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≪取扱い商品≫
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北村 昭斎(きたむら しょうさい、1938年1月19日 – )は、漆芸家。元奈良文化女子短期大学客員教授。螺鈿の重要無形文化財保持者(人間国宝)。

略歴
1938年、漆芸家の北村大通の長男として奈良県に生まれる。東京藝術大学美術学部工芸科卒業後、早川電機工業(現在のシャープ)工業デザイン部門を経て、父のもとで漆芸の制作と文化財修理を行う。1999年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

富本 憲吉(とみもと けんきち、1886年(明治19年)6月5日 – 1963年(昭和38年)6月8日)は、日本の陶芸家。人間国宝、文化勲章受章者。映画監督・テレビ演出者の富本壮吉は長男にあたる。

経歴
奈良県生駒郡安堵村(現・安堵町)出身。大地主の家に生まれ、幼少より絵を学ぶ。東京美術学校に入学して建築、室内装飾を専攻。在学中にウィリアム・モリスの工芸思想に影響され1908年(明治41年)、卒業前にロンドンへ私費留学(留学中に卒業)。ヴィクトリア&アルバート美術館に日参し、アーツ・アンド・クラフツの作品にふれる。ロンドンで建築家・新家孝正と出会い、写真助手としてインドを巡る。実家から帰国命令が届いたため1910年(明治43年)帰国。清水組(現・清水建設)に入社するが、ほどなく退社。1912年(明治45年)『美術新報』に「ウイリアム・モリスの話」を発表。
その後来日していたバーナード・リーチと出会い、交友を深めてゆく。リーチは陶芸に熱中しており、陶芸家の六代目尾形乾山に学んでいた。富本も影響を受けて興味を持つようになり、1913年(大正2年)に故郷の裏庭に簡単な窯を作り楽焼作りを始める。1914年(大正3年)]]『青鞜』の同人で「新しい女」として評判だった尾竹紅吉(尾竹一枝)と結婚する。
1915年(大正4年)、故郷奈良に本格的な窯を築きいっそう創作に励む。独学で多くの技術を身に付けたという。陶磁器の研究のため信楽、瀬戸など各地の窯場や朝鮮半島にも足を運ぶ。また、奈良の陶芸家今西洋が波佐見・中尾山で収集した「くらわんか茶碗」の破片などを今西洋の仕事場で「肥前中尾山 茶碗集」としてスケッチし、雑誌『工藝』に寄稿する。李朝に影響された物や民芸調の作品を制作する中で、白磁の焼成に成功する。この奈良にいたのは主に大正年間だったため、この時期を富本の「大和時代」ともいう。
1926年(大正15年)、奈良から世田谷に住まいを移し窯を築く。以後を「東京時代」ともいう)。主に白磁、染付の作品を制作。この時点ではまだ世に知られる存在ではなかったが、1927年(昭和2年)の特別展で評判を得た。昭和10年代は本格的に色絵磁器の制作に励んでいる。このころは柳宗悦の民芸運動にも共感を寄せているが、のちに訣別する。
長く在野だったが、1935年(昭和10年)帝国芸術院の前身である帝国美術院会員。1944年(昭和19年)には東京美術学校教授になっている。戦時中は疎開のため生徒とともに一時高山に移っている。終戦後の1946年(昭和21年)には美術学校および芸術院会員を辞し、家族とも別れ京都へ移る。以後を「京都時代」ともいう)。色絵に加えて金銀を同時に焼き付けるという技法・金銀彩を完成させ、羊歯文様などによる独自の作陶様式を確立した。
1949年(昭和28年)京都市立美術大学教授。1955年(昭和30年)2月15日には重要無形文化財「色絵磁器」保持者として人間国宝に認定、前年の文化財保護法改正によって新設された重要無形文化財の保持者認定制度発足後に最初に認定された人間国宝の一人となった。晩年の1961年(昭和36年)には文化勲章を受章している。その2年後満77歳で死去した。
吉田文之 よしだ-ふみゆき

1915-2004 昭和-平成時代の象牙工芸家。
大正4年4月23日生まれ。父立斎(りっさい)に象牙の表面を染め,撥(は)ね彫りで文様をほる撥鏤(ばちる)の技法をまなぶ。昭和9年商工省工芸展で受賞し,戦後は日本伝統工芸展などで活躍。正倉院宝物(紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく))の復元につくし,染色でもぼかしなどの技法を開発した。60年撥鏤で人間国宝。平成16年12月19日死去。89歳。奈良県出身。

絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年1月24日 – )は、日本の洋画家。日本芸術院会員、独立美術協会会員、東京芸術大学名誉教授、大阪芸術大学教授、日本美術家連盟理事。
純然とした空の青を背景に、限定された形の中に明るく躍動的な色彩で描かれた人物などが特徴とされる。アフレスコという壁画技法の国内第一人者でもある。交友関係も幅広く、保守政治家との交友もある。

経歴
奈良県奈良市に生まれる。奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒(1966年小磯良平教室)。卒業制作で大橋賞受賞。
小学校一年生の頃から油絵を習い始める。芸大卒業後、1971年にイタリアへ留学、ヴェネツィアでアフレスコ古典画(フレスコ画のことで、本人は必ずアフレスコと〝ア〟をつける)の技法を研究する。1974年安井賞展安井賞受賞、若手洋画家として期待される。その後メキシコ留学などを経て、1993年東京芸術大学教授に就任、後進を育てる。また、NHKの日曜美術館によく出演する。アフレスコ絵画技法の地方公演なども行っている。2000年に芸術院会員となる。新作個展は様々な全国有名百貨店にて開催されている。
2008年に35歳以下の若手芸術家を顕彰する絹谷幸二賞を毎日新聞社主催にて創設。2010年に東京芸術大学名誉教授に就任。
人物
保守派の画家としても知られている。2015年7月15日に、東京・赤坂のそば店「三平」において、内閣総理大臣、安倍晋三、老川祥一読売新聞グループ本社取締役最高顧問と会食した。この会食は、翌日の各新聞社、通信社の首相動静欄において、広く報道された。なお、7月15日は衆議院特別委員会において、安全保障法制が強行採決された日である。

受賞歴 等
1966年(23):東京芸術大学美術学部油画科卒業制作展≪蒼の間隙≫で大橋賞を受賞。
1966年(23):独立美術協会第34回展で独立賞受賞。
1967年(24):独立美術協会第35回展で独立賞受賞。
1970年(28):新鋭選抜展に≪記憶の跡≫を選抜出品、優秀賞受賞。
1970年(28):ベヴィラックア・ラ・マーサ財団主催の展覧会でラ・マーサ賞受賞。
1974年(31):第17回安井賞展にて≪アンセルモ氏の肖像≫で安井賞受賞。
1977年(34):≪アンジェラと蒼い空II≫が昭和51年度文化庁買い上げ優秀美術作品に選ばれる。
1978年(35):イタリア・マニフェスト展にてマニフェスト賞受賞。
1983年(40):第2回美術文化振興協会賞を受賞。
1985年(42):第2回日本青年画家展に≪光ふる時≫を出品、優秀賞受賞。
1987年(44):第4回日本青年画家展に≪時の天使≫を出品、優秀賞受賞、東京芸術大学講師。
1987年(44):第19回日本芸術大賞受賞。
1988年(45):第5回日本青年画家展に≪涙するカトリーヌ≫を出品、優秀賞受賞。
1989年(46):第30回毎日芸術賞受賞、東京芸大助教授。
1993年(50):東京芸大美術学部教授。
2001年(58):≪蒼穹夢譚≫ にて第57回日本芸術院賞受賞、芸術院会員となる。
2009年(66):絹谷幸二賞が毎日新聞主催で創設される。
2010年(67):東京芸術大学名誉教授を授与。大阪芸術大学教授に就任。
2014年(71):文化功労者

