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高知県 こうちけん
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大豊町 おおとよちょう
土佐郡 とさぐん
土佐町 とさちょう
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幡多郡 はたぐん
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≪取扱い商品≫
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下に書いてあるような人間国宝の作品や地元の焼き物などが家や蔵の中に眠っていて売却をお考えの方は是非ご連絡ください!!

浜田幸雄 はまだ-さぢお

1931- 昭和後期-平成時代の和紙職人。
昭和6年2月17日生まれ。父浜田秋吾に極めて薄く強靭な楮(こうぞ)和紙土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)の製作技法をまなび,昭和24年独立。52年伝統工芸士に指定され,のち土佐和紙工芸村で指導にあたる。平成13年土佐典具帖紙で人間国宝。高知県出身。

依光 隆(よりみつ たかし、1926年(大正15年)5月1日 – 2012年(平成24年)12月18日[1])は、挿絵画家、イラストレーター。高知県生まれ。大連美術学院油絵科卒業。終戦まで大連で育ち、帰国後、高村光太郎に師事。共同通信社社会部を経てフリーになる。SFから児童書まで幅広い分野の挿絵で活躍。ハヤカワ文庫SFの「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズは、ライフワーク的仕事。
「白旗の少女」の挿絵と装幀で1990年度児童福祉文化賞を受賞。日本出版美術家連盟理事、創作集団プロミネンス(前名:少年文芸作家クラブ)会長を務めていた。

略歴
1926年(大正15年) 高知県香美郡(現香美市)に生まれる。中学生の時に 中華民国大連に渡り、終戦までここで過ごす。
1971年(昭和46年)7月 宇宙英雄ローダン・シリーズの第1巻が刊行される。
2010年(平成22年)1月 ローダン・シリーズの担当を工藤稜に交代。依光が担当したのは第367巻まで。
2012年(平成24年)12月18日 急性肺炎のため86歳で死去。

合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年10月11日 – 2016年2月19日)は、日本の女性画家。

概要
1940年高知県高知市に生まれる。
1959年武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)に入学。
1963年同校卒業後、唐十郎主宰の劇団状況劇場・唐組、寺山修司主宰の天井桟敷の宣伝・舞台美術などに参加する。
1965年から各地で個展・オブジェ展を開催。
1982年第1回現代芸術祭「瀧口修造と戦後美術」に出品。
1989年東京都の渋谷パルコにて個展を開く。
1991年朝日新聞で中上健次の連載(小説「軽蔑」)に挿絵を手がける。
2001年高知県立美術館で森村泰昌と合田佐和子展を開催。
2003年松濤美術館にて個展、これまで多数の作品集・個展を開催している。
2016年2月19日心不全のため75歳で没した。

手島 右卿(てしま ゆうけい、1901年(明治34年)11月3日 – 1987年(昭和62年)3月27日)は、日本の書家、文化功労者。高知県出身。本名・南海巍(なみき)。昭和の三筆の一人。ニックネームは、「ライオンの右卿」。
妻は仮名書家の手島小華、長弟と次弟は、いずれも書家の高松慕真と南不乗。宗教家の岡田晃弥は子。元プロサッカー選手でガイナーレ鳥取GMの岡野雅行は孫。
1915年(大正4年)、川谷尚亭の門をたたき、師逝去の後は1935年(昭和10年)に上京、比田井天来の門下となる。その後、大日本書道院第1回展では天来の単独審査を手伝うなど、次第に頭角を現し、以後日展の参事や審査員、文部省指導書編集委員などを歴任。
常々、「書は人間の霊知の所産である」として、東洋的な精神性と現代感覚を融合した「象書」を創始。空海などの古法を基に確立された小字数書の能書家である。1958年(昭和33年)、ブリュッセル万国博覧会「近代美術の50年展」に日本代表として富岡鉄斎、梅原龍三郎、井上有一とともに指定出品された「抱牛」は、最高殊勲金星を受け、一躍世界の注目を集め、書道芸術の国際的評価を高めるきっかけとなる。1985年(昭和60年)、中国・北京革命歴史博物館にて「日本手島右卿書法展」を開催、観客11万人を動員。
専修大学教授、日本書道専門学校初代校長。高知県名誉文化賞・安芸市名誉市民・文化功労者。

