朝時代に、現在の福井県越前市で、農民のために鎌を作ったことが始まりとされています。
その歴史と技術は高く評価されており、昭和54年に、全国の刃物産地として初めて、伝統工芸品の指定を受けました。
越前刃物会館では、たくさんの種類の包丁や鎌の展示・販売の他、事前予約で製造工程の見学や体験コーナーがあります。

越前焼(福井・越前)

素朴ながらも頑丈で風情のある焼物です。
越前焼は、壺・甕・すり鉢の3器種を中心とした生活雑器や、経筒・骨壺などの宗教的用途としても使用されていました。

越前焼に使われる土には鉄分が多く含まれ、耐火性も強いため、表面が赤黒・赤褐色の焼き上がりとなり、土が焼き締められました。

もともとは、須恵器を焼いていた越前で、平安時代後期に、常滑技術を取り入れて焼き締め陶を作り始めたのがはじまりとされる福井の伝統工芸品、越前焼は、陶芸ファンだけでなく、目にして、触れる人たちに、なんとも言えずほっとする温かみと、しっかりとした手ごたえを感じさせてくれます。
陶芸館や越前焼の館では、たくさんの種類の食器や雑貨、壺などの展示や販売ができるほか、越前焼陶芸体験などができます。ぜひ一度、足を運んでみては!

越前箪笥(福井・越前)

江戸時代後期から作られている、シンプルかつ力強い箪笥です。
越前箪笥が製作されるようになったのは、江戸末期から明治初期にかけて旦那衆の家に出入りしていた『指物師』が始りといわれている。

伝統的工芸品『越前箪笥』は、その箪笥が越前で製作されたかどうか?判断する特徴的な金具にあります。その中でも鉄の金具にたくさんのハートの形がくり抜かれている事が特徴的なのです

福井県越前市を中心に、江戸後期から作り続けられてきた箪笥などの家具を「指物」と呼びます。越前指物のうち、2013年に伝統工芸品に認定された越前箪笥は、職人の匠の技と、いつまでも色あせない本物だけが醸し出す重厚感と、時代に合わせて工夫されたデザインなどにより、多くの人々に愛され、使い続けられています。

手打ちそば作り用具
越前美化木
よもぎ草染
春江木芸
越前和蝋燭
銀杏材木工品
越前岳人形
三国箪笥
名田庄木工品
武生桐箪笥
越前水引工芸
若狭パール
若狭和紙
うるしダルマ
三国仏壇
越前指物
武生唐木指物
越前鬼瓦
丸岡神具
鯖江木彫
油団

越前漆器

 

 

 

 

 

渡辺悟仙(わたなべごせん・本名「昌男」 1938年(昭和3年)11月26日 – 2000年(平成12年)8月22日)は、福井県福井市出身の日本を代表する世界的水墨画家。「日本南画院」元理事長。「福井県水墨画協会」創立者 兼 初代会長。紺綬褒章受章者。