山本 集(やまもと あつむ、1940年7月15日- 2011年12月16日)は、奈良県五條市出身の画家。板前→高校野球の監督→ヤクザという異色の経歴を持つ。

来歴・人物
浪華商業高校では野球部に在籍。チームメイトに張本勲がいた。
卒業後はいくつもの職を経て板前に転身。僅か1週間の修行期間ながら店長を任された。1965年、智辯学園高校の野球部の初代監督に就任。しごきで選手を鍛えわずか1年で強豪チームを作り上げるが、行き過ぎた暴力指導が問題になり1年半で監督の職を追われる。山本が退任した年の2年後に、智辯学園は甲子園に初出場する。
1967年、関西のヤクザ組織諏訪一家系淡路会に入り頭角を表し、1970年30歳の時に山本組を旗揚げ、組長を襲名。のちに諏訪一家の若頭補佐に昇格、 関西の武闘派として名を馳せた。しかし、企業化してゆくヤクザの組織に身の置き所を失い、50歳直前にして、浪商野球部で同期である実業家の谷本勲から諭され、1989年に山本組を解散しヤクザの世界から足を洗い、大好きだった富士山等を題材とした絵を多く描く。
代表作『雄渾』は関西国際空港の正面玄関に展示されている。
2003年から映画の賞『DVシネマ大賞』(DVはデジタルビデオの略)をプロデュースしている。同年の第1回DVシネマ大賞を田代まさし監督、大学中庸脚本の『実録やくざ抗争史 LB熊本刑務所 vol.4 刑務所前バス停』が受賞した。
2007年、毎日新聞の元記者が国民新党の糸川正晃衆議院議員とのやりとりを糸川に無断でICレコーダーで録音し、第三者に受け渡していた問題で、その録音テープを渡した人物として毎日新聞に実名で報道された。
2011年12月16日、膀胱癌により死去。71歳歿。

井上 武吉(いのうえ ぶきち、1930年12月8日 – 1997年)は、奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)出身の彫刻家。

経歴
1930年、奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)に生まれ、1951年に武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)彫刻科に入学、同年には第15回自由美術家協会展で初入選した。1953年にも第17回自由美術家協会展で入選し、1955年に武蔵野美術学校彫刻科を卒業した。
1962年 – 第5回現代日本美術展で優秀賞を受賞、更に7、8、9回でも優秀賞。翌年には第7回日本国際美術展で優秀賞受賞、次回展でも同賞を受賞する。
1965年 – 現代日本彫刻展に第1回から参加。
1967年 – 靖国神社無名戦士のための記念碑「慰霊の泉」を制作。
1968年 – 第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で大原美術館賞を受賞。同展第2、第3回展でも神戸市教育委員会賞を受賞。
1969年 – 箱根 彫刻の森美術館の設計を担当する。
1975年 – 池田20世紀美術館の設計を担当する。
1977年 – 海外のベルリン美術アカデミーなどで個展を開催。
1978年 – 国立ベルリン美術学校客員教授就任。
1979年 – 第1回ヘンリー・ムーア大賞展・優秀賞受賞。
1981年 – ドイツのノイエギャラリーにて個展、その後デンマークで巡回個展。
1986年 – 紫綬褒章 受勲。

平和モニュメント
1991年 – 伊丹市地下空間「my sky hole 91-4 ITAMI」と平和モニュメント(荒牧バラ公園)設置、 第22回中原悌二郎賞受賞。
1992年 – 第17回吉田五十八賞を受賞した。
1995年 – 第45回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
1997年 – 逝去。享年67
1997年9月26日、急性心筋梗塞によって横浜市内の病院で死去した。67歳だった。

東樋口徹(とうひぐち とおる、1975年 – )は日本の画家。奈良県生駒郡平群町出身、京都府京都市育ち、東京都在住。

概要
両親の故郷である奈良県で生まれ、京都市で育つ。父は京都大学工学部の助手(当時)、母は元高校教師であり画家である。いわゆる芸術一家であり、幼い頃から美術に興味を持つ。2000年に東京藝術大学に入学し、絵画を学ぶ。2004年に大学卒業後、同大学大学院修士課程に進み、版画を学ぶ。博士課程にも進んだが中退し、画家として活動している。 現在、東京藝術大学の講師として活躍する傍ら、日本国内外で展覧会を開くなど、活動の範囲は広い。
なお、東樋口の実家は現在でも烏丸に在る。東樋口が生まれた当時、助手だった父親は数年後準教授になり、2001年までは京大の教員として建築を教えていた。現在は鳥取県鳥取市の大学教授であり、京都を拠点にして田中勝や三野徹らと共に環境学者としても活躍している。また、一卵性双生児であり、兄は九州大学工学部に進学した。大学院修士課程時代には久永真悟と共に福岡市で学術発表を行った。

脇田 宗孝(わきた むねたか、1942年 – )は、日本の陶芸家。奈良教育大学名誉教授。放送大学客員教授。
奈良県立畝傍高等学校を経て、奈良学芸大学(現・奈良教育大学)を1965年に卒業し、父祖の地・明日香で開窯、創作活動に入る。教育者、古代陶器研究家、陶芸作家の顔を併せ持つ。飛鳥・奈良時代の土器・須恵器・三彩など古代の陶芸技法の研究・復元における第一人者。ライフワークとして「陶芸における古代の造形美を探求し、その美と情感を多元的に具現すること」と、「陶芸の各種技法を習得し、土から生まれる創造的表現の喜びを体感させることにより、文化財の意味と価値を会得すること」を掲げている。

略歴
1965.4~’70.3 伊奈製陶株式会社(現イナックス)タイル・デザイナーとして就職
1970.4~現在 奈良県明日香村にて陶房設立・開窯し、陶芸作家として活動
1972.4~’75.11 奈良芸術短期大学助教授
1975.12~’82.3 奈良教育大学教育学部助手
1982.4~’90.3 奈良教育大学教育学部助教授(構成・工芸) 大学院教育学研究科担当(工芸)
1989.7~’90.4 文部省(現:文部科学省)長期在外研究員 ドイツ・ヘッセン州立教員教育中央研究所にて陶芸研究・指導
1990.4~’08.3奈良教育大学教育学部教授(工芸・文化財教育) 大学院教育学研究科担当(工芸技法研究・工芸演習)
1996.4~’03.3 桜井女子短期大学(現畿央大学)非常勤講師
2002.4~’03.3 京都市立芸術大学非常勤講師
2006.4~現在 放送大学客員教授

今井 凌雪(いまい りょうせつ、本名:今井 潤一(いまい じゅんいち)、1922年12月9日 – 2011年7月26日)は、日本の書家。筑波大学名誉教授。書法研究雪心会会長。「読売書法会」常任総務。社団法人「日展」参事。社団法人「日本書芸院」名誉顧問。「國際書道連盟」顧問。

経歴
奈良県奈良市生まれ。郡山中学(現奈良県立郡山高等学校)、天理語学専門学校(現天理大学外国語学部)卒業後、駸々堂入社。1949年立命館大学法文学部経済学科卒業。中谷釜雙、辻本史邑に師事。
東京教育大学、筑波大学、大東文化大学で教授、大東文化大学書道文化センター所長を歴任、1988年、大東文化大学書道研究所初代所長(1991年まで)に就任した。中国では西冷印社名誉社員、浙江中国美術学院客員教授、上海復旦大学兼職教授を歴任し高い評価を得る。
テレビにおいては、NHK教育テレビ「婦人百科」「NHK趣味講座 書道に親しむ」(1983年4月 – 9月)「NHK趣味講座 書道に親しむ-行書 草書-」(1985年10月 – 1986年3月)の講師を務める。朝日新聞社主催「現代書道二十人展」のメンバーでもあった。
黒沢明監督作品「乱」(1985年)「夢」(1990年)「まあだだよ」(1993年)の題字を担当したことでも知られ、2002年には映画「阿弥陀堂だより」の題字も担当した。岩波書店の新日本古典文学大系の題字も担当した。
2011年7月26日、すい臓がんのため奈良市の病院で死去。88歳没。