略歴
1901年(明治34年)高知県安芸郡安芸町(現安芸市)に生まれる。本名、南海巍(なみき)
1915年(大正4年)川谷尚亭の門に入る。
1933年(昭和8年)南海書道会を興し、競書誌「南海書聖」を主宰する。
1935年(昭和10年)上京。比田井天来の門に入る。書道芸術社同人に推される。
1937年(昭和12年)第1回大日本書道院展で特別賞を受賞。同院参事、審査員、書学院教授に任じられる。
1939年(昭和14年)蒼龍社を結成する。「尚亭先生書話集」を編集発刊する。
1942年(昭和17年)興亜書道展審査のため南京へ出張。
1946年(昭和21年)終戦後直ちに書壇再建運動に奔走。(財)日本書道美術院結成に参画、理事企画部長となる。
1947年(昭和22年)書道芸術院結成。総務理事となる。
1948年(昭和23年)毎日新聞社主催第1回日本総合書芸展(現毎日書道展)が開かれ、運営委員、審査員となる。第4回日展に第五科「書」が新設され、委嘱出品。
1950年(昭和25年)日本書作院結成。副会長に推される。第6回日展審査員。
1951年(昭和26年)(社)日本書道連盟設立。理事となる。
1952年(昭和27年)独立書道会(現独立書人団)を結成。代表となる。
1955年(昭和30年)欧州巡回「墨の芸術展」と、翌年のアメリカ巡回展に出品。
1957年(昭和32年)朝日新聞社主催第1回「現代書道二十人展」に依嘱出品(以降連続出品)、サンパウロ・ビエンナーレ展に日本代表書家として、初めて参加出品。
1958年(昭和33年)ブリュッセル万国博覧会「近代美術の五十年展」に日本代表として特別指定出品。最高殊勲金星を受賞。
1959年(昭和34年)「右卿臨書集成」を発刊する。
1961年(昭和36年)訪中書道使節として、中国各地を歴訪。
1966年(昭和41年)専修大学に文学部が新設され、初代教授に就任。日本書道専門学校を創設して、初代校長となる。
1967年(昭和42年)東京三越本店で個展開催。同展に対し、翌年書道界初の「毎日芸術賞」が贈られる。
1969年(昭和44年)ベルギー国主催「右卿とその一門展」開催。外務省第1回訪欧文化使節団長として渡欧。高知県安芸市名誉市民に推挙される。
1970年(昭和45年)講談社刊「現代書事典」の「少字数・象書篇」を監修。日本万国博覧会(大阪)世界美術館に「飛」を指定出品する。
1971年(昭和46年)毎日新聞社主催による「書業五十年手島右卿自選展」を東京で、翌年大阪で開催。
1973年(昭和48年)東京で「手島右卿名筆展」を、続いて翌年愛知と高知で個展を開催。
1975年(昭和50年)パリで「右卿とその一門展」を開催。外務省第2回訪欧文化使節団長として渡欧。
1976年(昭和51年)東京で「右卿新作小品展」を開催。勲三等旭日中綬章を受ける。
1981年(昭和56年)静岡で「巨匠手島右卿書作展」を開催。
1982年(昭和57年)アメリカ、ミネソタ州セントポール、イリノイ州エバンストンで「手島右卿とその一門展」を開催。文化功労者顕彰を受ける。
1985年(昭和60年)中国、北京革命歴史博物館中央大正庁で日本人として初の「日本手島右卿書法展」を開催。11万人を動員。
1987年(昭和62年)鎌倉市で没する。(享年85)
人物
もともとは画家志望だった。
一度決めたら曲げない土佐いごっそうの気質だった。
シャツのボタンを自分で止められないなど一見不器用だが、筆を持つとその筆が魔物のように動きだす。普段は激昂しやすいが、生み出される作品は繊細かつ緻密であり、弟子たちや周りもそのギャップに魅了された。
無類の酒好きとして知られる。朝まで飲み歩くこともしばしばで、家計は常に火の車であった。
気性が大変荒く、相手が誰であろうと意に沿わぬことははっきりと主張した。豊道春海などとも議論を交わし、口喧嘩に発展することもあったという。春海も右卿の実力を認め、1971年(昭和46年)、豊道春海賞を贈った。右卿は最初は断ったが、春海の遺言であることを知り、これを受賞した。
「書は音楽でもある」と発言したことで有名。
空海に心酔し、空海の書法を好んで研究した。
筆の数は他の大家と比べると少なく、20本ほどの良質の筆を生涯大切に使用した。

黒瀬 陽平(くろせ ようへい、1983年5月10日 – は日本の美術家、美術批評家、アニメ評論家、美術予備校・新宿美術学院教師。『REVIEW HOUSE』編集委員。

略歴
高知県生まれ。2006年、京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科卒業。2008年、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了。同博士後期課程修了。
荻上チキとのインタビューによると、高知県の県展で高校1年生にて最年少入選し、3年生にて洋画、デザイン、立体の3部門を「制覇」した、という(それぞれの部門で入選しただけで、受賞などはしていない。)。
2008年3月に『レビューハウス』創刊号に寄稿。4月に『思想地図』vol.1の公募論文が東浩紀の目に留まり美術批評家デビュー。
2010年4月に「カオス*ラウンジ宣言」を行った。宣言では、現代アートのあり方について「アートに神秘性などない。人間の知性も感性も内面も、すべては工学的に記述可能である。」などと批評した。2009年3月初出展の「カオス*ラウンジ」の代表は、当初、藤城嘘が務めていたが、現在では、黒瀬が務めている。
2010年、『文學界』にて新人小説月評を担当。同年、「芸大不合格者展」構想を提案。東京藝術大学の試験で落ちた受験生のデッサンや絵画を展示し、そのクオリティがいかに高いかを主張するものであり、東浩紀や村上隆らと、現代アートにおけるクリエイターの育成に芸大美大がどう関わり、どんな問題を抱えているか論争した。

内原野焼(うちはらのやき)は高知県安芸市にて焼かれる陶器。江戸末期に領主、後藤氏によって興った。原料の粘土に鉄やマンガンを多く含むため、器肌が肌理細かい。また、黒や茶色の釉薬を用いるため、重厚な面持ちをしている。昭和に入ると、それまでの水瓶などの大物から徳利や花器など小物作りに転換、紆余曲折を経て現在に至っている。現在は4軒の窯元が存在する。

尾戸焼
能茶山焼

宝石珊瑚
フラフ・のぼり
土佐凧
土佐古代塗
土佐つむぎ
虎班竹細工
内原野焼
尾戸焼・能茶山焼
安芸國鬼瓦
土佐硯
まんじゅう笠

 

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