人物略歴
生まれながらにして画才をもち、少年期には父である久吉(雅号・旭光)や文人画家の小川春峰に日本画の手ほどきを受け、青年期には南画家である飯原如堂に習う。雅号「静山」。拓殖大学卒業後、福井県庁に勤めるかたわら画家への夢があきらめきれず、1969年(昭和44年)、 馬来田愛岳(社団法人日本南画院理事)や鳥海二楽子(社団法人日本南画院常務理事)に師事。雅号を「悟仙」と改める。1971年(昭和46年)以来、日本南画院展入賞を重ね、昭和50年代以降は日本国内はもとより海外においても水墨画家として高く評価され広く知られるに至った。1996年(平成10年)11月、「社団法人日本南画院」理事長就任。「墨に生きる」を信念に東尋坊や越前海岸などを題材にした多くの大作を残している。2000年(平成12年)8月、故郷の福井市にて逝去。享年73(満71歳)。
人物像
『俺は公の場で人に見てもらい、感動を与えるために描いている』『絵は紙の上に墨とともに心を落とし込んでこそ厚みを増す』と常に水墨画への激しい情熱を持つ一方、生来の柔和な性格で弟子には分け隔てなく接し、水墨画教室(悟仙社)はいつも和やかな雰囲気であった。
『大作を描け』『きのうの絵ではなく、明日の絵を描け』・・・悟仙が作品に対峙する時、常に抱いていた心構え。
『墨と筆を貸しなさい』・・・病魔に侵されて入院し、体力的にも限界に達している際に弟子に対して発した言葉。墨と筆を前にした悟仙は悟仙社で指導するのと同じ姿で筆を握り、弟子の作品を指導した。
主な作品
「蘇洞門」(200号) – スペイン国王(フアン・カルロス1世)へ寄贈。
「涛風(東尋坊)」(400号) – 北京市美術館出品。(日中国交回復10周年記念文化使節団・合同美術展) ※ 2009年8月現在、福井県立美術館館蔵品となっており常設展示されてはいない。
「東尋坊」(80号) – 旧ソ連キエフ市に寄贈。(日ソ合同美術展)
「東尋坊」(5.5m×5.5m) – 財団法人紙の博物館(東京都北区王子)へ寄贈。 ※ 2009年8月現在、館蔵品となっており常設展示されてはいない。
「初冬の街」(200号) – 第24回「社団法人日本南画院展」出品。
「東尋坊」(5.5m×11m) – 福井県三国町郷土資料館(現 みくに龍翔館)へ寄贈。 ※ 2009年8月現在、常設展示中。
「越前寿海」(4m×26m) – 福井市フェニックス・プラザへ寄贈。 ※ 2009年8月現在、常設展示中。
「たまり」(200号) – 第26回「社団法人日本南画院展」出展。
「夜明け」(200号) – 第32回「社団法人日本南画院展」出展。 ※ 2009年8月現在、福井新聞社蔵品となっており常設展示されてはいないが、事前に申し込めば個人でも鑑賞可能。
「越前寿海」(200号) – 第38回「社団法人日本南画院展」出展。
「松寿」(1.5m×3.8m) – 遺作。指定介護老人福祉施設ほのぼの苑(福井県南条町) 蔵。 ※ 2009年8月現在、常設展示中。
主な受賞歴
1978年(昭和53年)6月〔39歳〕 – 紺綬褒章
1984年(昭和59年)11月〔45歳〕 – 福井市文化奨励賞
1986年(昭和61年)3月〔46歳〕 – 日本南画院展文部大臣賞(最高賞)
出版画集
「墨に生きる」渡辺悟仙画集 (1998年9月出版・A4版・ハードカバー・158p)
渡辺悟仙顕彰碑
福井県坂井市丸岡町にある「北陸三堂顕彰碑」に列して、2005年(平成17年)3月、悟仙の座右の銘であった『墨に生きる』が刻まれた顕彰碑が建立され、南画愛好家の心のよりどころ、励ましの場になっている。なお、「北陸三堂」とは、明治から大正時代に活躍した福井県出身の偉大なる画家「長田雲堂・山田介堂・内海吉堂」の三人をさしている。

西山 真一(にしやま しんいち、1906年7月20日 – 1989年4月19日)は、洋画家、日本芸術院会員。
福井県鯖江市出身。福井師範学校卒。1931年帝展初入選。人物画で出発し、戦後のパリ留学時代に風景画に転換。1980年日本芸術院賞受賞。1984年日本芸術院会員。光風会常任理事。『西山真一画集』(六芸書房、2000)がある。

鈴木 千久馬(すずき ちくま、1894年7月23日 – 1980年9月7日)は、洋画家、日本芸術院会員。
福井県出身。1921年東京美術学校西洋画科卒、帝展に出品、1925年特選。1930年同審査員。1936年文展委員。1941年創元会を創立。1950年日展運営会参事。1957年日本芸術院賞受賞。1972年日本芸術院会員。1974年勲三等瑞宝章受章。
『鈴木千久馬作品集』(美術出版社、1969)がある。