杉岡 華邨(すぎおか かそん(本名:杉岡 正美(まさみ))、1913年3月6日 – 2012年3月3日)は、書家、文化勲章受章者。

経歴
奈良県吉野郡下北山村生まれ。奈良師範学校を卒業後、辻本史邑、尾上柴舟、日比野五鳳に師事。奈良県立高等女学校教諭ののち大阪教育大学で書を教える傍ら京都大学で文学、美学を聴講、久松真一から禅美術の思想的背景を学ぶ。日展、朝日現代書道二十人展、毎日書道展、読売書法展に作品を発表、かな書の第一人者となる。奈良県文化賞、日展文部大臣賞、日本芸術院賞受賞(1983年)、1989年日本芸術院会員、95年文化功労者、2000年文化勲章受章。杉岡華邨書道美術財団がある。
2012年3月3日午前1時16分、心不全のため奈良市内の病院で死去した。98歳没。没日付をもって日本政府から従三位に叙された。

山村 龍和(やまむら りょうわ、1984年(昭和59年)8月19日- )別名 宇陀炎人は、日本の書家・書道家。
奈良県出身。その他の号は宇陀炎人(うだえんじん・うだのかぎろひびと)。
7歳から書を始める。
2008年、書家として独立。2010年5月、ニューヨークに訪れる。
滞在期間中、ヘイデン・パネッティーア、山本紅浦などとも交流。
書芸術・書アートを世界に向けて積極的に発信している。
2011年9月22日~27日、書をはじめて20年となる個展「龍和展」を開催。
会期中、将棋棋士羽生善治と対談。2011年12月11日、朝日放送の「新婚さんいらっしゃい!」に出演した。同日の出演はハイキングウォーキングの鈴木Q太郎夫妻。 2012年2月8日、TBSの「ひるおび!」に出演。

略歴
1984年 – 奈良県生駒市で生まれる。
1991年 – 書を始める。数々の賞を受賞。
2000年 – 奈良県立桜井高等学校普通科書芸コース入学。書を専門的に学び、数々の賞を受賞。
2003年 – 三重大学教育学部人間発達科学課程入学。
2008年 – 書家として独立。活動を開始。
2010年 – ニューヨークに訪れ、さまざまなアーティストと交流。
2011年 – 龍和展開催。会期中、羽生善治と対談

赤膚焼(あかはだやき)は奈良県奈良市、大和郡山市に窯場が点在する陶器である。

概要
草創は判然としないが、桃山時代に大和郡山城主であった豊臣秀長が、五条村赤膚山に開窯したと伝えられる。
江戸時代後期には藩主、柳沢保光の保護を受け、幕末には名工、奥田木白が仁清写しなどの技術を披露し、世に広めた。小堀政一(遠州)が好んだ遠州七窯の一つにも数えられている。
文政年間には五条山に三窯あり「東の窯」「中の窯」「西の窯」と呼ばれていた。1884年(明治17年)に出版された『大和国名流誌』には、赤膚焼の陶工として山口甚次郎、古瀬治平、井上忠次郎の3人の名前が記されている。「西の窯」は明治12年に三代惣兵衛が没し、後を継いだ忠次郎のころ明治14年の末に他家へ同居した記録が残っているがしばらくして廃窯されたようである。「東の窯」は明治23年石川寅吉が継ぐ記録が残っているが、寅吉没後「東の窯」は廃窯されたようである。第一次世界大戦後の不況の余波を受け昭和初期には古瀬家の「中の窯」を残すのみとなった。昭和16年7月、銀座松屋にて「赤膚山元窯作品展示会」が開かれているが、当時の説明でも『「中の窯」只一つしか残存して居ない。』と書かれている。 現在、残された「中の窯」の大型登り窯は、登録有形文化財として古瀬堯三(ふるせぎょうぞう)窯で見学することができる。
赤膚焼と称されるものは数多くあるが、「東の窯」「西の窯」は現存していない。そのように称しているものは、ほぼ現代陶芸作家による詐称であるので購入する際には注意したい。
赤膚焼は名の如く、器肌に赤みを帯びている。名の由来はその器肌という説と地元の地名から来たという二説がある。その赤みを帯びた器に乳白色の萩釉を掛け、奈良絵と呼ばれる絵付けを施した物がよく知られる。奈良絵とは御伽草子などを題材とした庶民的な絵柄で、微妙な稚拙な構図が器肌の素朴さを巧く引き出している。 赤膚焼には裏に「赤膚山」という刻印がつけられている。江戸時代から続く窯元である古瀬堯三窯のものには「赤膚山」の刻印のみ見られる。その他の窯のものには「赤膚山」または「赤ハタ」の刻印以外に作家印や窯印がつけられている。
現在、奈良県の伝統工芸として六つの窯がある。
大塩昭山(奈良市)
大塩玉泉(奈良市)
大塩正人(奈良市)
古瀬堯三(奈良市)
小川二楽(大和郡山市)
尾西楽斎(大和郡山市)
大塩姓が三軒あるが、それらはすべて親戚関係にある。昭和になって開かれた窯であることが名前の由来となった大塩昭山、その後独立した大塩玉泉、大塩正人が続く。

茶筅(ちゃせん)または茶筌とは、茶道において抹茶を点てるのに使用する茶道具のひとつで、湯を加えた抹茶を茶碗の中でかき回して均一に分散させるための道具。抹茶といえばこんもりと泡を立てた姿が有名であるために、泡だて器の一種と考えられることも多いが、泡を立てるための道具ではない。竹製のものがほとんどで、現代ではアウトドア用の金属製・プラスチック製のものもある。

茶筅(ちゃせん)または茶筌とは、茶道において抹茶を点てるのに使用する茶道具のひとつで、湯を加えた抹茶を茶碗の中でかき回して均一に分散させるための道具。抹茶といえばこんもりと泡を立てた姿が有名であるために、泡だて器の一種と考えられることも多いが、泡を立てるための道具ではない。竹製のものがほとんどで、現代ではアウトドア用の金属製・プラスチック製のものもある。