川崎 和男(かわさき かずお、KAWASAKI Kazuo、1949年2月26日 – )はインダストリアルデザイン、プロダクトデザインを中心とした、デザインディレクター、博士(医学)。 2014年現在、大阪大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授[要出典]、多摩美術大学客員教授(2000年04月〜継続中)、金沢工業大学客員教授(2006年4月~2015年3月31日まで)、「グッドデザイン賞=Gマーク賞選定・総合審査委員長(2001/2002/2003)毎日デザイン賞2002-4選考委員、1991年より推薦委員  2009よりShip of the Year 審査委員、日本文具大賞審査委員長 「DESIGN TOKYO」審査委員長 2010警察大学校・講師、2005-6,2009年調査委員。

人物
血液型B型・左右両手利きである。
福井県出身。福井県立高志高等学校、金沢美術工芸大学[1]卒。 専門は3D-CAD/CAMとメディアインテグレーションによるプロダクトデザイン開発、 トポロジー空間論をベースとしたラピッドプロトタイピング手法の研究から3D-Printing技術の開発と応用展開。「危機解決学デザイン」の形態設計と制度設計へのデザインの実務と論理構築。 「危機管理学」ではなく、「危機解決学」構築のために「コンシリエンスデザイン」を提唱する。
自身が交通被災により車イス生活であり「身体障害者1級」、また心臓病でもありICD埋め込み「心臓障害1級」であることから、人工心臓や医療機器・環境デザインの研究を行う。医学部を出ていないのにもかかわらず、医療機器関連の多数著作創作者であり、医学系の講演の経験があるということの評価と、名古屋市立大学学内誌「Nagoya medical journal(外部査読有り)」に、博士号取得医学系英語審査試験合格により博士論文を提出することで、学位博士(医学)を取得。 毎日デザイン賞、ニューヨーク近代美術館永久展示、フランスシルモ展デザインコンペのグランプリ等、国内外のデザイン賞を多数受賞している。
月刊誌AXISやMACPOWERに十数年以上と長期に渡って連載し続けている。初期からのNeXTコンピュータやMacintoshのユーザーとしても知られる。 1990年代前半、米Appleと契約し、携帯型マシンプロジェクトのデザインディレクターをApple社外から務めていたこともある。
医療をデザインしたいという思いから、看護学部とデザイン学部を持つ札幌市立大学の初代学長に就任する予定だったが、市側と折り合いがつかず、就任を辞退することになった。 国際的な活動により「Newsweek」誌・日本語版の「世界が尊敬する日本人100」には2度選ばれている。
経歴
1949年、福井県福井市に生まれる
1972年、金沢美術工芸大学美術工芸学部卒業
1972年 – 1979年、東芝に所属・オーディオブランドAurexに従事する。
1978年、1月2日、乗っていたタクシーが酒酔い運転の車に猛スピードで突っ込まれ瀕死の重傷を負う。一命は取り留めるが脊髄を損傷し車椅子の生活に。
1979年、フリーランスとなり、東京に川崎和男デザイン室を開き主宰する
1981年、福井市に活動拠点を移す
1991年、’90毎日デザイン賞受賞
1996年 – 2006年、名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授
1999年 – 名古屋市立大学で博士(医学)取得(博士論文『光造形システムによる全置換型人工心臓の基本的形態化デザイン』Nagoya medical journal)[