概要
軸(柄)の部分(筆管)を手に持ち、毛の部分(穂)に墨や顔料をつけ、紙などの書く対象にその毛をなすり付けることによって、字を書いたり絵を描いたりすることができる。
穂の長さにより長鋒・中鋒・短鋒に分けられる。材料の毛には通常、獣毛が利用される(まれに化学繊維が使われることもある)。剛毛には馬・鼬・狸などの毛が用いられ、柔毛には羊・猫・栗鼠などの毛が利用される。また「特殊筆」として、鶏・孔雀・マングース・鼯鼠の毛を用いたものや、獣毛以外にも藁や竹を使用したものも生産されている。最近は、胎毛筆と言って赤ちゃんの成長を願って、赤ちゃんの髪の毛でも記念に筆を作ることもある。剛毛と柔毛の数種類の毛をまぜて、筆に弾力をもたせて適度に書きやすくしたものを兼毫(けんごう、兼毛とも)と言う。
日本に現存する最古の筆は「天平筆(雀頭筆)」であるとされており、正倉院に残されている。
書の筆
通常、大筆(太筆)は穂を全ておろす(ノリを落とす)が(根元に短い毛を意図的に残し、筆の弾力を高めているものに関しては根元を固めたままにすることが多い)、小筆(細筆)は穂先だけをおろすのが良い。ただし、仮名用の筆に於いて、やや大きめの面相筆は根本までおろすことが多い。[要出典]
小筆の穂先は特に繊細なため、陸(墨を磨る部分)で穂先をまとめるために強くこすりつけることは極力避ける。墨などで固まった穂先を陸にこすりつけて、柔らかくしようとすることは絶対にしてはならない。硯は固形墨を磨(す)るためのヤスリであり、墨液が潤滑の働きをするとは言え、そのヤスリにこすりつけることは穂先を硯で磨ることと同じであり、穂先をひどく傷めてしまうからである。大筆も硯の陸の部分で毛をこすりつけないこと。大作を作る時などは、墨磨り機などで磨った墨をプラスチックや陶器の容器に移し替えて使うことが多い。
仕組み
毛は顕微鏡で見るとウロコ状の表皮に包まれた物体であることがわかる。ウロコ状の部分をcuticle(キューティクル:表皮構成物質)と呼ぶ。人毛の場合、このキューティクルの隙間は0.1ミクロンであり、水などがこの隙間から進入すると毛全体が膨らみ反る。そのため、作られてすぐの筆は膨らんだり毛が反るので、毛や筆の性能を活かしきることができない。ススは、元素的にはカーボン(炭素)である。このスス成分が筆のキューティクルの隙間に沈着すると、水分が入れない状態になり、膨らんだり反ったりしなくなる。また筆のコシが出て、墨の含みも良くなり、最も良い状態で筆の性能を活かすことができる。羊毛の筆は最初、透通るような白い色をしているが、使い込むに従って銀色に、さらに長年を経ると黄金色に輝き、使用者自身の書きぶりが毛の癖となって表れ、その人の体の一部の如く使いこなしやすくなる。しかしその状態になるには、墨液よりも、摩った固形墨の方が良いと言える。
製造の途中で不揃いな毛などをすいており、書字中に抜けてくるのは抜き出し損ねた残りであって少量であれば問題ない。切れや抜けが多いと毛が減り、筆が割れを起こしたり、毛先が効かなくなって使えなくなる。
毛とニカワの関係について
前項のように、筆は使うほどに本来の筆の持つ能力が引き出されてくるが、それには墨の選び方や洗い方も大事になってくる。
墨の成分は、主にススと膠(ニカワ:コラーゲン・ゼラチン成分)から作られている。品質の劣悪なものは、ニカワに安価な海外の魚のコラーゲンを使うなどするため、ニカワの成分が毛に対してストレスを与え、キューティクルを傷める。人によってはリンスやコンディショナーなどを塗布してキューティクルを守ろうとすることがあるが、前述の通り筆の毛はキューティクルの隙間にススを入れることが大事であって、リンスやコンディショナーなどは隙間に入り込んでススを入れなくしてしまうので、筆の毛にコシを与えず逆に寿命を縮めることになる。
洗うことについて
穂先に墨が残らないようによく水洗いする。ただし、作られてすぐの筆を水に長時間浸しておくと、毛に水が入り込み膨らんでキューティクルの隙間が大きく開き、毛が切れやすくなる。同じ理由で、筆の穂先を固めるためのノリ成分を、水に長時間さらして落とすのは適当でない。
小筆を洗う場合は、筆の穂先を擦り切らせないよう気をつける。
筆の根元については、よくすすぎ、根元にニカワ分が残らないようにする。ニカワ分が溜まると、膨張するなどして筆管が割れるので注意が必要である。ニカワは、ぬるめの湯に一番溶けやすいので、湯で洗うのが毛に最も良い。
毛の根元の墨を口で吸ったりして吸い出すことがよく行われているが、品質の良い固形墨・墨液では構わないが、品質について信用できない墨汁などを口に入れることは体に悪い可能性があるので注意する。前述のように海外の魚や動物の骨や皮から抽出したコラーゲンを使ったり、化学的に合成した接着剤成分などをニカワの代わりに用い、腐らせないように防腐剤が入り、工業製の香料を使っている可能性が高いため、口に入れることは不衛生であり健康被害・アレルギーなどに注意する。また磨った墨などを作り置きして使う場合は防腐剤が入っていないため大変腐りやすいので口に入れないこと。
スス成分が溜まると筆は逆に長持ちするので、ニカワの成分だけをよく落とすのが大事である。 黒い墨の色が薄く沈着するのは筆の性能が引き出されていることを示していると言って良いので、洗いすぎて筆を傷めないよう注意する必要がある。
産地

巨大熊野筆
筆の産地としては、京都市、東京都、奈良県(奈良筆)、広島県の熊野町(熊野筆)、呉市(川尻筆)、奈良県(奈良筆)、愛知県の豊橋市(豊橋筆)、宮城県の仙台市(仙台御筆)、などが有名。いずれも職人仕事なので、特定の町内に職人の職住一致の仕事場が点在している。
特に伝統工芸品として経済産業省に認定されているのは、
豊橋筆 愛知県豊橋市
奈良筆 奈良県奈良市、大和郡山市
熊野筆 広島県熊野町
川尻筆 広島県呉市川尻町(旧豊田郡川尻町)
である。
中国においては、浙江省呉興県善璉鎮の「湖筆」が最も名高い。

指物(さしもの)
板を差し合わせて作くられた家具や器具の総称、またはその技法。本項で詳述。
髪にさす装身具(髪飾り)の総称。簪(かんざし)・櫛(くし)を参照。
戦国時代以降の武士が、自身の存在・所属・職階などを示すために指している旗や飾り。腰に差すものを「腰指(こしざし)」と呼ぶが、一般的には、戦国時代後半に定着した背中に指すものを言う。旗指物(はたさしもの)。

概要
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指物(さしもの、 英語: woodworking joints)とは、釘などの接合道具を使わずに、木と木を組み合わせて作られた家具・建具・調度品などの総称であり、また、その技法をも指す。
日本語による狭義では、日本の伝統工芸品の指物およびその技法のみを指す。
日本の指物
日本でいう「指物」の名の由来については諸説あるが、ホゾや継ぎ手によって材を組むことを「指す」といい、また「物指し」を用いて細工するからともいわれる。指物の技術者を日本では指物師と呼ぶ。
日本において伝統的な指物にはいくつかの流派とも呼べるものが存在するが、特に京都の京指物、東京(旧・江戸)の江戸指物、大阪の大阪唐木指物が有名である。
京指物
平安時代の貴族文化に起源を持つ京指物は、室町時代以降、これを専門とする職人(指物師)が現れ、その後の茶道文化の確立とともに発展した。
朝廷や公家が主に用いていたことから優雅かつ精緻な細工を特徴とする。無垢板(むくいた)を用いた箪笥・飾り棚・机などといった高級和家具のほか、桐・杉・欅・桑などといった木の素材を生かした箱物・板物・挽物(ひきもの)・曲物(まげもの)など茶道具を作成する。 1976年(昭和51年)6月2日、京指物は木工品として経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受けた。現代の主要製造地域は京都市のみである。
江戸指物
江戸時代、徳川幕府は多くの職人を全国から呼び寄せ、江戸の神田・日本橋界隈に大工町・鍛冶町・紺屋町などといった職人町を造って手工業を発達させた。江戸時代の中頃には消費生活の発達につれて大工職の仕事は楢物師(ひものし)・戸障子師・宮殿師などに細分化されてゆき、その一つとして指物師も生まれた。
江戸で発展した江戸指物は、武家や町人・商人に用いられることが多かった。その風土ゆえに華美な細工は好まれず、淡泊な木目に渋味をもつ漆塗りを施して素材の木目の美しさを活かしたものが好まれてきた。 1997年(平成9年)5月14日、江戸指物は木工品として経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受けた。現代の主要製造地域としては、東京都の台東区・荒川区・足立区・葛飾区・江東区がある。
大阪唐木指物
奈良時代に遣唐使を通じて日本に伝えられた唐木製品を起源とする。中国より伝えられた珍しい木が使われていたため、「唐の木」を用いた品であるとして「唐木(からき)」と呼び、それが「唐木指物」の名の元となったと考えられている。 安土桃山時代の茶道や書院造りの発展と普及とともに産地形成されてゆく。江戸時代に入ると唐木材は全て長崎に運び込まれ、大坂(大阪)の薬種問屋がこれを引き受けた。
大阪唐木製品は、伝統的技法を用いつつ現在の生活様式に合うよう工夫・改良されている。拭き漆を重ねることによって仕上げられる鏡のような光沢を持った表情と、唐木の重厚な存在感が特徴である。 1977年(昭和52年)10月14日、大阪唐木指物は木工品として経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受けた。現代の主要製造地域としては、大阪府のほか、兵庫県姫路市等、奈良県奈良市等、和歌山県有田市、および、福井県越前市の旧武生市域がある。

神具(しんぐ)とは、神道の祭祀に用いられる道具、または器具をいう。

素材
神具として作られる素材としては、木製のものは白木(しらき)で作られることが多く、そのほか金属製(真鍮)、白い陶器も使われることが多い。
主な神具
神棚

注連縄の飾られた神棚
神棚とは、主に壁の上方に天井から吊るしたり、鴨居を利用したりして作られ、東向きまたは南向きに作られることが多い。なお、神棚が作れない場合は、箪笥などの上を利用して作られることもある。
宮形(みやがた)
神社の社殿建築(本殿)を模して作られたもので、通常は白木で造られる。一社造り、三社造り、七社造りなどがあるほか、神明造りや箱に入ったような箱宮などもある。通常の家庭では、一社造りまたは三社造りの宮形が使用されることが多い。神札(大麻)の祀り方としては、一社造りでは伊勢神宮(天照皇大神宮)の神札(大麻という)を一番前にして氏神神社の神札、日常信仰する神社の神札の順で祀る。三社造りでは中央に伊勢神宮の神札(大麻)を祀り、向かって右に氏神神社の神札、左に日常信仰する神社の神札を祀る。
詳細は「神棚」を参照