2000年 – 多摩美術大学 美術学部 生産デザイン学科 プロダクトデザイン専攻 客員教授 (2000年04月〜継続中)
2001年 – 2003年、グッドデザイン賞審査委員長
2005年 – 液晶ディスプレイメーカーの新製品発表会において、プラズマテレビの遠赤外線放出量が、液晶テレビのそれと比較して多いことを根拠として、プラズマテレビの危険性をいち早く指摘。とりわけ幼児の成長阻害等について警鐘を鳴らす。2007年の医学界総会での研究発表を宣言した。
2006年 – 大阪大学 コミュニケーションデザインセンター(CSCD) コミュニケーションデザイン部門教授 (2006年〜2009年)、兼 大阪大学大学院工学研究科大阪大学フロンティア研究センター(デザイン理工学プロジェクト)教授
2006年 – 名古屋市立大学名誉教授
2010年 – 大阪大学大学院工学研究科・機械工学専攻・統合デザイン工学部門・先端デザイン理工学領域教授
2013年 – 大阪大学 名誉教授
2015年 -大阪大学大学院医学系研究科「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」特任教授
主な作品・プロジェクト等
東芝 Aurex
タケフナイフビレッジ ARTUS, CULEUS, EXSECTOR、 PlaSchola
ナナオ コーポレイトアイデンティティ、EIZO, FORIS.TV
レムノス GANBARAシリーズ HOLA, ILUS, TROS, PEBBLE
シグワークショップ CARNA
Apple Computer MindTop, POPEYE,BRUTUS,Oleave, Sweatpea, JEEP
富士通 INTERTop
増永眼鏡 Kazuo Kawasaki Ph.Dブランド 「Anti-Gravity Supportフレーム」(MP-621JJ)、「Anti-Tensionフレーム」(MP-690、MP-691)など。
警察庁 クローバーマーク
ミネベア+東レ COOL LEAF-PROJECT
主な作品収蔵先
ニューヨーク近代美術館(CARNA・X&I・PlaSchola)
スミソニアン博物館(クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館)
フィラデルフィア美術館
モントリオール装飾美術館[要出典]
サンディエゴ・チァイルドレンミュージアム[要出典]
モントリオール科学センター[要出典]
金沢21世紀美術館
主な著書
プラトンのオルゴール インダストリアリズムの終焉とデザインの使命
デジタルなパサージュ
デザイナーは喧嘩師であれ 四句分別デザイン特論
デザインは言語道断!
デザインの極道論 「感性の言葉」としての形容詞
デザインという先手 日常的なデザインガンビット
川崎和男 『プレゼンテーションの極意』 ソフトバンククリエイティブ、2005年。ISBN 978-4797328202。
Design Anthology of Kazuo Kawasaki
川崎和男 『artificial heart:川崎和男展』 坂村健 菅野沖彦 藤田治彦、アスキー、2006年。ISBN 978-4-7561-4803-2。
KeynoteMagic 川崎和男 至高のプレゼンテクニック
倉俣史朗のデザイン-夢の形見に-ミネルヴァ書房 ISBN-10: 462306011X
川崎和男Design-ミネルヴァ書房 ISBN-10: 4623066630

土屋 公雄(つちや きみお、1955年2月2日 – )は、日本の彫刻家、環境造形アーティスト。愛知県立芸術大学美術学部教授、武蔵野美術大学建築学科客員教授、日本大学芸術学部客員教授。
「所在/記憶」をテーマとし、解体された家屋の廃材や灰を素材とした作品は、国際的な現代美術展へも数多く出品。さらに世界各地より招待され、その土地や人々の記憶を刻むパブリックアートなどの彫刻作品を制作。国内では丸ビル正面エントランスに設置されたモニュメントや、東京空襲犠牲者追悼の平和モニュメント制作でも知られている。近年は「場」や「地域」の歴史・文化や環境に関わる、サイトスペシフィックなアートプロジェクトを展開している。

経歴
1955年 福井県福井市生まれ
1977年 日本大学芸術学部建築デザイン科卒業
1989年 ロンドン芸術大学チェルシーカレッジ美術彫刻科修士課程修了(Chelsea college of art and design)
1990年 プライマル・スピリット展(企画原美術館)/ロサンゼルスカウンティ美術館、ルフィーノ・タマヨ美術館(メキシコ)など巡回。「Eternity」フランスのヴァシィビエール現代美術センターで個展
1992年 「所在」青山スパイラルガーデンで個展
1993年 USIS米国務省のプログラムにてアースワークを視察
1996年 「虚構と記憶」原美術館で個展
1999年 森に生きるかたち展/箱根彫刻の森美術館
2000年 シドニーオリンピック2000・モニュメント制作
2001年 東京空襲犠牲者追悼・平和モニュメント制作
2002年 第25回サンパウロ・ビエンナーレ
2003年 越後妻有アートトリエンナーレにて「創作の庭」を制作。「記憶の家/覚醒する時間」発電所美術館で個展。「未現像の記憶」ダブリンの5thギネスアートセンターで個展
2004年 作品「記憶の領域」が文化庁買上げとなる
2006年 日本のパブリックアート展/世田谷美術館
2009年 土屋公雄APT(アートプロジェクトチーム)設立
2010年 愛知県立芸術大学プロジェクトチームとして瀬戸内国際芸術祭に参加
2012年 「夢のあとに/交差する時間」福井県立美術館で個展
2015年 戦後美術クローズアップ展/東京都現代美術館
受賞歴
1990年 朝倉文夫賞受賞
1991年 現代日本彫刻展大賞受賞
1992年 神戸須磨離宮現代彫刻展優秀賞受賞
1993年 五島記念文化賞受賞
1999年 オナラリー賞受賞(英国)、ロンドン芸術大学より名誉学位授与。
2001年 奈良県景観調和デザイン賞受賞
2003年 本郷新賞受賞
2012年 福井新聞文化賞受賞

豊田 三郎(とよだ さぶろう)
豊田三郎 (小説家)
豊田三郎 (画家)

堀田 清治(ほった せいじ、1899年(明治32年)12月6日 – 1984年(昭和59年)2月17日)は、日本の洋画家。福井県福井市出身。福井県立福井中学(現・福井県立藤島高等学校)卒業。日本の洋画壇を代表するフォーブ(野獣派)の巨匠。日展文部大臣賞ほか受賞歴多数。日洋展委員・動く美術館運営委員もつとめ、積極的な美術活動を展開し多くの俊秀を育てた。芸術院会員に推挙されながらも終始一貫して断り続ける信念の人でもあった。

略歴
福井市の紡績原料問屋の長男として生まれる。福井中学入学後油絵を描き始め、1920年(大正9年)に上京、太平洋美術研究所に入所し高間惣七に師事する。同研究所や高間らが結成した新光洋画会で最高賞を受賞後、帰郷した際に同郷の土岡秀太郎らとともに北荘画会を創立、福井の文化的地盤の形成に尽力する。分厚いマチエールによるダイナミックで力強い画風を特徴とする。1924年(大正13年)再度上京し、創立当初から槐樹社に加わり、1926年(昭和元年)には『大樹のある風景』で初入選。1929年(昭和4年)には『靴屋』を出品し槐樹社賞受賞、その後『飢餓』『基礎工事』でも同賞を受ける。1933年(昭和8年)第14回帝展に『炭鉱夫』で特選、プロレタリア作家としての名声を確立する。1936年(昭和11年)には新文展無監査となる。
日展には1956年(昭和31年)から出品、1962年(昭和37年)日展評議員、1969年(昭和44年)からは日展参与。この間、1958年(昭和33年)にはアトリエを構えた武蔵野を拠点に新槐樹社を創立し代表となる。1959年(昭和34年)から2年間渡仏、アカデミー・ジュリアンに学び、宗教をモチーフにした作品を中心に描いた。1975年(昭和50年)の日展出品作『麿崖不動明王』で文部大臣賞受賞。晩年まで各地の麿崖仏や観音像を題材に現地での取材と制作を精力的に行った。1979年(昭和54年)日本橋三越で画業55年展開催、1981年(昭和56年)福井県立美術館で回顧展開催。勲四等旭日小綬章受章。
1984年(昭和59年)2月17日、三鷹市厚生会病院にて心不全で死去。享年85。
2007年(平成19年)5月に武蔵野市立吉祥寺美術館で開催された堀田清治展では、武蔵野市の所蔵する堀田清治の油彩作品に、柏市教育委員会、多摩市教育委員会所蔵の作品あわせて約30点が展示された。