注連縄

木に取り付けられた注連縄
注連縄(しめなわ)とは、稲藁で作られた縄に四本の紙垂(しで)を垂らしたもので、聖域を分かつために用いられる。
詳細は「注連縄」を参照

神鏡

太宰府天満宮の神鏡
神鏡(しんきょう)とは、神社や神棚などに納められる、円形の薄い鏡である。通常鏡を支える台とともに用いられる。
詳細は「神鏡」を参照

三方

三方に載せられた神饌
三方(さんぼう、さんぽう)とは、神饌や神酒・水を供えるために用いられる白木造りの台である。
詳細は「三方」を参照

土器

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土器(かわらけ)とは、神に供える水や塩・神酒を入れるための器で、素焼きの土器(どき)である。
灯明
三本の棒を組み合わせ、脚をつけた灯明皿または燭台が用いられる。
詳細は「灯明」を参照

榊立て
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榊立て(さかきたて)とは、榊を供えるための陶器製の花立である。白木または陶器製の井桁と組み合わせて用いられることが多い。
御幣

三方とその後方にある御幣
御幣(ごへい)とは、紙や布などを用いた依代である。古くは紙や布は貴重であり、感謝のために木に挟み奉げた儀式が転じ、依代と認識されるようになったと考えられている。
詳細は「御幣」を参照

大麻

春日大社の本殿前に置いてある大麻
大幣(おおぬさ)とは、身を清める修祓(しゅうばつ)のために用いる道具である。
詳細は「大麻 (神道)」を参照

祖霊舎
(御霊屋・神徒檀) 神棚が神を祭るものに対し、各家庭の先祖代々の霊を祀るためのものである。
詳細は「祖霊舎」を参照

霊璽

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霊璽(れいじ)とは御霊代(みたましろ)とも呼ばれ、仏教における位牌に相当する、故人の霊の依り代となるものである。通常白木で造られる。位牌と同じく故人一人ひとりに作られるものと、繰り出し位牌のように数人の故人をまてめた霊璽もある。なお、霊璽には位牌と異なり霊璽を覆うカバーのようなものがある。

玉串の載せられた案
案(あん)とは、神社の社殿または主に神道における行事(結婚式や地鎮祭・葬儀などの神事)で使用されるもので、主に白木で作られた机または台である。通常片方に四本ずつ脚をもち、左右で八本の足があることから八足案とも呼ばれる。玉串や神饌などを置く台として使用され、用途によって玉串案・神饌案などと称されることもある。 春日大社などの社では黒木から作られた案が春日祭などで用いられている。
高坏

左後方に一対の高坏がみえる
高坏(たかつき)とは、神饌などを奉げる際に御物を載せる台である。
折敷

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折敷(おしき)とは、神饌を奉げる際に土器などを載せる台である。
唐櫃

辛櫃を用いて運搬する様子
唐櫃(からひつ)とは、折敷などを運搬する祭に用いる脚のついた箱である。
人形・形代
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人形(ひとがた)・形代(かたしろ)とは、呪いや厄災を人に代わって引き受けると考えられている、神事に用いられる紙で作られた道具である。
詳細は「人形」を参照

神楽鈴

鈴を用いた神楽の様子
神楽鈴(かぐらすず)・鈴とは、神迎えを行う際に用いる道具である。
詳細は「鈴」を参照

鳥居

秩父市三峯神社の三ツ鳥居
鳥居(とりい)とは、天門とも神門とも呼ばれ、神域を表す門のようなものである。
詳細は「鳥居」を参照

神輿

日吉大社の神輿
神輿(しんよ)とは、神輿渡御を行う際の神霊の一時的依代となるものである。神輿(みこし)とも言われる。
詳細は「神輿」を参照

祝詞幣
祝詞幣(のりとへい)は、出雲大社などの神事用いる神道用具。祝詞奏上後に「左右左」と振り、祈念する。
用い方の例(出雲大社での大祀)-斎主、祝詞を奏上し、祝詞幣を執って深揖、「左右左」と静かに振る事を三度繰り返し各祈念、深揖、祝詞幣を納め玉串を捧げ神語、拝礼(八開手)を行う。次に斎主、祝詞幣を持って「きよめ」を行う。

神棚(かみだな)は家や事務所などにおいて主に神道の神をまつるための棚である。なお、神仏習合となっている神棚もある。

構造
種類
箱組神棚
桧皮葺神棚
茅葺神棚
板葺神棚
一社造りと三社造り
神棚は一般には扉が一枚の“一社造り”と三枚の“三社造り”とが普及している。
一社造り
一番手前に“伊勢神宮”のお札(天照大神)を祀り、その後ろに“氏神様”(厳密に言えば在住所を管轄する鎮守神を差す)と“その他の神様(崇敬神社)”のお札を納める。
三社造り
中央(最上位)に“伊勢神宮”、向かって右に“氏神様”、左に“その他の神様”をお祀りする形式。つまり、一社造りで後ろにあった氏神様とその他の神様が左右に来た造り。
主に、お札の枚数が一枚の時には一社造りで、2~3枚の時には三社造りと言う風に使い分けられる。
設置場所[編集]
神棚は、できるだけ明るく清浄な場所の、最上階(または上に上階の床のない箇所)の天井近くに南向きまたは東向きに設置するのが良いとされる。最上階への設置が困難な場合があるため「雲板」や「雲文字」が用いられる。「雲板」は神棚を設置する神棚板の上部に取り付けられている雲形に彫刻されている部材である。また、「雲文字」は「雲」、「天」、「空」の木製の抜き文字あるいは紙製の書き文字を天井部分に取り付けるものである (注:下記も参照のこと)。設置場所がなくやむを得ずタンスの上にまつる場合は白い布か白い紙を敷いて神札を置くのが望ましいが、トイレと背中合わせになる場所や、人の出入りが激しい扉の上などは避けなければいけないと言われている。それ以外にも同じ部屋で神棚と仏壇の向かい合わせの設置は好ましくないとされている。
神具

神具としてだるまが飾られることも多い.
神棚の正面には神鏡、左右に榊を立てた榊立て、灯明を配し、神棚の前方に注連縄をかける[5]。このほか真榊(まさかき、ミニチュア)、雄蝶・雌蝶といった御酒口(ミキグチ)をあつらえた飾り徳利(多くは九谷焼風)、御幣(金幣)などが神具セットに含まれている場合があり、ほかにも各家庭でさまざまな縁起物(破魔矢、熊手など)が飾られている例が珍しくない。
なお、神鏡を置く理由は諸説あり、神は鏡のようにあるがままを見通すものであるとか、あるいは鏡のように見る人によって違って見えるものであるから、そのつもりで神の前に立てという意味であるという説や、自らの中にある神性と向き合えという意味であるとする説、あるいは鏡は太陽の光を反射するように、神の光を映すものであるとする説、などがある。
神饌(お供え)
神饌(お供え)としては、洗米(またはご飯)、塩、水、酒が基本であるがそのほか、青果物、生魚、干物、菓子類などが供えられる。米、塩、水は毎朝、酒及び榊は月に2度(通常は1日と15日、ほかに祀っている神札の祭神にゆかりの日)新しいものと取り換えるのがよいとされている。ほかに、合格通知や祝物の熨斗紙などが捧げられる場合もある。
神饌の置き方は、米・塩・水の場合、向かって左から水・米・塩、向かって左から水・塩、2列目に米とする。米・塩・水・酒の場合、向かって左から水・酒・米・塩、もしくは向かって左から水・塩、2列目に酒・米、向かって左から水・塩、2列目に酒・酒、3列目に米とする。
また、本来神道に魚や鳥以外に四足の獣を備えてはいけないという決まりは無い。その証拠に君津市の諏訪神社では「猪鹿切り祭」で獣肉を備える神事がある。
神へ供えた食べ物は後で「お下がり」としていただくようにする。
拝礼
神饌を供えたら家族そろって日ごろの神の加護を感謝し、これからの安全と幸福を祈るのが望ましいが、これができない場合は各自外出前に祈ってもよい。神社本庁が推奨する神棚への拝礼方法は神社と同様「二礼二拍手一礼」であるが、「二礼四拍手一礼」などさまざまな流儀がある。また、「神棚拝詞」という祝詞を唱えるのも良いとされている。神職でなくとも良い(神職を呼ぶ際は宅神祭と呼ばれる)。