新道 繁(しんどう しげる、1907年3月25日 – 1981年6月10日)は、洋画家。
経歴
福井県三国町(現・坂井市)出身。1924年東京府立工芸学校卒業。1934年光風会会員。1951年日展審査員。1955年女子美術大学講師、1958年文部大臣賞受賞、日展評議員、1961年日本芸術院賞受賞、1969年日展理事、1971年光風会常務理事、1975年日展常務理事、1977年日本芸術院会員、1979年勲三等瑞宝章受章。
1960年以降は「松」を繰り返し描いた。

雨田 光平(あまだ こうへい、1893年2月1日 – 1985年11月14日)は福井県出身の箏曲家、彫刻家、ハープ奏者。本名は雨田外次郎。
東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)卒業。米国とフランスで10年間にわたってハープを修業し、マルセル・トゥルニエに師事。彫刻家としても国際的に活躍し、「日本のロダン」と呼ばれた。日本ハープ協会顧問。箏曲京極流2代目宗家。絵画、詩、書、陶芸など幅広い分野で藝術活動をおこなった。1959年、中日文化賞受賞。1968年、勲五等双光旭日章受章。2001年には、福井県丹生郡織田町(現・越前町)に雨田光平記念館が開館した。
妻の一人は三田平凡寺の次女。次男の雨田光弘はチェリストで画家、長男の雨田光示は日本で制作された初めてのアイリッシュハープの演奏者である。また、義理の甥に夏目房之介がいる。
参考文献
雨田光示『竪琴の調べ─父・雨田光平について』(海越出版社、1991年)

戸田 正寿(とだ せいじゅ、1948年4月10日 – )は日本のアートディレクター。福井県生まれ。東京アートディレクターズクラブ(東京ADC)、JAGDA会員。

経歴
1970年、高島屋宣伝部を経て、1973年日本デザインセンター入社。
1976年、戸田事務所設立。
主な仕事
1982 – 84年、サントリーローヤル(ランボー、ガウディー、マーラー、ファーブル編)、サントリー缶ビール
1987年、三宅一生のファッション広告、展示会
1986 – 95年、 – 伊勢丹ファッションキャンペーンとCI
1985 – 89年、ビブレ21ファッションキャンペーンとCI
1988年 – アエラ表紙アートディレクション
1996年、バーバリーブルーレーベル
2003年、六本木ヒルズオープニングキャンペーン
2008年、洞爺湖サミットアートディレクション

UUUM株式会社(ウーム、英: UUUM Co., Ltd.)は、東京都港区に拠点を置く日本の企業、事務所。

概要
2013年6月に「セカイにコドモゴコロを」を理念に、YouTube関連では初めての芸能プロダクションとして設立。同年11月15日に公表された。
主にYouTubeで活動するYouTuberらへ、技術提供、彼らをマネジメントするプロダクション、ショッピングサイトなどを運営する。企業から受注した案件と所属するYouTuberらによる動画広告収入の一部が主たる収益源である。
事業内容
所属クリエイター同士の交流や、無料音源・素材集ソフト等が利用できるポータルシステムの運営。
スタジオや機材のレンタル、動画素材・アイコン等の制作代行、各種勉強会等のサポート。
企業等とのタイアップ企画の窓口
関連商品の販売
沿革
2013年6月27日 – 設立。
2014年8月28日 – Yahoo! JAPANと業務提携を締結。
2014年10月1日 – 本店を東京都渋谷区から東京都港区へ移転。
2014年12月1日 – UUUM株式会社に商号変更。
2015年4月20日 – デジタルハリウッドと業務提携。また、UUUMネットワーク二期募集を開始した。
2015年7月1日 – ガジェット通信と業務提携。
2015年8月27日 – 監査等委員会設置会社への移行。