三方(さんぼう、さんぽう)とは、神道の神事において使われる、神饌を載せるための台である。古代には、高貴な人物に物を献上する際にも使用された。寺院でも同様のものが使われる。三宝(仏・法・僧)にかけて三宝(さんぽう)と書かれることもある。

構造
通常は檜などの素木(しらき)による木製で、折敷(おしき)と呼ばれる盆の下に直方体状の台(胴)がついた形をしている。台の三方向に穴があいていることから、「三方」と呼ばれる。
元々は折敷と台は分離していて使用するときに台の上に折敷を載せており、台に載せずに折敷だけで使用することもあった。今日では折敷と台が完全に結合したものが使用されており、折敷だけで使用するものは三方とは別に用意するようになっている。
台の穴の意匠に決まりはないが、宝珠の形がよく用いられる。
折敷には縁の板を留めるための綴り目があるが、これは穴のない側の反対側になるように作られている。神前に供える際は、穴のない側(綴り目の反対側)が神前に向くようにする。神饌が載った三方を持つときは、親指を左右の縁に、その他の指を折敷と台に当て、目の高さに持つ。 しかし、宮中作法では、指を折敷の中に指をかける伝統がある。
なお、特殊な形状の三方として板足三方や丸三方などがある。
また、四方に穴のあるタイプもあり、それを「四方」(しほう)と呼ぶ。

日本刀(にほんとう)は、日本固有の鍛冶製法によって作られた刀類の総称である。
刀剣類は、日本では古墳時代以前から製作されていたが、一般に日本刀と呼ばれるものは、平安時代末期に出現してそれ以降主流となった反りがあり片刃の刀剣のことを指す。
寸法により刀(太刀・打刀)、脇差(脇指)、短刀に分類される。広義には、長巻、薙刀、剣、槍なども含まれる。

墨(すみ)とは、菜種油やゴマ油の油煙や松煙から採取した煤を香料と膠で練り固めた物(固形墨)、またこれを硯で水とともに磨りおろしてつくった黒色の液体をいい、書画に用いる。
また墨を液状にしたものを墨汁(ぼくじゅう)または墨液と呼ぶ。 墨汁の原材料には化学的な合成物が使われている場合もある。化学的には墨汁の状態はアモルファス炭素の分散したコロイド溶液である。

歴史
古代中国の甲骨文に墨書や朱墨の跡が発見されており、殷の時代に発達した甲骨文字とときを同じくして使用されたと考えられる。文字以外には文身にも使用され、これはのちに罪人の刑罰の一方法となった。墨は漢代には丸めた形状に作られ墨丸と呼ばれた。
現存する日本最古の墨書は三重県嬉野町(現在は松阪市)貝蔵遺跡で出土した2世紀末の土器に記されていた「田」という文字であるとされている。
日本では『日本書紀』に中国の墨について記されているのが初出である。はじめて国内で墨が作られたのは奈良和束の松煙墨とされる。この松煙墨は「南都油煙墨」と呼ばれ、遣唐使として唐へ行った空海が筆とともにその製法を大同元年(806年)に日本へ持ち帰り、奈良の興福寺二諦坊で造ったのが始まりといわれる。この油煙墨の製造が盛んになったのは鎌倉時代である。江戸時代に入ると各地でも製造されるようになったが、古くから技術の高い奈良に多くの職人が集まり、その結果各地の墨の生産は衰えた。奈良では日本の伝統産業として今日まで受け継がれている。現在の墨の主要産地は奈良県産が9割のシェアを占めるが、三重県産も知られる。
墨の特質
製造後間もない新品の固形墨は水分の含有量が多く、膠の成分が強く出るために粘度が強く紙に書いた場合、芯(筆で書かれた部分)と滲みの区別がわかりにくい。年月が経って乾燥した墨は、膠の分解もすすむためにのびが良く、墨色に立体感が出て、筆の運びにしたがって芯や滲みなど墨色の変化が美しく出るとされる。こうした経年をした墨は「古墨」と呼んで、珍重される。墨が緻密に作られていれば、それだけ乾燥するまで長い年月がかかる。
墨の種類
固形墨は主な原料である煤の違いによって、松煙墨と油煙墨に分かれる。朱墨、青墨、紫墨、茶墨などの表現があるが、朱墨以外は基本的に黒色で、色調の傾向を示す言葉である。朱墨の原料は、鉱産物として天然に採掘される辰砂である。
松煙墨(青墨)
松煙は燃焼温度にむらがあり、粒子の大きさが均一でないことから、重厚な黒味から青灰色に至るまで墨色に幅がある。青みがかった色のものは青墨(せいぼく)と呼ばれる。製法は、松の木片を燃焼させて煤を採取する。青墨には、煤自体が青く発色するもの以外に、藍などで着色するものもある。雨風に弱い。
油煙墨
油煙は、煤の粒子が細かく均一で、黒色に光沢と深味がある。製法は土器に、油を入れ灯芯をともし、土器の蓋についた煤を集めて作る。油は、植物性油は菜種が最適とされるが、他にゴマ油や大豆油、ツバキ、キリなどがある。鉱物性油は重油や軽油、灯油である。雨風に強い。

墨の製造で使われる膠は、動物の骨や皮、腱などから抽出した膠状物質。高級なものでは鹿、通常は牛や豚、羊、ウサギなど。安価なものでは魚などが使われ、魚の膠を使ったものは独特な臭気を持つ。それを補う目的で、化学的に合成された樹脂(接着剤と同様な成分)が代用されることもある。
固形墨においても墨液においても、年月が経てば膠の成分が変質し弱くなる。これを「膠が枯れる」という。作った当初は膠が強くて粘りがあり、紙に書いた場合、芯(筆で書かれた部分)と滲みの差が小さいが、年月を経ると膠が枯れ、滲みも増えて墨色の表現の自由度が広がる。水分が多いと書いた線の部分から滲みが大きく広がる。この状態を「墨が散る」という。長い年月を経て膠の枯れた固形墨を「古墨」といい、伸びやかな線質や立体感、無限な色の表現が可能になるため、特に淡墨の作品では不可欠であり価値がある為、高値で取引される。
膠は動物性蛋白質であるため極端な低温下では粘性が増しゲル化・ゼリー状になり、書作に適さない。そのため墨は一定以上の気温下で使用する。
工芸品としての墨
墨を練る技術以外に、高級品では墨の形も美術工芸的に重要となる。墨型彫刻師が木型を製作し、多様な形態が珍重される。日本で墨型彫刻を専業で行なう工房は、2014年時点で奈良の中村雅峯(「型集」7代目)ただ一人。
墨汁のなりたち
明治20年代、小学校教員をしていた田口精爾が冬場に冷たい水で墨をする生徒達を見て液体の墨を作る事を発起。東京職工学校(現・東京工業大学)で応用化学を学び、その後、墨汁を発明。1898年(明治31年)に「開明墨汁」と名付け商品化し販売。田口商会(現在の開明株式会社)を牛込区築土八幡(現在の新宿区)に創業した。
墨汁には天然由来の煤ではなく工業的に作られたカーボン(炭素)を使っているものがある(このカーボンは、コピー機などで使われるトナーとほとんど同じ成分である場合もある)。また膠の代わりに化学的に合成された接着系の樹脂を使っているものがある。
膠を用いた墨液の場合、表装・裏打ちをする際には長時間乾かす必要があり、乾燥時間が短いと墨が溶ける。高濃度の墨液や膠が枯れた墨液はにじみが激しいため、にじみ防止スプレーも市販されている。自分で裏打ちする際には注意が必要である。
防腐剤について
墨の製造で使われる膠は動物性のタンパク質であり、細菌が繁殖し腐敗する。それを防ぐために市販の墨液には防腐剤を添加する。
固形墨には防腐剤の成分に樟脳や香料が含まれる。ただし、磨った墨の液は保存がきかないので直ぐに使い切る必要がある。墨液など液体墨の防腐剤は時間がたてば弱くなるので製造後およそ2年程で腐るといわれている。腐った墨液は動物系の腐敗臭を放ち筆を傷めるので使うのは避ける。
防腐剤の多い製品は筆を傷める可能性があるため、高級な筆を使う場合は粗悪な墨液を使うことは避ける。また、容器内の墨液の腐敗防止のため一度容器から出した墨液は細菌に汚染されている為、戻さない。
日本製の墨液には粗悪な成分を含むことはほとんどないが、安物や輸入品には注意が必要である。品質の良い墨液は固形墨を磨ったものにも比較的近く、書家らにも愛好者が増えている。
備考
硯で墨を磨った液に技法的にアレンジを加える消費者もいる。指の腹などで墨液をこする「磨墨」(まぼく)作業などで粒子の細かい墨色を試してみたり水の量や硬水・軟水の水の硬度、紙との相性、気温や湿度で墨色や墨の広がりなどが変わる。特に淡墨では差が出やすいので、ヘビーユーザーは好みの墨(磨墨液)を作るために各々研究する。その点は絵具のそれと大差ないといえる。
墨をたくさん使用する消費者には墨磨機という固形墨を磨る機械も市販されており、重宝される。

能面(のうめん)は、能楽や一部の神楽で用いられる仮面である。伎楽面や舞楽の仮面などの影響を受けている。

概要
翁(おきな)、尉(じょう)、鬼神、男、女の5種類に大別される。女面、少年面、青年面は一部を除いて何れも白塗りの厚化粧、引眉で、お歯黒を付けており、これらは何れも、能が成立した時代の習慣を残したものである。
なお、「翁」の面は特徴的で、他の能面と異なり、
眼が(黒目の部分のみならず)全てくり抜いてある
ぼうぼう眉(綿や毛が植えてある)
面の口から下の部分を切り離して、紐で結んである(切顎)
古式でおおらかな面である。
能面は木(檜が多い)を彫り、彩色して製作するが、この工程を「面を打つ」という。また、顔に付けることを「面を掛ける」という。この場合「面(おもて)」と読み、「能」がつくと「能面(のうめん)」と読む。近年は和紙製の張子面も登場している。
能楽に面を使用した記録に残る最も古い例としては、弘安6年(1283)の春日神社での猿楽に三番、延命冠者、父尉などの面が使われたことが知られている。一般的に、能面が本格的に作られ始めたのは14世紀中頃に活躍した赤鶴吉成を初めとすると言われる。当時の代表的な面打師とその系譜は江戸時代中期に喜多方能が著した『仮面譜』によって、十作・六作・三光坊などに分類された。
古来傑出した能面作者を「十作」と称し、日光、弥勒、夜叉、文蔵、小牛、赤鶴(しゃくづる)、龍右衛門、日氷(ひみ)、越智(えち)、三光坊の10名とされている。室町時代に今日の能面の基本形を創作した人々とされるが、実在が不確かな人物も含まれている。また、「春日」という作者は「神作」として十作の上に置かれ、神聖視されている。三光坊は十作の中の一人だが、後の面打三家と呼ばれる越前出目家、近江井関家、大野出目家の始祖とされる人物である。六作には千種、福来など、能楽発達後から安土桃山時代にかけて活躍した人々が挙げられている。
なお現在能(亡霊ではなく現在進行形として演じられる形式の能)の成年男性役には能面を用いないで演じられる。しかし役者が顔の表情を作って表現することは禁じられている。この能役者の素顔を「直面(ひためん)」と呼び、その名のとおり自分の素顔を能面と見立てて演ずる。 能のワキはすべて現在成年男性であるために直面で演じられている。

包丁(ほうちょう、庖丁とも)とは、食材を切断または加工するための刃物で、調理器具の一種である。

語源
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
莊子/養生主
「庖」は調理場を意味する。「丁」は「園丁」や「馬丁」のように、そこで働く男、つまり庖丁の原義は「料理人」のことである。『荘子』の「養生主篇」に、魏の恵王の御前で、ある庖丁(ホウテイ)が見事な刀捌きで牛一頭を素早く解体して見せ、王を感銘させる記事がある。 彼の使用した料理刀を後に庖丁と称し、これが日本語読みで「ほうちょう」となった。
奈良、平安時代に日本の料理に用いられる刃物は、刀子と書いて「かたな」と呼ばれていた。鎌倉、室町時代には先述の故事から厨房で働く専門家を庖丁者(ほうちょうじゃ)と呼び、その道具は庖丁刀と呼ばれるようになった。『和漢三才図会』で「割刀」の俗称を「庖丁」と記述しているように、江戸時代中頃には食材を切り刻むための刃物を庖丁と呼ぶようになった。
包丁の種類
和包丁(わぼうちょう)と洋包丁(ようぼうちょう)に大別できるほか、特殊用途の包丁が数多くある。洋包丁は多く両刃(刃の断面が左右対称のV字型)で、和包丁には片刃(断面が「レ」のように、裏が平面で、表側のみ斜めの砥ぎ面(切れ刃という)の非対称)のものと、両刃のものがある。片刃のものは右利き用・左利き用の区別がある
和包丁

出刃包丁 右から大出刃、中出刃、小出刃
出刃包丁(でばぼうちょう)(英語:Deba knife)
魚や鳥・スッポン等を解体するときに使い、使用中に力を入れても刃先が撓ったり曲がらずに使えるように刃が厚く重い包丁で、形状は三角形。江戸時代に大阪府堺市の出っ歯の鍛冶が開発したことから、出刃包丁という名前がついたという説がある。大きさにより、大出刃、中出刃、小出刃と呼び分けることがある。一般的な出刃包丁は大出刃であり、本出刃包丁ともいう。中出刃は相出刃包丁と呼ばれることの方が多い。刃渡りは大出刃と同じ程度で、厚みが薄い。小出刃は大出刃を小型にしたもの。小出刃の薄いものは鯵切(あじきり)ともいう。
薄刃包丁(うすばぼうちょう)(英語:Usuba knife)
主に野菜全般を切るための包丁。関東型(東型)は刃の形状が横から見るとほぼ長方形になっている。関西型は先端みね側が丸くなっており、鎌型とも呼ぶ。日本料理ではかつら剥きや野菜の曲切りなど非常に用途が広い。片刃である。小型の薄刃包丁を特に皮むき包丁と呼ぶこともある。
菜切り包丁(なきりぼうちょう、なっきりぼうちょう)(英語:Nakiri knife)
菜刀(ながたん)とも言う。薄刃包丁と形状が似ているが、菜切り包丁は両刃で切っ先は丸く、家庭向けになっている。本職向けの薄刃とは機能が異なり、桂剥きや細工切りなどの機能は考慮されていない。かつて一般家庭用として広く普及した。
刺身包丁(さしみぼうちょう)(英語:Sashimi knife)
刺身を引くための包丁。刺身を切る際に刃を往復すると素材の切断面が傷み、光沢がなくなることから一方向にのみ引き切ることができるように刃渡りが長い。関西型は先が尖り、その形状から柳刃(やなぎば)と呼ぶ。「柳葉」の字をあてることもあり、また、菖蒲の葉にも似ていることから「菖蒲」「正夫」と呼ぶこともある。関東型は蛸引(たこひき)と呼ぶが、刃が直線的で先端を平らに切落としたような形状になっており、柳刃よりもやや薄い。丸まった蛸の足を切るのに適したものなので蛸引と呼ぶとする説がある。先端が尖っていないのは喧嘩っ早い江戸っ子が喧嘩に使いにくいようにしたためだともいう。先端で細工切りがしやすいなどの理由で、近時は柳刃が関東も含め全国的に主流となっている。刃裏には裏すき、若しくは决り(しゃくり)と呼ばれる凹みがある。フグ刺し用には専用の特に薄くて鋭利なふぐ引きがある。てっぽう(関西方面でのフグの通称)用という意味でてっさ包丁とも呼ぶ。
三徳包丁(さんとくぼうちょう)(英語:Santoku knife)
近年、日本の家庭で一般的に使われている万能包丁。 刃は薄く、野菜・肉・魚を一本で処理できることから「三徳」という。文化包丁(ぶんかぼうちょう)ともよばれる。
身卸包丁(みおろしほうちょう)
出刃包丁の一種であるが、刃をやや細く長くして捌きから刺身を引くまで一本で間に合わせようとする亜種。
舟行包丁(ふなゆきほうちょう)
身卸包丁と形は似ているが刃が薄く、魚から野菜の処理までこなす万能包丁。多くの料理道具を携帯できない釣り船などに持ち込む包丁の意。