稲村雲洞:福井市

吉川 壽一(よしかわ じゅいち、1943年1月7日 – )は、福井県福井市出身の書家。

来歴
福井県立藤島高等学校卒業。上田桑鳩・宇野雪村・稲村雲洞・川崎一照各氏に師事。1964年「奎星賞」受賞後、毎日書道展グランプリ、福井市民文化賞、毎日書道顕彰など多くの賞を受賞。「SHO家」、「SHO Artist」として国内、海外で精力的に活動し、エルメス社のスカーフのSHO作品を制作するなどその活動範囲はひじょうに広い。1964年第一回個展「寿一墨象展」を手始めに、中国北京「百福萬福書法展」、パリ「SHO吉川寿一PARIS展」、東京・NHK放送センター「平成独楽吟大書法展」、「寿一SHOワールド」パリなど開催。中国・北京の天安門や東尋坊(坂井市)、ドバイの砂漠にて書を書くなど、スケールの大きい行動力と企画力で個展とパフォーマンスを繰り広げ、多彩な表現活動を精力的に続けている。講談社発行のMANGA「モーニング誌」にSHOあっ晴れ連載、単行本となる。「バカボンド」「ジパング」「カバチタレ」「柴王」「アフタヌーン」「軍鶏」などタイトルを書き続けている。
書歴
1983年、東尋坊の断崖上に30畳の仮設ステージを設営し、越前和紙を敷いて「萬来」の二字を書初めする。
1988年、3.6㎡白布100枚に「福」をいろいろな書体で揮毫し、5メートルの竹で井桁に組んで福井県庁の堀に浮かべる「百福水上」展を開催する。
1990年、北京天安門革命博物館前庭にてタテ45mXヨコ15mの金色布に世界一の特注新案の大筆(重さ45kg + 墨20kg)にて「福中来」を大書揮毫する。
2003年、NHK大河ドラマ「武蔵」の題字を揮毫。
2006年4月19日にリリースされたTHE LOOSE DOGSのシングル「しょぼい顔すんなよベイベー」の題字も書いている。これはメンバーが吉川氏と同じ福井県出身ということに由来する。
かわぐちかいじ
週刊モーニング紙上で連載中の作品『ジパング』の題字を書いている。また、同紙上で2008年4月10日発売号に掲載された読みきり作品『役者魂 美粧之介』でも題字を手がけている。
京福グループ
2008年4月、京福電気鉄道が嵐山本線・北野線のロゴマークとして、その路線通称を用いた吉川揮毫による「嵐電」を採用。
2008年10月より、京福バスの高速バスに吉川揮毫によるラッピングバス「SYOINGバス」を導入する。東京線(3台)の揮毫に「夢」、京都・大阪線(2台)に「愛 愛」(最初の愛は反転文字)、名古屋線(2台)に「光」で、全車とも車体後部に福井県の略地図の中に「福」の字を100個書き込んだ作品が入る。翌年には「SHOINGバス」第二弾として、京福バスの永平寺 – 東尋坊線一般バス、京福リムジンバスの福井 – 永平寺線特急バスに「道」が登場している。

石川 九楊(いしかわ きゅうよう、男性、1945年(昭和20年)1月13日 – )は日本の書家・書道史家。京都精華大学客員教授・同大学表現研究機構文字文明研究所所長。 福井県今立郡今立町(現・越前市)生まれ。京都大学法学部卒業。