鮪包丁によるマグロ解体
鮪包丁(まぐろぼうちょう)(英語:Tuna knife)
魚市場などでマグロを解体する際のみ使う特殊包丁。マグロ切り、マグロ切り包丁ともいい、刃が非常に長く、日本刀に近似しているが、若干しなるように作られている。マグロの解体は二人がかりで、一人はタオルを巻いた刃先を握るため非常に危険で扱いには熟練を要する。
鰻裂き(うなぎさき)(英語:Eel knife)
鰻を捌く際に用いる。地方により形状が異なる。
穴子包丁
アナゴを捌く際に用いる。鰻裂きとほぼ同じ形状のものである。
鱧切り(はもきり)
ハモの骨切り専用の特殊包丁。
附庖丁(つけぼうちょう)
かまぼこを成型する特殊包丁。魚のすり身を板に盛るへらと包丁を兼ねる特殊な形状をしている。近年のかまぼこは手作業から機械成型に主流が移り、使用する職人も減り衰退している。
フグ引き
フグの刺身用の特殊包丁。
鰹包丁
鰹を切るための特殊包丁。刃先が三角にとがった諸刃になっており鰹を容易にさばくことが出来る。
麺切包丁(めんきりぼうちょう)(英語:Noodle knife)

麺切包丁
麺を切るための包丁。うどん切、そば切とも。麺切包丁を用いるときには、麺の太さを一定にするために小間板(駒板)が用いられることが多い。
寿司切り
巻寿司を切るための特殊包丁。刃の部分が円く曲線状に張り出している。
餅切り
餅を切るための特殊包丁。両手型のものもある。刃の部分が若干円く張り出している。
豆腐切り
豆腐を切るための特殊包丁。形状は麺切包丁に似ている。
寒天切り
寒天を切るための特殊包丁。刃の部分が横方向に波状になっている。
西瓜切り
スイカを切るための特殊包丁。大型のスイカでも最後まで割らずに切ることができる。
菓子切り
羊羹を切るための特殊包丁。
蒲鉾包丁
蒲鉾を作る際、材料である魚のすり身を板に載せ、成形するための包丁。他の包丁と異なり刀身に刃がつけられていないのが特徴。
洋包丁[編集]
牛刀(ぎゅうとう)(英語:Chef’s knife)
本来は食肉(枝肉)の仕分け用の、薄く、刃渡りが長く大きい肉切り包丁。サイズの幅が広く、家庭用として野菜やパン切りなど様々な用途にも使いやすい6寸(18cm)や7寸から、精肉の仕分け用の40cm近い大包丁まで市販されている。
筋引(すじびき)
枝肉の解体で、いわゆる「ヒレ肉」(fillet meat) は、周囲を「スジ」と呼ばれる不要部分が覆っている。これを切り離す、「すじ引き」と呼ばれる作業のための、長く細身の包丁。海外の「フィレ・ナイフ」に相当する。
カービングナイフ(英語:Carving knife)
主にカービングフォークと一緒にローストビーフなどの肉の塊を切り分けるのに使われるナイフ。
スライサー(英語:SlicerまたはSlicing knife)
主に薄切り肉や刺身、ハムなどスライスする時に用い、刃先には丸みがあり牛刀を細身にしたような形状をしている。スライスイングナイフとも呼ばれる。
クレーバー(英語:Cleaver)
動物を解体するとき肢の関節を叩き切るなど鉈のように使う。叩きつけても刃先がまくれたり、曲がらずに使えるように刃が厚く重く、形状は四角形。
骨スキ(ほねすき)
骨から肉を切り剥がすために用い、東型と西型がある。海外のボーニングナイフ(Boning knife)に相当する包丁だが、Boning knife は刃が柔らかくしなるように作られており日本独特の包丁である。サバキとも呼ばれる。
ガラスキ
鶏など丸鳥の解体に用いる。軟骨や関節を切断するため、骨スキと同型だが刃が厚くまた長くなっている。
フィレナイフ(英語:Fillet knife)
ボーニングナイフと形は似ているが、刃がやや細く長く、ヒレ肉から魚類の処理までこなす万能包丁。刃は弾力性が高く、ほんの少し背のほうへ反っている。特に生の魚類を捌きやすく作られた洋包丁。
洋出刃(ようでば)
横から見た形状は牛刀と似ているが、スープ用の牛骨を刃の背で砕いたりするため刃が厚く頑丈で、牛刀とは用途が異なる。
ペティナイフ(英語:Paring knife)
和製英語。野菜・果物の皮むき、カクテルやケーキ用フルーツの飾り切りなど用途の広い小型の万能ナイフ。
パン切り包丁(英語:Bread knife)
多孔質の柔らかいパンを切りやすいように、波形の刃になっているものがあり、切断面近くの組織をつぶさないように、刃厚が薄く幅が狭い。ブレッドナイフ、パンスライサーなどの名称で販売されている場合もある。食パンなどを均等な厚さにスライスする場合には専用のガイドを用いる。
その他の包丁[編集]
中華包丁(ちゅうかぼうちょう)(英語:Chinese chef’s knife Chinese cleaver)
中華料理に用いられる身幅の大きい万能包丁。刃は四角いものが主流だが、魚料理の多い上海型は魚おろし用の切っ先を持つ三角形である。骨付き肉など硬い材料用の厚刃、野菜の刻みなどに用いられる薄刃、また、その両方を兼用する中間的なものがある。中華料理ではほとんどの食材を中華包丁のみで処理する。菜刀。方頭刀。
冷凍切り包丁
冷凍した食材をスライスする際に用い、刃先がギザギザの波刃になっている。刃の部分の厚みは2mm程度。冷凍ナイフとも呼ばれる。なお、業務用の製品の中には両手の部分に柄がある両手式のものもある。
上にあげたものの他にも、ケーキ用のケーキナイフ、チーズ用のチーズナイフ、貝をむく貝むき(シェルナイフ)など、特定用途に特化した包丁は枚挙にいとまがない。
なお、調理用途以外の刃物にも、表装などで紙や布の裁断に用いる丸包丁(本惣・相惣ともいう)、漆芸で用いられる塗師屋包丁、畳の製作に使う畳屋包丁、刻みタバコを刻む煙草包丁、各種野菜の収穫用に特化した包丁など「包丁」と呼ばれるものがあり、また、調理用であっても蒲鉾の成形に用いる手付包丁(附庖丁)のように刃物ではない(刃が無い)が包丁と呼ばれるものもある。

 

 

撥鏤(ばちる)は、象牙の彫り細工の一つ。撥ね彫りとも呼ばれる。

概要
象牙の表面を緑色と紅色などに染めて彫り、象牙の地色を文様として浮き上がらせる。中国で唐時代に盛行し、日本に、奈良時代頃に伝えられたと考えられている。

奈良県
国指定伝統的工芸品
高山茶筅
奈良筆
大阪唐木指物

奈良県伝統的工芸品
赤膚焼
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東吉野杉・檜木工品
高山茶道具
吉野手漉き和紙
鹿角細工
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大和指物
大和出雲人形
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奈良団扇
三方・三宝
大塔坪杓子・栗木細工
くろたき水組木工品
笠間藍染
奈良表具

その他
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三味線皮
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奈良包丁
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面(能)
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