略歴
福井県生まれ。5歳で木村蒼岳塾に学ぶ。8歳で杉本長雲に入門。中学で垣内楊石に師事。1字をもらい、九楊と号する。福井県立藤島高等学校では、選択科目で書道を第一志望とした。
1963年弁護士をめざして京都大学法学部に入学したが、弁護士は諦める。書道部に入部し、新入生歓迎書道展では自作が展示された。自作詩、戦後詩を書く。4年生で、書道研究誌『由蘖』を創刊。1967年卒業、京都市東山区の化学会社に広報宣伝係として入社。美耶子と結婚。1978年普通の勤め人の2倍働く覚悟だけで退社。
1979年、戦後5年で書道塾は成立していた、なんとか食べてゆけるくらいの需要はあろうという見込みだけで、京都市中京区に開塾。1985年、美耶子は東京神田神保町に画廊を設立、生活のささえとなる。 1991年『書の終焉』でサントリー学芸賞受賞。2002年『日本書史』で毎日出版文化賞受賞 。2009年『近代書史』で大佛次郎賞受賞。
石川九楊の書論
明治期に西洋文化が日本に流入する中で書道もその影響を受けて西洋の造形芸術論的な立場から理解されるようになった。石川はこのような西洋的な視点からの書論を批判し、筆蝕や書の言語表現としての側面を重視した独自の書論を展開している。
石川によれば、世界最高の書は、蘇軾の『黄州寒食詩巻』であり、「書の中の書」であるという。
『芸術新潮』2001年5月号「新省庁「看板」文字探報記」で、2001年の省庁再編により発足した霞ヶ関省庁の看板文字を論評(酷評)した。
著書・作品集
『氷焔 状況記号 石川九楊作品選集』原色社 1974年
『書の風景』筑摩書房 1983年
『書の交響』筑摩書房 1986年「現代作家100人の字」新潮文庫
『石川九楊作品集「しかし」』思文閣出版 1987
『近代書のあゆみ』同朋舎出版 1989年 日本書学大系 研究篇
『歎異抄-その二十の形象喩』京都書院 1989年
『書の終焉 近代書史論』同朋舎出版、1990年
『文字の現在 書の現在 その起源を読み解く』芸術新聞社、1990年 中公文庫BIBLIO、2006年 増補版
『筆蝕の構造 書くことの現象学』筑摩書房 1992年、ちくま学芸文庫、2003年
『書と文字は面白い』新潮社、1993年 のち文庫 1999年
『書とはどういう芸術か 筆蝕の美学』中公新書 1994年
『書字ノススメ』新潮社、1995年 のち文庫 2000年
『中国書史』京都大学学術出版会 1996年
『逆耳の言 日本とはどういう国か』ティビーエス・ブリタニカ 1998年
『二重言語国家・日本』日本放送出版協会・NHKブックス 1999年 のち中公文庫 2011年
『書に通ず』新潮選書 1999年
『誰も文字など書いてはいない 人は何を書いているのか歴史は何を書いてきたのか』二玄社 2001年
『日本書史』名古屋大学出版会、2001年
『一日一書』1-3 二玄社 2002-04年/『選りぬき一日一書』 新潮文庫 2010年
『「書く」ということ』文春新書 2002年
『「書」で解く日本文化』毎日新聞社 2004年 『書と日本人』新潮文庫
『日本語の手ざわり』新潮新書 2005年、ISBN 9784106035487
『書 筆蝕の宇宙を読み解く』中央公論新社 2005年、ISBN 4120036707
『縦に書け! 横書きが日本人を壊している』祥伝社 2005年 のち新書
『「二重言語国家・日本」の歴史』青灯社 2005年
『失われた書を求めて』岩波書店、2006年 ISBN 400-0280856
『日本語とはどういう言語か』中央公論新社 2006年 ISBN 4120036979
『石川九楊の書道入門 石川メソッドで30日基本完全マスター』芸術新聞社 2007年
『漢字がつくった東アジア』筑摩書房 2007年
『ひらがなの美学』新潮社 とんぼの本 2007年
『石川九楊源氏物語書巻五十五帖』求龍堂 2008年
『漢字の文明仮名の文化 文字からみた東アジア』農山漁村文化協会 2008年 図説・中国文化百華
『書く-言葉・文字・書』中公新書 2009年 ISBN 4121020200
『近代書史』名古屋大学出版会 2009年
『石川九楊の行書入門 石川メソッドで30日基本完全マスター』芸術新聞社 2010年
『石川九楊の臨書入門 石川メソッドで臨書の実際を学ぶ』芸術新聞社 2011年 書道入門シリーズ
『説き語り 日本書史』新潮選書 2011年 ISBN 9784106036941
『万葉仮名でよむ『万葉集』』岩波書店 2011年
『説き語り 中国書史』新潮選書 2012年 ISBN 9784106037085
『名僧の書―歴史をつくった50人』淡交社 2012年
『文字の日本 「無声の思考」の封印を解く』ちくま新書 2013年
『書のスタイル 文のスタイル』 筑摩選書、2013年、ISBN 9784480015877
『九楊先生の文字学入門』左右社、2014年
『〈花〉の構造:日本文化の基層』ミネルヴァ現代叢書・ミネルヴァ書房、2016年

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